以前、日経の夕刊に連載されていました詩画作家 星野富弘さんの詩に目頭が熱くなりました。
連載は5,6回にわたったと思いますが、最初の1,2回は星野さんの体が不自由な方ということで、気の毒で読む気がしませんでした。ところが3回目の連載を読んでグット胸に詰まりました。星野さんは中学の先生になられ、体操部の顧問になりました。星野さん自身 大学で体操部に所属されていました。中学の体操クラブにおいて模範演技でバク転をおこなったところ、失敗して脊髄を損傷され手足が不自由になられました。病院に入院中に、口に筆をくわえて詩や絵を書き始められました。
これより私の目頭が熱くなった文を記載させていただきます。
入院中、休まず病室に寝泊りし世話をしてくれた母を思って作った詩も多い。
父は八十四年に他界しましたが、八十代になる母は今も自宅で庭の手入れやちょっとした野菜作りをしています。ずいぶん苦しんだと思います。
「神様がたった一度だけ この腕を動かして下さるとしたら 母の肩をたたかせてもらおう。 風に揺れるペンペン草の実を見ていたら そんな日が、 本当に来るような気がした」
私が二十九歳の頃に書いた詩です。病室でこっそりと描いていた花の絵を、日曜日、だれも通らない外来の廊下に並べて、車いすを押してもらいながら母と品評会もしました。
この文章を読んで母親の愛情の深さに目頭が熱くなりました。私も入院したことがありますが、日曜日の外来の廊下は蛍光灯も暗くひつそりしています。そこで車イスの息子と母親が品評会をしている様子をイメージするとまた目頭が熱くなりました。
私は星野さんの本を一度読みたいと思いました。
連載は5,6回にわたったと思いますが、最初の1,2回は星野さんの体が不自由な方ということで、気の毒で読む気がしませんでした。ところが3回目の連載を読んでグット胸に詰まりました。星野さんは中学の先生になられ、体操部の顧問になりました。星野さん自身 大学で体操部に所属されていました。中学の体操クラブにおいて模範演技でバク転をおこなったところ、失敗して脊髄を損傷され手足が不自由になられました。病院に入院中に、口に筆をくわえて詩や絵を書き始められました。
これより私の目頭が熱くなった文を記載させていただきます。
入院中、休まず病室に寝泊りし世話をしてくれた母を思って作った詩も多い。
父は八十四年に他界しましたが、八十代になる母は今も自宅で庭の手入れやちょっとした野菜作りをしています。ずいぶん苦しんだと思います。
「神様がたった一度だけ この腕を動かして下さるとしたら 母の肩をたたかせてもらおう。 風に揺れるペンペン草の実を見ていたら そんな日が、 本当に来るような気がした」
私が二十九歳の頃に書いた詩です。病室でこっそりと描いていた花の絵を、日曜日、だれも通らない外来の廊下に並べて、車いすを押してもらいながら母と品評会もしました。
この文章を読んで母親の愛情の深さに目頭が熱くなりました。私も入院したことがありますが、日曜日の外来の廊下は蛍光灯も暗くひつそりしています。そこで車イスの息子と母親が品評会をしている様子をイメージするとまた目頭が熱くなりました。
私は星野さんの本を一度読みたいと思いました。