中日新聞の読者投稿欄に「入市被爆した父の無念」というタイトルで、65歳の女性が投稿されていました。
原爆投下後に爆心近くに行って残留放射線の影響を受けた「入市被爆」についてテレビで知りました。
十六歳だった父は広島への原爆投下数日後、陸軍通信学校の生徒として現地に派遣され、ほこりにまみれながら片付けをしたと言っていたことを思い出しました。
父は私が小学生のとき胃がんを患い、がん細胞はその後全身に転移しました。
母によると死期が迫った父は家族のために軍属としての期間分の年金をもらおうと考えたようです。
しかし通信学校の同級生は誰も生きておらず国に問い合わせても「そんな学校はない」と言われたそうです。
年金はもらえないまま四十三歳で逝きました。
戦争体験者が減ってきているだけに、父の体験を後世に伝えなければと強く思う今日この頃です。
以上です。
>しかし通信学校の同級生は誰も生きておらず国に問い合わせても「そんな学校はない」と言われたそうです。
こんな事ってあるんでしょうか。
通信学校の同級生が誰も生きていないということは、原爆の後遺症で早く亡くなってしまったということなのかな。
でも存在した学校がないなんて。
軍が都合の悪い資料を破棄してしまったんでしょうか?
探せば、まだまだ原爆被害者はいるようです。
熱き心に : 大滝詠一 1985