金子民雄「ルバイヤートの謎 ペルシア詩が誘う考古の世界」読了
ペルシャの時代、ルバイヤートという四行詩集があるということを新聞の記事で知った。日本でいうところの短歌のようなものであるらしい。一、二、四行目に韻を踏むというのが特徴である。
ルバイヤートというのは、「ルバーイイ」の複数形で、一般的にはオマル・ハイマールという詩人が書いた詩集を指すそうだ。
なぜこの詩集に興味を持ったのかというと、お酒を称えた内容が多いと書いてあったからで、禁酒の戒律があるイスラムの国にどうしてお酒を称えた詩が生まれたのか、そして僕の目に留まるほどどうして有名になったのかというのを知りたくなった。
日本語に訳されたルバイヤートを読んでみようと思ったのだが、その前にルバイヤートについて解説された本を読んでみようとこの本を手に取ってみた。
ルバイヤートはもともとオマル・ハイマールが公表するつもりもなく私的に書いていたもので、それが友人の間で口伝で伝わったと考えられるが、どうして人に知られるようになったかというのは謎のままだ。その後、900年以上も日の目を見ることはなかった。
世界に知られるようになった最初はイギリスの詩人エドワード・フィッツジェラルドが英訳をして出版したものからだった。ここから世界中に広まってゆくのだが、このエピソードが面白い。フィッツジェラルドは最初250部を自費出版したが全く売れなかった。仕方がないので古本屋に並べ始めてから売れ始めたという、機動戦士ガンダムのヒットのような道を歩むことになる。名作は最初は理解されないのだ・・。
1923年、母国語のペルシャ語で書かれ、真作として選定された143篇の詩が掲載されたルバイヤートがサディク・ヘダーヤトの編集で出版された。これがのちに世界中の言葉で翻訳される底本となってゆく。
作者のオマル・ハイマールは、今のイラン、当時のペルシャのニシャプールという都市で生まれた。11世紀の終わりから12世紀の初めにかけて生きた人らしい。
詩人が職業ではなく、天文学者、数学者として当時のスルタンに仕えていたそうで、3次方程式の解き方を発明したり、イスラム歴を作ったという、西洋で言えばレオナルドダヴィンチ、日本で言えば平賀源内というような人であった。
これはのちの憶測ではあるが、イスラム教の厳格な教義になじめず、自由を求めた人であったのではないかと言われている。ひとつはお酒や女性との交わりを制限されること、そして学問についても自由に学ぶことができず、この時代は科学や芸術の中心が中東世界からヨーロッパに移っていく頃に当たっているのであるがそのことに対する失望感を持っていた。
密かに語り継がれたのには厳格な教義に反対するスーフィーという秘密結社の存在も貢献したのかもしれないというのも筆者の見解である。
ルバイヤートには酒、女性、花が題材になった詩が多数収められているけれども、恋に夢中になったり、人生の楽しみを語りかけるようなものはまったく見られない。実は暗い現実をじっと見つめているような、この世の移ろいやすさ悲しさを訴えてくるものばかりなのである。
それは厳格な教義に対する反抗の表れであり、学問の欲求に対する不満や恨み節、嘆きのようなものがこのルバイヤートには込められている。さらにそれは宗教を指導する人、為政者たちへの反骨心へともつながってゆく。同じ思いを持った人たちはたくさんいたのだろう。それがのちに1000篇を超える贋作の元になる。世間に対する不平不満を詩にしたものの多くがオマル・ハイマールが創ったものとされてしまったのだ。
そんな内容の詩がきっと僕みたいな社会から落ちこぼれたけれども開き直ることができない男たちに染みこんできたのだと思う。
僕の友達が仕えるボスの話を書こう。ボスといってもはるか雲の上の人なのであるが、あるとき事務所を訪れて“法〇”という名字の新入社員をつかまえて、
「君の名前は“ノリ△〇”クンと読むのか。」と聞いたそうだ。
彼は、
「いえ、“ホウ△〇”と言います。」
と言いったのだが、そのあとボスはこう自慢したらしい。
「君、法という字は“ノリ”とも読むのを知っているか?なかなか知ってるひとはいないぞ。僕はものすごく漢字をよく知っているだろう。(このひと、「ものすごく」が口癖なのだそうだ)」
よく知っているもなにもこんな読み方誰でも知っているのじゃないか。それを自慢するとはこの人はよほどのおバカではないかと呆れてしまった。冗談にしては突っ込みようのないお言葉であったと彼は笑っていた。
ゴミくずのようなものなのにどうしたらそんなに高額な値付けになるのかというものを買って満足する客を相手にそいつらの懐具合を舌なめずりしながら窺っているような人間のしゃべりそうな言葉だ。向こうも下品ならこっちも下品だ。そこにはリベラルアーツという言葉は出てこない。
韜晦ってどう読むか知ってますか。と聞いたらちゃんと答えてくれるボスであってくれとひたすら願うのだ。ついでに意味も噛みしめてくれと言っていた。
そう言えば、僕の勤務していた事務所に月1回訓示を垂れにやって来る子ボスも、多分ひと月かけて必死で探してきたのであろう何を言いたいのかわからない自分では箴言だと思っているエピソードをのたまうが去年拝聴した1年分の何ひとつ思い出すことができないほど薄っぺらいものだった。
きっとそんなことを腹の中で思っている人たちのあいだで長く語り継がれた詩集だというのがこのルバイヤートであったのだろう。
詩集はいちばんたくさん掲載されていても新たに92篇がオマル・ハイマールの策として加わった数らしいからそれほど頭を悩ませずに読むことができるかもしれない。今度は詩集として編集されているルバイヤートを探して読んでみたいと思う。
ペルシャの時代、ルバイヤートという四行詩集があるということを新聞の記事で知った。日本でいうところの短歌のようなものであるらしい。一、二、四行目に韻を踏むというのが特徴である。
ルバイヤートというのは、「ルバーイイ」の複数形で、一般的にはオマル・ハイマールという詩人が書いた詩集を指すそうだ。
なぜこの詩集に興味を持ったのかというと、お酒を称えた内容が多いと書いてあったからで、禁酒の戒律があるイスラムの国にどうしてお酒を称えた詩が生まれたのか、そして僕の目に留まるほどどうして有名になったのかというのを知りたくなった。
日本語に訳されたルバイヤートを読んでみようと思ったのだが、その前にルバイヤートについて解説された本を読んでみようとこの本を手に取ってみた。
ルバイヤートはもともとオマル・ハイマールが公表するつもりもなく私的に書いていたもので、それが友人の間で口伝で伝わったと考えられるが、どうして人に知られるようになったかというのは謎のままだ。その後、900年以上も日の目を見ることはなかった。
世界に知られるようになった最初はイギリスの詩人エドワード・フィッツジェラルドが英訳をして出版したものからだった。ここから世界中に広まってゆくのだが、このエピソードが面白い。フィッツジェラルドは最初250部を自費出版したが全く売れなかった。仕方がないので古本屋に並べ始めてから売れ始めたという、機動戦士ガンダムのヒットのような道を歩むことになる。名作は最初は理解されないのだ・・。
1923年、母国語のペルシャ語で書かれ、真作として選定された143篇の詩が掲載されたルバイヤートがサディク・ヘダーヤトの編集で出版された。これがのちに世界中の言葉で翻訳される底本となってゆく。
作者のオマル・ハイマールは、今のイラン、当時のペルシャのニシャプールという都市で生まれた。11世紀の終わりから12世紀の初めにかけて生きた人らしい。
詩人が職業ではなく、天文学者、数学者として当時のスルタンに仕えていたそうで、3次方程式の解き方を発明したり、イスラム歴を作ったという、西洋で言えばレオナルドダヴィンチ、日本で言えば平賀源内というような人であった。
これはのちの憶測ではあるが、イスラム教の厳格な教義になじめず、自由を求めた人であったのではないかと言われている。ひとつはお酒や女性との交わりを制限されること、そして学問についても自由に学ぶことができず、この時代は科学や芸術の中心が中東世界からヨーロッパに移っていく頃に当たっているのであるがそのことに対する失望感を持っていた。
密かに語り継がれたのには厳格な教義に反対するスーフィーという秘密結社の存在も貢献したのかもしれないというのも筆者の見解である。
ルバイヤートには酒、女性、花が題材になった詩が多数収められているけれども、恋に夢中になったり、人生の楽しみを語りかけるようなものはまったく見られない。実は暗い現実をじっと見つめているような、この世の移ろいやすさ悲しさを訴えてくるものばかりなのである。
それは厳格な教義に対する反抗の表れであり、学問の欲求に対する不満や恨み節、嘆きのようなものがこのルバイヤートには込められている。さらにそれは宗教を指導する人、為政者たちへの反骨心へともつながってゆく。同じ思いを持った人たちはたくさんいたのだろう。それがのちに1000篇を超える贋作の元になる。世間に対する不平不満を詩にしたものの多くがオマル・ハイマールが創ったものとされてしまったのだ。
そんな内容の詩がきっと僕みたいな社会から落ちこぼれたけれども開き直ることができない男たちに染みこんできたのだと思う。
僕の友達が仕えるボスの話を書こう。ボスといってもはるか雲の上の人なのであるが、あるとき事務所を訪れて“法〇”という名字の新入社員をつかまえて、
「君の名前は“ノリ△〇”クンと読むのか。」と聞いたそうだ。
彼は、
「いえ、“ホウ△〇”と言います。」
と言いったのだが、そのあとボスはこう自慢したらしい。
「君、法という字は“ノリ”とも読むのを知っているか?なかなか知ってるひとはいないぞ。僕はものすごく漢字をよく知っているだろう。(このひと、「ものすごく」が口癖なのだそうだ)」
よく知っているもなにもこんな読み方誰でも知っているのじゃないか。それを自慢するとはこの人はよほどのおバカではないかと呆れてしまった。冗談にしては突っ込みようのないお言葉であったと彼は笑っていた。
ゴミくずのようなものなのにどうしたらそんなに高額な値付けになるのかというものを買って満足する客を相手にそいつらの懐具合を舌なめずりしながら窺っているような人間のしゃべりそうな言葉だ。向こうも下品ならこっちも下品だ。そこにはリベラルアーツという言葉は出てこない。
韜晦ってどう読むか知ってますか。と聞いたらちゃんと答えてくれるボスであってくれとひたすら願うのだ。ついでに意味も噛みしめてくれと言っていた。
そう言えば、僕の勤務していた事務所に月1回訓示を垂れにやって来る子ボスも、多分ひと月かけて必死で探してきたのであろう何を言いたいのかわからない自分では箴言だと思っているエピソードをのたまうが去年拝聴した1年分の何ひとつ思い出すことができないほど薄っぺらいものだった。
きっとそんなことを腹の中で思っている人たちのあいだで長く語り継がれた詩集だというのがこのルバイヤートであったのだろう。
詩集はいちばんたくさん掲載されていても新たに92篇がオマル・ハイマールの策として加わった数らしいからそれほど頭を悩ませずに読むことができるかもしれない。今度は詩集として編集されているルバイヤートを探して読んでみたいと思う。