イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「文豪たちの悪口本」読了

2021年03月09日 | 2021読書
彩図社文芸部 「文豪たちの悪口本」読了

「人は心の中に思っていないことは口には出さない。」そう書いていたコラムニストがいた。ましてや文章にも書かないということになる。そうなると、この本に登場する文人たちは相当ひねくれた性格の人たちであるようだ。
元々、作家という人たちはステレオタイプな見方だろうけれども、自己破滅的、自己中心的そういった印象がある。とくに明治の終わりから昭和の初めにかけての作家たちというのはなかなかの人たちが揃っているような気がする。

おそらく、今ではコンプライアンス、ジェンダー、個人情報、何を取っても完全にアウトなことばかりが収録されている。
日記や手紙、これも作家たちもよもや今の時代まで人目に晒され続けると思って書いているわけではない(幾人かは後世に人目に触れると想定して書いていたということもあるらしいが。)からえげつないことを書くというのもあるけれども、雑誌や新聞の記事を通してバトルを繰り返す段になってくると、よくここまで他人の悪口を書いたものだとなってくる。
菊池寛と今東光のバトルもえげつないし、太宰治が文芸通信(文藝春秋社)に掲載している川端康成に対する非難はどう見てもひとりよがりだ。芥川賞が欲しくて仕方がない作家の悪口雑言を文藝春秋社の雑誌が掲載するというのも無法地帯だ・・。
その太宰治は自殺をする数日前まで志賀直哉への悪口雑言をしたためた原稿を書いていたそうだが、そんなエネルギーを持っている人が自殺なんてするもんなんだとなんだか感心してしまう。それにしても太宰治は誰にでも噛みつくひとだったようだ。
中原中也も太宰治に引けを取らないどうにもひどい人の双璧だったようだ。いろいろな人が迷惑を被っていたそうだ。酒癖の悪さと生活力のなさについては、今の時代に生きていたとすれば多分どうしようもないというところだろう。昔は生きてゆくにもそれほどお金が必要ではなく、人々も寛容であったということだろう。
そして、中原中也という人は、あの純真そうな写真とは裏腹の腹黒さには写真家の撮影能力がすごいのか人は見掛けで判断してはいけないという典型なのか、チキンなくせに誰かれなく食って掛かってくるなんて、絶対に友達ができない典型だろう。あの時代だから見捨てられずに生きて行けたのだからこの人はきっと幸せだったのだろうと思ったりしてしまう。(それほど長生きはしなかったそうだが、それも含めてきっと幸せだったのだろう。)

永井荷風の日記もすごい。そのタイトルは、「断腸亭日乗」というらしいが、国語の教科書や歴史の文学史には必ず出てくる人の割には人を人とも思わない書き方というのはどうなんだろう。こんなことが暴露されていて、今でも教科書に載っているのだろうか。この本では菊池寛ばかりを攻めている部分を抜き出しているがこの日記にはいろんな人の悪口も書かれているそうだ。そんなものを教科書に載せてもいいのだろうか・・。

宮武外骨というひとは、今でいうなら東スポみたいな雑誌を発行していたひとだそうだ。誰が成金だなどと下世話なことを書いては人気を博していたそうだが、多分、大した裏も取らずに書いていて、これも今ではすぐに裁判沙汰になってしまうような内容だ。
この時代は媒体も少なかったからこういったものが庶民の娯楽の中心を占めていたのだろうけれどもやはり寛容であったのだろうという感想しか出てこない。

今だにこんなことをやっている人たちはいるのだろうかと思いを巡らせると、そういえば、政治家の皆さんがいた。堂々と他人の悪口を言っているかと思ったら、日ごろのオイタが見つかって逆につるし上げを喰らったりっていうのは、まったくこの本の登場人物そのものだ。こういう人たちも生きづらいというのは、やっぱり今の時代は寛容という言葉が失われてしまった時代だということなのだろうなとつくづく思うのだ。


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