中日新聞の日曜版「おじさん図鑑」というコラム欄に、「連れ合いの呼称」というタイトルでエッセイストの飛島圭介さんが書かれていました。
関西特有の言葉遣いが広まったものなのか、自分の妻を人に紹介するのに「あー、これうちの嫁です」と言ったりする人がいる。
この「嫁」という言い方が、おじさんはどうも好きではない。
「無意識」は言葉で表に現れる。
「嫁」というのは日本独特の家制度の名残の名称で、一人の女性の人格を尊重した言葉ではなかろう。
「嫁入り」とか「嫁ぐ」の内実は、夫の「家の一員になる」ことで、その意味では男女は対等ではない。
まず「家」があって、結婚は「家」の存続を前提としたものだった。
現代では、家制度の意識は希薄になってきた。
とはいえ、男女別姓の議論になると頭から否定する人が多く存在するように、
「無意識」上では家制度はまだまだ強固だ。
だから「嫁」という言葉もなかなか消えない。
お嫁さんは、お婿さん同様、結婚式や新婚の初々しい時期だけの言葉にしたい。
憲法にも「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本・・・」
とうたわれているのではないか。
したがって「嫁」も「家内」もおじさんは使わない。
畏れと尊敬の心をもって「妻」と言う。
以上です。
私は自分の妻を紹介する機会はほとんどないですが、紹介するなら、「うちのかみさん」と
言うでしょうね。
ネットで調べますと、「かみさんは配偶者の呼称で『女房』では古臭いし、『妻』、『家内』では
少し堅苦しいので、『かみさん』と呼んでいる方は多いようですね。
『かみさん』とは、俗にいう、頭の上がらなくなった自分の妻のことで、
特に、口やかましくなった妻のことをいいますが、『上さん』という
意味では、一応相手を立てているので一番いい呼び方かもしれません。
『かみさん』とは『上様(かみさま)』で妻(奥方)を敬った呼び方です。」と
書かれていましたので、私にとって一番最適な言葉ではないかと思います。(笑)
岸洋子 希望
関西特有の言葉遣いが広まったものなのか、自分の妻を人に紹介するのに「あー、これうちの嫁です」と言ったりする人がいる。
この「嫁」という言い方が、おじさんはどうも好きではない。
「無意識」は言葉で表に現れる。
「嫁」というのは日本独特の家制度の名残の名称で、一人の女性の人格を尊重した言葉ではなかろう。
「嫁入り」とか「嫁ぐ」の内実は、夫の「家の一員になる」ことで、その意味では男女は対等ではない。
まず「家」があって、結婚は「家」の存続を前提としたものだった。
現代では、家制度の意識は希薄になってきた。
とはいえ、男女別姓の議論になると頭から否定する人が多く存在するように、
「無意識」上では家制度はまだまだ強固だ。
だから「嫁」という言葉もなかなか消えない。
お嫁さんは、お婿さん同様、結婚式や新婚の初々しい時期だけの言葉にしたい。
憲法にも「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本・・・」
とうたわれているのではないか。
したがって「嫁」も「家内」もおじさんは使わない。
畏れと尊敬の心をもって「妻」と言う。
以上です。
私は自分の妻を紹介する機会はほとんどないですが、紹介するなら、「うちのかみさん」と
言うでしょうね。
ネットで調べますと、「かみさんは配偶者の呼称で『女房』では古臭いし、『妻』、『家内』では
少し堅苦しいので、『かみさん』と呼んでいる方は多いようですね。
『かみさん』とは、俗にいう、頭の上がらなくなった自分の妻のことで、
特に、口やかましくなった妻のことをいいますが、『上さん』という
意味では、一応相手を立てているので一番いい呼び方かもしれません。
『かみさん』とは『上様(かみさま)』で妻(奥方)を敬った呼び方です。」と
書かれていましたので、私にとって一番最適な言葉ではないかと思います。(笑)
岸洋子 希望