朝ドラの「スカーレット」が始まって、ぜひとも信楽を訪れたいと考えていたけれどもおそらく多分行くことがかなわないと思うので「スカーレット」に対する思いを書き留めておこうと思う。
ドラマがスタートする前はセーラー服の戸田恵梨香と異国人顔の北村一輝はどうも設定がおかしいのではないかと思っていたし、大阪NHKの制作で花の名前のタイトルとなるとこれは「カーネーション」の二番煎じを狙っているだけじゃないかと期待はまったくしていなかった。しかし、始まってからはなんともこのふたりを含めて絶妙のキャストであったと思えるようになってきた。
戸田恵梨香の出ていたドラマなんて見たことがなかったけれども、バラエティー番組でみる彼女はちょっと頭がおかしい人ではないかという印象しかなかった。しかし、このドラマでは一本筋が通った男気?のある性格をいい味を出して演じている。そして幼馴染の林遣都と大島優子がまたよい。これはのちほど書こうと思っているけれども、「おしん」との対比で考えてみるとなんだか奥深いものがありそうだ。
林遣都は「べっぴんさん」に出演していた時と比べれば180度どころか720度くらい違うイメージでキャストのきずなをまとめる役を演じている。そして大島優子はトップアイドルながら友達のいないお高く止まった女性の役を嫌味なく演じている。
脚本の水橋文美江は、このドラマを描くにあたって、「悪人は絶対出演させない。」と決めていたそうだ。荒木荘の人々も、信楽の人々もまさにその通りで、最初のうちはこの場面で現れるこの人は多分この人は悪役(例えば照子の夫、敏春や喜美子の後援会長)だと思いながら観ていたけれども、途中からは、そうだ、絶対にみんないい人なんだと心して観るようになった。
そんなドラマであるけれども、もうひとつの楽しみは小ネタがちりばめられているところである。小ネタというか多少ストーリーには関わってくるけれどもどうしてもこの場面は必要じゃないだろうという場面だ。最近では八郎が節分の鬼の面を被らされたところなどだが、これは脚本家の水橋文美江が「寺内貫太郎一家」や「ムー一族」を見て育った世代だからであろう。BK制作で吉本の芸人が多数出演しているからそっちの笑いかとも思うけれども僕は向田邦子の流れなのだと思っている。こういうところも僕らの世代にはうれしいところだ。
そしてもうひとつ注目したいのが、「おしん」との対比だ。BSでは連続して放送されることになったけれども、ヒロインを含めて女性ふたりと男性ひとりがものがたりの中心にいるという設定はまったく同じである。
喜美子、照子、信作の3人は最後まで家族の絆や人を思う時間の大切さ、そういうものを一番大切なものとして人生を送るけれども、おしん、加代、浩太は自分や家族を犠牲にした時代を憎み、そこから豊かになることを願った。クライマックス付近の年代も、おしんは昭和58年、スカーレットは昭和59年とほぼ同じ年代で終わることになるが同じ時代でも大きく物語は違うのである。
「芸術以外で、人の人生を豊かにするもんは何や? 人を思うことや。自分以外の、誰かの人生を思うことや。」これは元女優、小池アンリのセリフであるが、まさしくこれがスカーレットとおしんの陰と陽の対比を指摘している。おしんはまずお金がなければ人生は豊かになれないと思いながら人生をひた走ってきた。
水橋文美江が本当に同じ期間に放送される「おしん」を意識していたのかどうかはわからないけれども、僕にはそう思えて仕方がない。
あと、1週間あまりでこの物語も終わってしまう。最も気がかりなのは武志の病気が快復するかどうかだ。この物語のモデルになった陶芸家の神山清子の息子は残念ながら31歳で他界したそうだが、「悪人は絶対出演させない。」という脚本家の思いがあるのならそこまで事実に忠実にドラマを作らなくてもいいからなんとか武志を回復させてあげてほしい。
ついでに安田智也君もなんとかたすけてやってほしい。せめて、亡ってしまう前にドラマの最終話を迎えてほしいのだ。
水橋文美江さん、なんとかお願いします!!
そして、もうひとつふたつ・・・
富田靖子についてだ。僕が若いころ、ケンウッドというオーディオメーカーがあって、この頃、高校に合格するとステレオを買ってもらうというのが近所の習わしで、僕も少しだけ装置に興味があった頃のことだ。電気屋のカタログを漁っているとその表紙に、この人は誰!!と思うほどの美人が載っていた。それが富田靖子だった。名前くらいは知っていたが、こんなにかわいい人だったとは思わなかった。それ以来あんまりテレビには出てこなかったけれども、「はるが来た」で炭鉱夫の妻役をやっていたかと思ったら今回はヒロインの母親役である。僕も歳をとったが富田靖子も歳を取ったなと感慨と悲しさが入り混じるのであった。
そしてその夫、常治役の北村一輝の最後である。家族に囲まれて、「ほな、またな」と言って息を引き取るのであるが、家族に囲まれて死んでいくか、ひとりで死んでいくか・・・、マツのように気が付けばひとり穏やかな顔をして息を引き取るというのもこれはこれでドラマチックだが、これは大きな人生観の分かれ目になるのであるのではないかとひとり密かに思いをめぐらした。
こんなに無防備でやさしい人たちが暮らす信楽のまちとはいったいどんなところなのか、この目で確かめに行きたかったけれどもこれからの春のスケジュールを考えるとそれも叶わなくなった。それだけが心残りだ。ドラマが終わって町が少し落ち着いたころのまた訪問することを考えてみようかしら。
朝ドラを真剣に見るのもこれが最後になりそうで、次のドラマからは週5回の放送にもなるそうで、ハイビジョンでの撮影もこれが最後だそうだ。そういう意味では「なつぞら」よりもエポック的な作品といえるかもしれない。最後の最後にいいドラマを見ることができたのは僕にとっては至福のことであった。
ドラマがスタートする前はセーラー服の戸田恵梨香と異国人顔の北村一輝はどうも設定がおかしいのではないかと思っていたし、大阪NHKの制作で花の名前のタイトルとなるとこれは「カーネーション」の二番煎じを狙っているだけじゃないかと期待はまったくしていなかった。しかし、始まってからはなんともこのふたりを含めて絶妙のキャストであったと思えるようになってきた。
戸田恵梨香の出ていたドラマなんて見たことがなかったけれども、バラエティー番組でみる彼女はちょっと頭がおかしい人ではないかという印象しかなかった。しかし、このドラマでは一本筋が通った男気?のある性格をいい味を出して演じている。そして幼馴染の林遣都と大島優子がまたよい。これはのちほど書こうと思っているけれども、「おしん」との対比で考えてみるとなんだか奥深いものがありそうだ。
林遣都は「べっぴんさん」に出演していた時と比べれば180度どころか720度くらい違うイメージでキャストのきずなをまとめる役を演じている。そして大島優子はトップアイドルながら友達のいないお高く止まった女性の役を嫌味なく演じている。
脚本の水橋文美江は、このドラマを描くにあたって、「悪人は絶対出演させない。」と決めていたそうだ。荒木荘の人々も、信楽の人々もまさにその通りで、最初のうちはこの場面で現れるこの人は多分この人は悪役(例えば照子の夫、敏春や喜美子の後援会長)だと思いながら観ていたけれども、途中からは、そうだ、絶対にみんないい人なんだと心して観るようになった。
そんなドラマであるけれども、もうひとつの楽しみは小ネタがちりばめられているところである。小ネタというか多少ストーリーには関わってくるけれどもどうしてもこの場面は必要じゃないだろうという場面だ。最近では八郎が節分の鬼の面を被らされたところなどだが、これは脚本家の水橋文美江が「寺内貫太郎一家」や「ムー一族」を見て育った世代だからであろう。BK制作で吉本の芸人が多数出演しているからそっちの笑いかとも思うけれども僕は向田邦子の流れなのだと思っている。こういうところも僕らの世代にはうれしいところだ。
そしてもうひとつ注目したいのが、「おしん」との対比だ。BSでは連続して放送されることになったけれども、ヒロインを含めて女性ふたりと男性ひとりがものがたりの中心にいるという設定はまったく同じである。
喜美子、照子、信作の3人は最後まで家族の絆や人を思う時間の大切さ、そういうものを一番大切なものとして人生を送るけれども、おしん、加代、浩太は自分や家族を犠牲にした時代を憎み、そこから豊かになることを願った。クライマックス付近の年代も、おしんは昭和58年、スカーレットは昭和59年とほぼ同じ年代で終わることになるが同じ時代でも大きく物語は違うのである。
「芸術以外で、人の人生を豊かにするもんは何や? 人を思うことや。自分以外の、誰かの人生を思うことや。」これは元女優、小池アンリのセリフであるが、まさしくこれがスカーレットとおしんの陰と陽の対比を指摘している。おしんはまずお金がなければ人生は豊かになれないと思いながら人生をひた走ってきた。
水橋文美江が本当に同じ期間に放送される「おしん」を意識していたのかどうかはわからないけれども、僕にはそう思えて仕方がない。
あと、1週間あまりでこの物語も終わってしまう。最も気がかりなのは武志の病気が快復するかどうかだ。この物語のモデルになった陶芸家の神山清子の息子は残念ながら31歳で他界したそうだが、「悪人は絶対出演させない。」という脚本家の思いがあるのならそこまで事実に忠実にドラマを作らなくてもいいからなんとか武志を回復させてあげてほしい。
ついでに安田智也君もなんとかたすけてやってほしい。せめて、亡ってしまう前にドラマの最終話を迎えてほしいのだ。
水橋文美江さん、なんとかお願いします!!
そして、もうひとつふたつ・・・
富田靖子についてだ。僕が若いころ、ケンウッドというオーディオメーカーがあって、この頃、高校に合格するとステレオを買ってもらうというのが近所の習わしで、僕も少しだけ装置に興味があった頃のことだ。電気屋のカタログを漁っているとその表紙に、この人は誰!!と思うほどの美人が載っていた。それが富田靖子だった。名前くらいは知っていたが、こんなにかわいい人だったとは思わなかった。それ以来あんまりテレビには出てこなかったけれども、「はるが来た」で炭鉱夫の妻役をやっていたかと思ったら今回はヒロインの母親役である。僕も歳をとったが富田靖子も歳を取ったなと感慨と悲しさが入り混じるのであった。
そしてその夫、常治役の北村一輝の最後である。家族に囲まれて、「ほな、またな」と言って息を引き取るのであるが、家族に囲まれて死んでいくか、ひとりで死んでいくか・・・、マツのように気が付けばひとり穏やかな顔をして息を引き取るというのもこれはこれでドラマチックだが、これは大きな人生観の分かれ目になるのであるのではないかとひとり密かに思いをめぐらした。
こんなに無防備でやさしい人たちが暮らす信楽のまちとはいったいどんなところなのか、この目で確かめに行きたかったけれどもこれからの春のスケジュールを考えるとそれも叶わなくなった。それだけが心残りだ。ドラマが終わって町が少し落ち着いたころのまた訪問することを考えてみようかしら。
朝ドラを真剣に見るのもこれが最後になりそうで、次のドラマからは週5回の放送にもなるそうで、ハイビジョンでの撮影もこれが最後だそうだ。そういう意味では「なつぞら」よりもエポック的な作品といえるかもしれない。最後の最後にいいドラマを見ることができたのは僕にとっては至福のことであった。