日経新聞の「私の履歴書」にねむの木学園園長の宮城まり子さんが連載されています。
私は日経の「私の履歴書」はだいたい読むようにしていますが、今回の宮城まり子さんの連載は特に楽しみにしています。
私が中学生時分は宮城まり子さんは歌手、俳優、タレントでした。私は宮城まり子さんを「ガード下の靴みがき」の歌で知りました。くつ磨きの少年のカッコウでほっぺに靴みがきの黒い汚れをつけて歌われた姿を今でも思い出します。東宝の舞台のテレビ中継でも宮城まり子さんを観ることがありました。
ある日、宮城まり子さんが肢体不自由児養護施設「ねむの木学園」を設立されたとの新聞報道を見て子供ながら芸能人が出来るのかなと思った記憶があります。
宮城まり子さんのエライのは、まったくの素人さんが、肢体不自由児は義務教育さえ受けることができないという当時の状況を憂い、何もないゼロの状態からねむの木学園を設立し、四十年間もりっぱに運営されていることです。あの経営の神様、松下幸之助さんさえ、まり子さんに「やめたほうがいい」と忠告されたのにやめなかった。
まり子さんはどんな子供達もすばらしい能力があるという信念を持たれて行動されている。学園設立当初、ある先生が絵の時間に生徒がカニを見たこともないのにカニを既成概念で書かせたことに怒られた。既成概念を押し付けるのではなく、子供達が見たまま、感じるまま書くことが大事という信念を貫かれている。私も「ねむの木学園」のホームページに掲載されている生徒の絵を観ましたが、どれも人間の暖かさを感じる素晴らしい絵ばかりでした。私も一枚手に入れて家で飾りたいと思うほどでした。
私の履歴書で印象に残った記述を三つほど記載します。一番目にまり子さんが外国の施設の勉強に行かれた時、ある施設の看護士が患者の部屋を出るとき患者の目をみたまま後向きに出られるのを見たとのこと。私も患者の立場から看護士さんが部屋を出られるとき、看護士さんの背中を見るより、自分をずっと見ているように部屋を出ていただくのがうれしいと思う。
二番目に印象に残ったのは、体の不自由な子を英語では「チャレンジチルドレン」とよぶとまり子さんはハワイで教えていただいたとのこと。素晴らしい表現だと思いました。体の不自由な子というだけで同情の目を向けてしまいますが、「チャレンジチルドレン」と言われれば未来に向かってこの子らはチャレンジしているという前向きなイメージを抱きます。
最後に吉永淳之介さんとまり子さんとの恋です。私が知ったのは、高校生の時に図書館で安岡章太郎さんの本を読んだとき、吉行淳之介さんと宮城まり子さんの事が書かれていたので知りました。安岡さんは吉永さんの親友です。安岡さんと吉永さんがいるところにまり子さんがメロンを持参して訪ねてきたという話でした。その時、吉行さんは結婚されていたのでまり子さんとは愛人関係でした。私はなぜ吉行さんのような色男がさしてきれいでもないまり子さんと愛人関係なのかよくわかりませんでした。今でもこれほど愛しつづけた二人が結婚できなかったのかよくわかりません。現代でも奥様が離婚に同意されなければ離婚はむつかしいのかな思いました。吉行さんと奥様の事情はぜんぜんしりません。ただ吉行さんとまり子さんは、ほんとうに愛しあった二人で夫婦よりも絆は強いと思われます。お互いになくてはならない永遠の恋人でしょう。すばらしい。
宮城まり子さんのように子供達を愛し、信じて教育を実践してきた人に文部省の教育方針のアドバイザーとして活躍していただければ、日本の学校教育も少しはよくなるのではないかと思ってしまいます。まり子さんは忙しい人だからとても無理だとは思いますが。
私は日経の「私の履歴書」はだいたい読むようにしていますが、今回の宮城まり子さんの連載は特に楽しみにしています。
私が中学生時分は宮城まり子さんは歌手、俳優、タレントでした。私は宮城まり子さんを「ガード下の靴みがき」の歌で知りました。くつ磨きの少年のカッコウでほっぺに靴みがきの黒い汚れをつけて歌われた姿を今でも思い出します。東宝の舞台のテレビ中継でも宮城まり子さんを観ることがありました。
ある日、宮城まり子さんが肢体不自由児養護施設「ねむの木学園」を設立されたとの新聞報道を見て子供ながら芸能人が出来るのかなと思った記憶があります。
宮城まり子さんのエライのは、まったくの素人さんが、肢体不自由児は義務教育さえ受けることができないという当時の状況を憂い、何もないゼロの状態からねむの木学園を設立し、四十年間もりっぱに運営されていることです。あの経営の神様、松下幸之助さんさえ、まり子さんに「やめたほうがいい」と忠告されたのにやめなかった。
まり子さんはどんな子供達もすばらしい能力があるという信念を持たれて行動されている。学園設立当初、ある先生が絵の時間に生徒がカニを見たこともないのにカニを既成概念で書かせたことに怒られた。既成概念を押し付けるのではなく、子供達が見たまま、感じるまま書くことが大事という信念を貫かれている。私も「ねむの木学園」のホームページに掲載されている生徒の絵を観ましたが、どれも人間の暖かさを感じる素晴らしい絵ばかりでした。私も一枚手に入れて家で飾りたいと思うほどでした。
私の履歴書で印象に残った記述を三つほど記載します。一番目にまり子さんが外国の施設の勉強に行かれた時、ある施設の看護士が患者の部屋を出るとき患者の目をみたまま後向きに出られるのを見たとのこと。私も患者の立場から看護士さんが部屋を出られるとき、看護士さんの背中を見るより、自分をずっと見ているように部屋を出ていただくのがうれしいと思う。
二番目に印象に残ったのは、体の不自由な子を英語では「チャレンジチルドレン」とよぶとまり子さんはハワイで教えていただいたとのこと。素晴らしい表現だと思いました。体の不自由な子というだけで同情の目を向けてしまいますが、「チャレンジチルドレン」と言われれば未来に向かってこの子らはチャレンジしているという前向きなイメージを抱きます。
最後に吉永淳之介さんとまり子さんとの恋です。私が知ったのは、高校生の時に図書館で安岡章太郎さんの本を読んだとき、吉行淳之介さんと宮城まり子さんの事が書かれていたので知りました。安岡さんは吉永さんの親友です。安岡さんと吉永さんがいるところにまり子さんがメロンを持参して訪ねてきたという話でした。その時、吉行さんは結婚されていたのでまり子さんとは愛人関係でした。私はなぜ吉行さんのような色男がさしてきれいでもないまり子さんと愛人関係なのかよくわかりませんでした。今でもこれほど愛しつづけた二人が結婚できなかったのかよくわかりません。現代でも奥様が離婚に同意されなければ離婚はむつかしいのかな思いました。吉行さんと奥様の事情はぜんぜんしりません。ただ吉行さんとまり子さんは、ほんとうに愛しあった二人で夫婦よりも絆は強いと思われます。お互いになくてはならない永遠の恋人でしょう。すばらしい。
宮城まり子さんのように子供達を愛し、信じて教育を実践してきた人に文部省の教育方針のアドバイザーとして活躍していただければ、日本の学校教育も少しはよくなるのではないかと思ってしまいます。まり子さんは忙しい人だからとても無理だとは思いますが。