今朝の中日新聞に東日本大震災で児童百八人のうち七十四人が犠牲となった宮城県石巻市の大川小学校。
六年生だった長男大輔君=当時(十二)を亡くした今野ひとみさん(四十一)は息子の最後の言葉を知り、一年がたとうとしても悲しみと疑念が消えない。
台所に立つと腰に抱きつき、つまみ食いをする食いしん坊だった。「大ちゃん、ごはんいっぱい食べてる?何が食べたいの」。
今もつぶやきながら、仮設住宅で料理を作る。夫 浩行さん(五十)と二人分のはずが、つい作りすぎてしまう。
昨年三月十一日。地震が起きると、大川小の教師は校庭に児童を四十分間待たせ、避難先を相談した。
学校に近い橋の方へようやく移動を始めた直後、北上川を逆流する波にのまれた。
十一人の教師も助かったのは一人だけだった。
大輔君は六日後、裏山のふもとで他の男子と折り重なるように見つかった。眠っているように、きれいな顔。
今野さん宅も流され、家にいた高校三年の長女 麻里さん=当時(十八),二年の次女 理加さん=同(十七),義父母も亡くした。
「家族を失ったのはうちだけじゃない。あきらめるしかねえんだな」。そう言い聞かせようとした時、助かった同級生から大輔君の言葉を知った。
「山に逃げっぺ」。
いつまでも決断できない教師に、学校の裏山に登るように言った。
「先生も分からない」。
答えに「先生にも分かんねえのか」と食い下がったという。
大川小は津波の避難訓練をしたことがなく、避難場所も決めていなかった。
結局、山道のない裏山を登るのは危険と考え、津波が迫っていた川のそばへ向かう。
教師の誘導から離れ、裏山を登った数人の児童は助かった。大輔君も山へ向かったが、転んで波に流されたことも聞いた。
「もう少し、もう一歩早ければ、あの子は助かったんじゃ」
大川小の近くでは他の学校も被害を受けたが、三階まで津波が襲った相川小は児童を裏山へ避難させ、全員無事だった。
二階まで浸水した大川中も学校で犠牲者はいなかった。
時がたつにつれて分かる事実に、悲しみと疑念が膨らんでいく。
市教委と大川小は今年一月の説明会で「人災の面もあった」とようやく認めたが、なぜ避難が遅れたか不明な点は多い。今も情報を集めている。
仮設住宅の居間には亡くなった家族五人の遺影が並ぶ。三月に大川小で開く慰霊祭に間に合うよう、写真の大輔君に学生服を着せるよう地元の写真店に頼んだ。
「私の中では大ちゃんはずっと小学生のまま。でも、いつまでも小学生じゃかわいそうだなって。
成長した姿、見たかったなあ」
この記事を見て、先生の決断がもう少し早かったら助かったかも知れないと思うとやりきれない!
緊急時で40分も判断ができないのは.....。
分からないのなら携帯電話で消防署に聞くということはできなかっただろうか?
子供達も危険を感じて山に逃げることを進言したのに。
私は素直な子供でしたので、先生に従い行動したと思う。恐らく助からなかったでしょう。
先生に従わず裏山へ逃げた数人の子供達は助かったという。
この子らに聞きたい!どうして先生に従わず裏山に逃げたのと!
六年生だった長男大輔君=当時(十二)を亡くした今野ひとみさん(四十一)は息子の最後の言葉を知り、一年がたとうとしても悲しみと疑念が消えない。
台所に立つと腰に抱きつき、つまみ食いをする食いしん坊だった。「大ちゃん、ごはんいっぱい食べてる?何が食べたいの」。
今もつぶやきながら、仮設住宅で料理を作る。夫 浩行さん(五十)と二人分のはずが、つい作りすぎてしまう。
昨年三月十一日。地震が起きると、大川小の教師は校庭に児童を四十分間待たせ、避難先を相談した。
学校に近い橋の方へようやく移動を始めた直後、北上川を逆流する波にのまれた。
十一人の教師も助かったのは一人だけだった。
大輔君は六日後、裏山のふもとで他の男子と折り重なるように見つかった。眠っているように、きれいな顔。
今野さん宅も流され、家にいた高校三年の長女 麻里さん=当時(十八),二年の次女 理加さん=同(十七),義父母も亡くした。
「家族を失ったのはうちだけじゃない。あきらめるしかねえんだな」。そう言い聞かせようとした時、助かった同級生から大輔君の言葉を知った。
「山に逃げっぺ」。
いつまでも決断できない教師に、学校の裏山に登るように言った。
「先生も分からない」。
答えに「先生にも分かんねえのか」と食い下がったという。
大川小は津波の避難訓練をしたことがなく、避難場所も決めていなかった。
結局、山道のない裏山を登るのは危険と考え、津波が迫っていた川のそばへ向かう。
教師の誘導から離れ、裏山を登った数人の児童は助かった。大輔君も山へ向かったが、転んで波に流されたことも聞いた。
「もう少し、もう一歩早ければ、あの子は助かったんじゃ」
大川小の近くでは他の学校も被害を受けたが、三階まで津波が襲った相川小は児童を裏山へ避難させ、全員無事だった。
二階まで浸水した大川中も学校で犠牲者はいなかった。
時がたつにつれて分かる事実に、悲しみと疑念が膨らんでいく。
市教委と大川小は今年一月の説明会で「人災の面もあった」とようやく認めたが、なぜ避難が遅れたか不明な点は多い。今も情報を集めている。
仮設住宅の居間には亡くなった家族五人の遺影が並ぶ。三月に大川小で開く慰霊祭に間に合うよう、写真の大輔君に学生服を着せるよう地元の写真店に頼んだ。
「私の中では大ちゃんはずっと小学生のまま。でも、いつまでも小学生じゃかわいそうだなって。
成長した姿、見たかったなあ」
この記事を見て、先生の決断がもう少し早かったら助かったかも知れないと思うとやりきれない!
緊急時で40分も判断ができないのは.....。
分からないのなら携帯電話で消防署に聞くということはできなかっただろうか?
子供達も危険を感じて山に逃げることを進言したのに。
私は素直な子供でしたので、先生に従い行動したと思う。恐らく助からなかったでしょう。
先生に従わず裏山へ逃げた数人の子供達は助かったという。
この子らに聞きたい!どうして先生に従わず裏山に逃げたのと!