薬害エイズ裁判から20年以上の歳月が過ぎました。当事、初めて 実名を公表し、原告として闘ったのが川田龍平さんです。川田さんは、 社会を変えていくためには政治の場での発言が必要であると国政の場に 身を投じました。 しかし、その後の東日本大震災・福島第一原発事故の災禍で見たも のは、あれから何も変わっていないこの国の姿でした。放射能の被害から 子どもたちを救うために超党派で成立させた「子ども被災者支援法」な のに、なぜ国は支援計画を立てて予算化しないのでしょうか。そこには、 経済優先の政治が今尚まかりとおっている現実があります。 まつや清は、政令市議会議員に挑戦する前の2007年から 1年 間、川田龍平参議院議員の政策秘書を務めました。その後、3.11福 島第一原発事故の悲惨な現実を目の当たりにし、福島の子ども達を静 岡へ招く自然体験ツアー「親子わくわくピクニック」実行委員会の共同代 表として活動して来ました。 川田さんは、今夏の参議院選挙に 立憲民主党の全国に挑戦されます。 日本の未来を担う子どもたちの「いの ち」を守るために、私たちは何が出来 るのかを考えます。
薬害エイズ裁判から20年以上の歳月が過ぎました。当事、初めて 実名を公表し、原告として闘ったのが川田龍平さんです。川田さんは、 社会を変えていくためには政治の場での発言が必要であると国政の場に 身を投じました。 しかし、その後の東日本大震災・福島第一原発事故の災禍で見たも のは、あれから何も変わっていないこの国の姿でした。放射能の被害から 子どもたちを救うために超党派で成立させた「子ども被災者支援法」な のに、なぜ国は支援計画を立てて予算化しないのでしょうか。そこには、 経済優先の政治が今尚まかりとおっている現実があります。 まつや清は、政令市議会議員に挑戦する前の2007年から 1年 間、川田龍平参議院議員の政策秘書を務めました。その後、3.11福 島第一原発事故の悲惨な現実を目の当たりにし、福島の子ども達を静 岡へ招く自然体験ツアー「親子わくわくピクニック」実行委員会の共同代 表として活動して来ました。 川田さんは、今夏の参議院選挙に 立憲民主党の全国に挑戦されます。 日本の未来を担う子どもたちの「いの ち」を守るために、私たちは何が出来 るのかを考えます。