団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

『かみさん』とは、俗にいう、頭の上がらなくなった自分の妻のことで。

2019-01-31 03:38:53 | 日記
 中日新聞の日曜版「おじさん図鑑」というコラム欄に、「連れ合いの呼称」というタイトルでエッセイストの飛島圭介さんが書かれていました。



 関西特有の言葉遣いが広まったものなのか、自分の妻を人に紹介するのに「あー、これうちの嫁です」と言ったりする人がいる。
この「嫁」という言い方が、おじさんはどうも好きではない。

 「無意識」は言葉で表に現れる。
「嫁」というのは日本独特の家制度の名残の名称で、一人の女性の人格を尊重した言葉ではなかろう。
「嫁入り」とか「嫁ぐ」の内実は、夫の「家の一員になる」ことで、その意味では男女は対等ではない。
まず「家」があって、結婚は「家」の存続を前提としたものだった。

 現代では、家制度の意識は希薄になってきた。
とはいえ、男女別姓の議論になると頭から否定する人が多く存在するように、
「無意識」上では家制度はまだまだ強固だ。

 だから「嫁」という言葉もなかなか消えない。
お嫁さんは、お婿さん同様、結婚式や新婚の初々しい時期だけの言葉にしたい。
憲法にも「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本・・・」
とうたわれているのではないか。

 したがって「嫁」も「家内」もおじさんは使わない。
畏れと尊敬の心をもって「妻」と言う。


 以上です。


 私は自分の妻を紹介する機会はほとんどないですが、紹介するなら、「うちのかみさん」と
言うでしょうね。

 ネットで調べますと、「かみさんは配偶者の呼称で『女房』では古臭いし、『妻』、『家内』では
少し堅苦しいので、『かみさん』と呼んでいる方は多いようですね。
『かみさん』とは、俗にいう、頭の上がらなくなった自分の妻のことで、
特に、口やかましくなった妻のことをいいますが、『上さん』という
意味では、一応相手を立てているので一番いい呼び方かもしれません。

『かみさん』とは『上様(かみさま)』で妻(奥方)を敬った呼び方です。」と
書かれていましたので、私にとって一番最適な言葉ではないかと思います。(笑)








岸洋子 希望
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決められた時間に起きる必要がないことは幸せなこと

2019-01-30 03:45:58 | 日記
中日新聞の読者投稿欄に「長寿社会達者で幸せに」というタイトルで84歳の女性が投稿されていました。



 百歳を超えた人が「人生五十年とは昔のことで、今は七十歳や八十歳でも働き盛り」と言っていて、
長寿社会を幸せに過ごすために常に心は丸く腹を立てずに気を長く持つことが大切だと思った。

 私たち夫婦も高齢になったが、「達者でいたい」と願うばかりだ。
孫たちが成人してひとり立ちするまでは見届けたい。
息子夫婦には心配をかけず、そっと見守ろうと考えている。

 そのためにはまず私たちが健康でないと。
足腰が少々痛いのはやむ得ないとして、かかりつけの医者とは親しくして行きたい。
午前八時に起きて朝食はパン、昼はおやつ程度、夕食は少しで良い。
決められた時間に起きる必要がないことは幸せなことだと思い、おおらかに過ごしたい。


 以上です。


 最近マスコミは百歳までの人生プランなんて、よく謳っています。
百歳まで元気に生きるなんて、ある意味エリートなんではと思います。

 私の場合、両手の小指が痛みます。
お医者さんの話では歳のせいで骨が摩耗して飛び出て神経に触って痛くなっているとのことです。
高齢になると身体の部品も悪くなるのが当たり前だと思います。
悪くなった部品を取り替えられるのならともかく、取り替えられない以上
不便と寄り添って生きて行かざるを得ないと思います。


 この投稿者さんは、「午前八時に起きて朝食はパン、昼はおやつ程度、夕食は少しで良い。」と書かれています。
いくら80代でもちょっと少食ではと思いました。
私はこの食事の量では、我慢できないのでは。(笑)

「決められた時間に起きる必要がないことは幸せなことだと思い、おおらかに過ごしたい。」とも書かれています。

 これは私もそう思います、決められた時間に起きる必要がないことは、
本当に幸せです。(笑)







Walk away [日本語訳付き]  マット・モンロー
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私も80代になったら、お嫁さんの力を借りなくてはいけない場面が出てくるかもしれません。

2019-01-29 04:03:46 | 日記
 中日新聞の読書投稿欄に「優しい嫁に勇気をもらう」というタイトルで、83歳の女性が投稿されていました。



 2年前の1月、思いがけずがんが見つかりました。
入院と手術、通院が続き、「子どもたちに迷惑をかけてまで・・・・」と気弱になり、
一時は自分の命などどうでもいいとまで考えました。

そんな私に隣の市に住む次男の妻が辛抱強く付き添ってくれました。
仕事を休んで看病をしたり車で送迎してくれたりしただけでなく、検査の結果を聞くときは
いつもそばにいてくれて、どんなに心強かったか分かりません。

 あるとき、私が「駄目な親で迷惑をかけてしまったね」と言ったら、
次男の妻は「お母さんは二人の息子を立派に育て上げたのだから駄目じゃないよ」と。
夫にも息子にも言われたことのない言葉はうれしくて、
優しい彼女から今も勇気をもらっています。


 以上です。


 このような優しいお嫁さんもいるんですね。
できればお嫁さんに迷惑をかけたくないでしょうが、80代ともなるとお嫁さんの手助けが
必要になることもあるでしょうね。

 私も80代になったら、お嫁さんの力を借りなくてはいけない場面が出てくるかもしれません。
日頃コミュニケーションを図っていないと頼みづらいでしょうね。
私が80代でも、まだお嫁さんは働いているように思います。
そうなると遠慮しますね。(苦笑)








駅  竹内まりや
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今思うと親の方が辛かったかもしれないと思うように なりました。

2019-01-28 04:12:25 | 日記
 中日新聞の「中日春秋」というコラムの一部を紹介します。



 脚本家の向田邦子さんが高等女学校の編入試験を受ける日の朝、
お父さんが見た夢が切実である。

 なんでも向田さん、盲腸の手術の直後で、体操の試験を免除してもらえるように頼んでいたが、
お父さんはよほど心配していたか。
夢の中で娘は試験免除にならず、「走ってみなさい」といわれている。
お父さんは飛び出し「この子は病み上がりだから、代わりに走らせてもらいたい」。
試験を受ける女子学生にまじって走るが、足がなかなか前に進まない。

 このお父さんといえば厳しい人という印象があるが、
どんな親も子どもの受験や試験となれば、気をもみ、祈るものだろう。
「人生でいちばん応援してもらえるのは、受験の時かもしれない」。
どこかの進学塾の広告だが、うなずける。


 以上です。


>このお父さんといえば厳しい人という印象があるが

 向田邦子さんの小説に出て来るお父様は、たしかに厳しい人でした。
そんな厳しい父親も娘の編入試験には気をもまれたようです。

 私は高校も、大学も希望校に入れませんでした。
当時は大変落ち込んでいましたが、今思うと親の方が辛かったかもしれないと思うように
なりました。

 私のために試験にご利益があるといわれている神社にも参拝したようです。
当時は親の気持ちを考える余裕もなかったです。
↑の文章を読むと、うちの親もそうだっただろうなぁと思います。

 共通一次も終わって、これから本格的に試験シーズンに突入しますが、
私は今だに、この時期がイヤです。(苦笑)









舟木一夫/仲間たち (1963年)
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1年に1度 やりとりする賀状の重みを改めて感じました。

2019-01-27 02:30:44 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「年賀状の重みを再認識」と言うタイトルで87歳の男性が投稿されていました。



 私の周りでは高齢を理由に年賀状の「卒業宣言」をする人が増えています。

 私も諸先輩にならい、1昨年の賀状で「これで最後」とする旨をしたためて
友人や知人に送りましたが昨年の正月、会社に勤めていたときの後輩から
「先輩が元気なうちは今まで通り書き続けます」と年賀状が届きました。
私はそのはがきを手にして後輩の気配りに触れた気がしました。
これまでの人生で得たことさえ忘れかけていた絆の大切さ、1年に1度
やりとりする賀状の重みを改めて感じました。

 これまでの出会い、今も私を支えてくれる人たちの顔を思い浮かべながら、
自分なりにできるかたちで感謝や親愛の気持ちを伝えるようにしようー。
そう考えています。



 以上です。



>昨年の正月、会社に勤めていたときの後輩から
「先輩が元気なうちは今まで通り書き続けます」と年賀状が届きました。

 こんな年賀状を頂いたら、年賀状の終活宣言なんて出来ませんよね。
私も80代になれば、年賀状の終活宣言を思い浮かべると思いますが、
この投稿者さんが書かれているように、年賀状とはいえ、
「これまでの出会い、今も私を支えてくれる人たちの絆」を自分から
切るなんて、なかなか難しいと感じました。








♪真夜中のナイチンゲール♪   竹内まりや
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