団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

何げない息子の言葉に、思いやりや気遣いを感じ、とても温かい気持ちになった。

2024-09-30 00:52:34 | 日記
 中日新聞の「くらしの作文」に「今の気持ちを大切に」というタイトルで、54歳の女性が投稿されていました。

 5月に結婚したばかりの息子が、久しぶりに帰省した。

 「夕食は何が食べたい?」と聞くと「何でもいい」と、そっけない返事。

 リクエストがないなら、息子の好きな酢豚、ナスやアスパラを豚肉で巻いた揚げ物、煮豆、筑前煮を作ることにした。

 普段は主人と2人だけなのでパパッと作るが、そんなわけにはいかない。

 早い時間から準備しようと思い、台所に立った。

 いつもなら息子はソファに寝そべり携帯を触りながら昼寝をするパターン。

 しかし今回は違った! 私が台所に立つと、さっと起き上がり「もう作り始めるの?」と聞く。

 「うん、下準備があるからね」と言うと、私の隣に来て、じっと見ている。

 普段は共働きの息子夫婦。

 夕食は早く帰った方が作り、休日は一緒に作っているそうで、息子は丼物を作ることが多いとのこと。

 奥さんが作る料理は、どれもおしゃれで美味しいと、幸せそうな笑顔を見せる。

 「僕もいろんな料理を作れるようになって、奥さんを喜ばせたいな。僕が料理している間、少しはゆっくりしてもらえればいいかな」

 何げない息子の言葉に、思いやりや気遣いを感じ、とても温かい気持ちになった。

 結婚生活は始まったばかりだが、今の気持ちを忘れず温かい家庭を築いてほしい。

 そう願っている。

 以上です。

 いくら共働きとはいえ、投稿者さんのご子息は奥様にとても優しいですね。

 私にはとても真似できません。

 かみさんが病気で体調を崩しても、「僕もいろんな料理を作れるようになって、奥さんを喜ばせたいな。僕が料理している間、少しはゆっくりしてもらえればいいかな」なんていう気持ちになったことがありません。

 とりあえずスーパーに行って、食べる物を買ってこよう。出来るだけかみさんが食べれる物をと考えます。

 作るとしたら目玉焼き、夏ならソーメンぐらいは作れるかな。

 「自分が料理している間、少しはゆっくりしてもらえればいいかな」なんて、そんな思いやりある気持ちになったことはありません。

 こんなご子息なら奥様始め、奥様のご両親も安心ですよね。

 現在 育休制度がありますが、このご子息なら本当に奥様の手助けになると思います。



愛は時を越えて (2019)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あそこの別れ道で選びなおせるならって・・・

2024-09-29 00:39:26 | 日記

 私が高校一年生の時、年末は両親のやっているお店は夕方以降になると大忙しでした。
 私も手伝いました。

 年末近くにお母さんと一緒に女子中学生がセーラー服を買いに来ました。

 私は「かわいい子だなぁ」と思いました。

 セーラー服の直しがあったようで、翌日の午後 女の子一人でセーラー服を取りに来ました。

 やっぱり「かわいい子だなぁ」と思いました。

 私が地元の図書館から帰ろうと階下に降りていきますと、高校生になった彼女が友達と話をしていました。

 私は知らん顔をしましたが、彼女は私の事を覚えていたようです?

 社会人になって、私は多治見から千種まで高校の同級生四人ぐらいと毎朝電車で通っていました。

 周りの人は、うるさく感じたでしょうね。
 席が空いていないので、いつも立って話をしていましたので。

 夜は同級生の帰る時間がバラバラなので、ほとんど一人で電車で帰っていました。

 ある日あの少女が大人になって席に座っていました。

 彼女も私に気付いたようです。

 その後 度々会うので、メモで「お茶でも飲みませんか」と誘おうと思いました。

 でも渡しそびれました。

 銀行員の娘(子)に振られたショックが、まだ糸を引いていたのかな?

 ある土曜日に、かみさんと東山動植物園に行きました。

 動物園の見学を終えて植物園に向かっていた時、彼女が男の人と一緒のところを見かけました。

 彼女も私のことに気付いたようで「あっ」と言って彼の後ろに隠れました。

 彼も急に彼女が後ろに来ましたので、ちょっぴり驚いていました。

 チラッと見ただけですが、彼は私よりハンサムでした。

 それ以来、彼女と電車で会う事はなかったです。

 彼と結婚したのかな?

 私が彼女を誘おうとしていた時、まさかかみさんと付き合っていなかったろうな?

 それが、はっきりしないです。

 私がもしかみさんと付き合っていたなら、彼女を誘おうとしない筈なんですが?
 
 さだまさしさんの「主人公」という歌の歌詞に、

 時を遡る切符があれば
 欲しくなる時がある
 あそこの別れ道で選びなおせるならって・・・

 もしかみさんでなく、彼女を選んでいたらどんな人生を歩んでいたでしょうね。



さだまさし - 主人公
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

そしてある日、クモは下に落ちていた。

2024-09-28 01:58:11 | 日記
  中日新聞の「くらしの作文」に「猛暑とクモ」というタイトルで、61歳の女性が投稿されていました。

 ベランダのひさしの隅に、トンネルのような立派なクモの巣ができていた。

 主は数日前に家の中で見かけた、黒い大きなクモだ。

 私は洗濯物を干しながら「すごいねえ」と見上げた。

 ベランダには普段、小さな虫たちがよく飛んでくる。

 夜は明かりに集まる。

 きっと獲物はたくさん捕らえれることだろう。

 クモもそのつもりだったに違いない。

 ところが、今年はとにかく暑かった。

 暑すぎて虫がいない。

 こんなはずではなかったのに。

 でもクモは、ひたすらじっと待っていた。

 暑さに位置を少しずつずらしながら。

 「大変だね。でもがんばろうね」。

 私は心の中で励まし続けた。

 しかし、一向に暑さは緩まなかった。

 そしてある日、クモは下に落ちていた。

 まさかと思ったが、1日経っても2日経っても動かない。

 本当に死んでしまったようだ。

 暑さのせいか、飢えてしまったのか。

 どちらにしても可哀想なことだった。

 私はクモをそっと日陰に運んだ。

 台風がやってきた後、少しだけ涼しさが訪れた。

 虫たちも戻ってきた。

 でも、もうクモはいない。

 そして、主のいない巣はどんどん形を崩していき、今では見る影もない。

 風にふわりと揺れているだけである。

 以上です。

 投稿者さんは、黒い大きなクモに愛情を持って観察されていたんだ。

 私には信じられなかった。

 うちのかみさんなんて、ベランダにクモがいたら大声で私を呼びます。

 「こんな大きなクモがいる、早くとってよ!」と、大騒ぎします。

 私は殺虫剤を振りかけて殺します、その残骸をティシュで摘みトイレに流します。

 女性はクモなんて大嫌いだと思っていましたが、そうでもないんだ。

 世の中には気持ちが良いとは思えない爬虫類をたくさん自宅に飼っている女性もいます。

 人それぞれですね。




森高千里 『渡良瀬橋』 (PV)
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今一番恐れている事は、私より先にかみさんが亡くなってしまう事です。

2024-09-27 00:18:36 | 日記
 今一番恐れている事は、私より先にかみさんが亡くなってしまう事です。

 約51年間も一緒にいます。

 喧嘩もしますし、腹が立つことも多いです。

 でも、かみさんがいない生活は考えられません。

 作家 城山三郎先生の著作「そうか もう君はいないのか」の心境に陥ってしまうでしょうね。

 竹内まりやさんの「いのちの歌」の歌詞のように

 ”いつかは 誰でもこの星に 

 さよならをする時が来るけれど”

 自然の摂理ですから、逆らうすべはないのですが・・・ 。

 私の方がかみさんより早く死ぬことを望むのは許されるのでは。

 私の方がかみさんより4年先に生まれていますから。
 



竹内まりや - いのちの歌(Official Music Video)
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 投稿者さんの電話があるご近所さんは、100メートル先なんだ。

2024-09-26 00:35:13 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「固定電話なし 隔世の感」というタイトルで、87歳の男性が投稿されていました。

 私が小学校教員になってすぐの1960年代前半、各家庭には電話がそれほど普及しておらず、「呼び出し電話」といい、電話がある近所宅を連絡先として申告したものだ。

 私の場合は、わが家から100メートル離れた家だった。

 その家の女性が「清水さん、お電話ですよ」と小走りで伝えに来てくれ、私も急いで女性の後を追い、玄関にあった受話器を取ったものだ。

 相互扶助が、ご近所では当たり前の時代だった。

 こんな生活は、我が家に電話が設置されるまでの数年間続いた。

 時は流れた。

 携帯電話が一般的となった昨今、家庭に固定電話がないケースも増えているとか。

 隔世の感がする。

 以上です。

 投稿者さんの電話があるご近所さんは、100メートル先なんだ。

 電話があるご近所さんは、100メートル先の投稿者さんの家まで呼びに行かなくてはいけないんだ。
 相互扶助が、ご近所では当たり前の時代だったとはいえ、大変だったでしょうね。

 うちはお店をやっていましたので電話はありましたし、ご近所さんも皆さんお店をやっていらしたので電話がありましたので呼びに行くことはなかったです。

 私が大学の時の下宿屋さんは共同電話でした。

 たまに私に電話がかかると隣の部屋の女性が「何何さん、電話ですよ」と呼んでもらったものです。

 当時付き合っていた女性からの電話でした。




今井美樹 -「PRIDE」Music Video
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする