イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「渚の思想」読了

2020年03月13日 | 2020読書
谷川健一 「渚の思想」読了

著者は日本の海岸線が自然の状態ではなくなり、コンクリートに覆われてしまったことを嘆いている。昭和53年時点で日本の海岸線の49パーセントしか自然の海岸が残っていなかったそうだ。
古来からの渚と日本人のかかわりをもう一度見直そうというか、記録にとどめておきたいというのがこの本の趣旨だ。

日本人と渚の関係の基本は沖縄から日本中に伝わったと著者は考えておりこの本にも沖縄での渚にまつわる伝承や風習の紹介が多い。

そのひとつは、現世と来世の境界線の役割を渚が担っていたというものだ。沖縄ではニライカナイの伝承があり、その他の日本各所でも常世という思想がある。人は常世と現世を行ったり来たりするという輪廻の考えだ。遠い昔、女性が子を産む場所は海岸であったそうだ。産屋を立ててそこで生む。生んだ後の女性は家に戻る前に塩水で体を清め、あるいは赤子の顔を塩水でふくことで清める。
墓も海に向かって建てる風習も各所にある。

また渚は様々なものを渚に寄せる。ヤシの実は童謡だが、クジラが打ち上げられたり海藻も打ちあがる。南の海では木材もそこから調達した。もちろん海岸は重要な漁場でもあるのだ。


この本の中にもうひとつ興味のあることが載っていた。それは「ドンガ」というものだ。僕の船を係留している港のそばにトンガの鼻というところがある。「トンガ」とは変わった名前で、太平洋のどこかにトンガ王国という国があるけれども、いくらなんでも太平洋の島々とは関係がないだろうと思っていたが、ヒントは奄美の風習にあった。
奄美では8月の行事の終わりの日を“ドンガ”と呼んだ。これは先祖の洗骨、改葬する日であった。そして収穫を終えた1年の終わりの日であったそうだ。
そんな風習が黒潮に乗って和歌山の地に流れ着いたとしても不思議ではない。きっとあの場所でそんな1年の終わりの儀式を海に向かってやっていたのかもしれない。

そしてもうひとつ、“ウブスナ”という言葉だ。父親が船を買った時、安全祈願のためには産土神社に行かねばならないと言い、どこで聞いてきたのかわからないが、加太の向こうの県境にある産土神社を探して一緒に参りに行ったことがある。変わった名前だと思っていたが、その語源は産屋の床に敷く砂のことであるかもしれないとこの本には書いてある。産屋に敷く砂だからウブスナだ。それは穢れを吸い取ってくれる砂であったらしい。
今思うと産土神社ってけっこういろいろなところにあってどうして加太の向こうに行かねばならなかったかという疑問はあるけれども父親も海では大きな事故(一度だけ木材のいかだを留めておく大きな杭にぶち当たって舳先を潰したことがあったが・・)もなく釣り人生を全うしたのだからそれはそれでご利益があったのかもしれない。

海岸が人工物でおおわれることにより人は渚から遠ざからざるおえなくなる。そうすると人は古くからの伝承を忘れてしまう。ただの伝承だといえばそれまでだが、それは自分たちの来し方そのものである。それを忘れてしまうことは自分の根っこを失うことと等しい。それは人が人でなくなるということではないかと思うのである。
何をバカなことを言っているのかと思う人は僕を笑えばいいが、そういうことは歳をとってくるほど身に染みてくる。
様々なことが忘れられていくのが今の世なのかもしれないが、僕はもっと知りたいと思う。
コメント
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