中日新聞の読者投稿欄に「病弱だった私が傘寿に」というタイトルで、80歳の女性が投稿されていました。
私が育ったのは戦後の混乱期です。
物資が日常的に不足し、食料も十分ではありませんでした。
私は病弱でした。
受診時、医師から「長生きできないだろう」と言われたこともあったそうです。
それでも母は諦めず、私のために、健康にいいというリンゴのすり下ろしジュースをよくこしらえてくれました。
他にも母は私に、真っ赤なバラの刺しゅう入り帆布のランドセルを作ってくれ、学芸会の前の晩には着ていくワンピースを縫ってくれました。
母は10年前に逝きました。
私はといえば、気付けばすっかり年を重ねていて、3年前に患った大病が完全には癒えていませんが、今もこうして何とか生き永らえているのも、天国にいる母がいつも見守ってくれているおかげだと思っています。
母への感謝を胸に、この先も前向きに生きていきたいです。
以上です。
私は小学校4年生の秋、朝起きようとしたら起き上がる事が出来ません。
母親を呼んで起こしてもらいました。
かかりつけのお医者さんに来てもらって診察を受けました。
その時、心臓とリュウマチを患っていると言われたようです。
学校を休んで1ヶ月ぐらい家にいました。
ある日かかりつけのお医者さんがやってきて、父親に「1週間ぐらいで危ない」と言われたようです。
本人は、まさかそんなに酷いとは思っていませんでした。
父親は慌てて県病院に私を入院させました。
心臓弁膜症と腎臓、リュウマチが悪かったようです。
毎日薬と注射で治療を受けました。
腎臓が悪いという事で、タンパク質を取らねばということで、カレイなどの高級魚を食べました。
水分を取らねばということで、スイカの季節は終わっていましたが、スイカの缶詰も食べました。
ちっとも美味しくなかったです。
治療が功を奏して、3月末近くに退院出来ました。
5年生の1年間は、体育の授業は休みました。
私は体育は苦手だったので、1年間ではなく卒業するまで休みたかったです。
65歳ぐらいの時、寝ていると心臓があぶって寝られません。
翌日内科医に行ってCTなどの検査を受けました。
高血圧ということで、高血圧の薬をもらいました。
念の為に大病院で検査を受けました。
とりあえず今もらっている薬でいいと言われました。
心臓弁膜症は治っていると言われ、安心しました。
幼い時からの病弱ではないですが、何とか76歳まで生きる事が出来ました。
父親は74歳で亡くなったので、父親を抜く事が出来ました。
取り敢えず、80歳までは生きたいです。
Connie Francis "Where The Boys Are" on The Ed Sullivan Show