団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

「中部圏知事アンケート」の結果が載っていた。

2009-06-28 07:04:00 | 日記
今朝の中日新聞に「中部圏知事アンケート」の結果が載っていた。
どんなアンケートかというと、最近の東国原知事や橋下知事の国政に物申す風潮に関してのアンケートで、
① 橋下グループに参加するか
② 地方分権に国政の力は必要か
③ 東国原知事の国政転身をどう思うか

私の想像した通り、滋賀県の女性知事以外は消極的な意見でした。
やはり橋下知事が怒られた、国から訳の分からない請求がきても黙って支払うだけの知事達ではある。
中部圏の知事は、元官僚出身という方が多い。地味すぎる知事ばかりで、革新的な要素が少ない。よく言えば無難な政治家、悪く言えば役人体質そのものの人達だと思う。そんな人達を当選させている私達も保守的な考え方の人が多い。
中部圏は産業は革新的な物を作っている、知事も名古屋の河村市長に続くような世間が驚くような革新的な人物が生まれて欲しい。
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南沙織さんは可愛い!

2009-06-26 11:12:00 | 日記
またYouTubeの話になりますが、南沙織さんが引退後、1991年13年ぶりに復帰し、紅白歌合戦で♪色づく街 ♪を歌っている動画を最近観ています。この♪色づく街 ♪という歌も好きでしたが、恐らく30代後半と思える南沙織さんが可愛い!眼が特に可愛いですね!
♪17才♪を歌っていた頃も可愛いかったけど、大人になっている南沙織さんの方がより魅力的に思える。
その後、18年経過して50代になられていると思うが、いまだにきれいで可愛いいと推察する。
ぜひ再び復帰して、コンサート活動をして欲しいと思います。
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♪20才のめぐり逢い ♪

2009-06-26 07:41:00 | 日記
最近 YouTubeで、シグナルの♪20才のめぐり逢い ♪をよく聴きます。
この歌、初めて聴いた筈なのに以前から知っている曲に思えます。
1975年に作られたということですから、今から34年前 私が28歳の頃ですから結婚はしていたと思います。
意識していないのに、どこかで聴いていて覚えていた!そんな曲が♪20才のめぐり逢い ♪ではないかと思います。
またまたYouTubeでなつかしい曲を見つけることが、出来ました。感謝!
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家内をえらく誉められました!

2009-06-23 19:27:00 | 日記
先週の土曜日、家内と散歩途中にアルバイト先で一緒に仕事している女性に出会いました。ちょうど車で自宅に帰られたところでした。
私が「XXさん、今日は!」と言ったところ、「奥さん、えらい痩せてみえるね!」と家内を見ていわれたら、家内が「私の分まで主人が肉を持っていってしまうので。」と言った会話を交わしてその場を後にしました。
今朝、仕事場でXXさんにお会いしたら、「娘さんのような奥さんね!」と言われるのです。家内を誉めてくださるのはうれしいのですが、これは余りにいきすぎですので、「それは言いすぎだよ!」と言いました。家内が私の娘に見えるということは、いくら家内が若く見えるとしても、私は幾つに見えるだろうか?と心配になってしまいました。
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父は生きている

2009-06-21 06:49:00 | 日記
今日は父の日です。
何で知ったか忘れましたが、”人は二度死ぬ”、一度目は肉体が滅びる“肉体としての死”、二度目の死は“すべての人の記憶から消えたとき”という言葉です。
それで言えば、私の父親は生きています。
父はいろいろ問題もありました。が、子供に対してフランクな人でした。
父に一番感謝しているのは、3~4歳の頃、父親にこずかいとして5円玉を貰った時、何気なく口に入れてしまいました。
記憶は定かでないですが、私を逆立ちにして、近くの病院まで走って運んでくれたことを覚えています。
お蔭様で飲み込んだのが5円玉だったので、真ん中に穴が開いており、呼吸をすることが出来たので助かりました。
5円玉は翌日、便と一緒に出てきたように思います。
又、父親は洋品雑貨を営んでいましたので、私を自転車の後に乗せ、良く仕入れに連れて行きました。
帰りには私が歌謡曲が好きでしたので、いつもレコードを買ってくれた気がしています。
当然、そのレコードの山は残っていませんが、百枚近くはあったような気がしています。
私は死ぬまで父親を忘れないので、まだまだ父親は生き続けると思います。
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