イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「ロバート・フック ニュートンに消された男 」読了

2021年03月22日 | 2021読書
中島秀人 「ロバート・フック ニュートンに消された男 」読了

前に読んだ本の中に、ニュートンはかなり腹黒い人であったということが書かれていた。そしてそのとばっちりを一番受けた人がこのロバート・フックであったらしい。
この本は、そのロバート・フックという人はどんなひとであったかということを書いた本である。
ロバート・フックもニュートンもともにイギリス人なのだが、イギリスには1660年から活動が始まった王立協会という科学者の殿堂のような組織があり、二人ともそこの会員であった。それぞれ要職を占めていたけれども、フックの死後会長となったニュートンは協会に残っていたフックにまつわるものをことごとく排除し、そのおかげでフックは世の中から忘れ去られてしまったのであるというのである。

では、ロバート・フックというひとはどんな人であったか。1635年にグレートブリンテン島の南の端にあるワイト島という島に生まれた。ちなみにニュートンは7歳年下になる。
小さいころから手先が器用で、それが認められボイルの法則で有名なロバート・ボイルの実験助手になる。そこから王立協会の実験主任、王立協会幹事、評議委員と要職を歴任することになる。
当時のヨーロッパでは、科学者というのは名誉職であり、大体は金持ちの道楽でありそこから収入を得る人とというのは稀であったそうだが、フックはその能力が認められ、専業で協会から給料をもらって実験主任をしていたそうだ。王立協会では会合の時には必ず科学実験が行われたのであるがフックがいなければこの会合は続かなかっただろうと言われていたほどであった。

その功績は多岐にわたって、「17世紀のレオナルド」といわれたそうである。
一般的には、初めて“細胞”を顕微鏡で見た人で、cell(英語で細胞という意味)という単語を作った人とか、フックの法則(1本のばねを10センチ伸ばす力で同じばねを2本つなげて伸ばすと20センチ伸びるというやつ。)というのが知られているが、そのほかにも、望遠鏡を作ったり、1666年のロンドン大火のあとでは都市計画や建造物の設計もやったそうだ。身近な例では、僕も先代の翠勝丸で使っていたユニバーサルジョイントもこの人が開発にかかわっていたそうだ。その他にも既存の技術を改良して社会生活の向上に貢献している。
生物学から物理学、建築までと幅広い功績が、「17世紀のレオナルド」といわれる所以であるけれども、性格はというとけっこう嫉妬心と名性欲が強かったらしい。その性格が災いしてのちにニュートンとの確執を生むことになるのである。

まず最初のニュートンとの確執は望遠鏡にある。フックは手先が器用と書いたが、レンズを磨いて自分で望遠鏡も作っていた。望遠鏡自体はガリレオのころからあったが、当時はレンズを正確に磨こうとすると球面レンズしか磨けず、このレンズは光の屈折率が色によって異なるので虹の隈みたいなものができてしまう。それを解消するには鏡筒の長い望遠鏡が必要になるのだけれどもニュートンは屈折式の望遠鏡を考案して王立協会にデビューした。
フック自身は長い鏡筒の望遠鏡の開発に対して強い自信があるものだから、俺もそんなものは知っているが使い物にならないとぼろくそに批判をする。確かにニュートンが開発した当時の望遠鏡に使われた反射鏡というのは精度と明るさについては天体観測をするにはかなり性能が悪かったというのも事実であったそうだ。

次の確執は光についてだった。ニュートンは粒子説を唱えたのに対して、フックは波動説を唱えた。今では光というのは粒子の性質も波動の性質も持っているということが知られているが当時は真っ向から対立する考えであったのだ。そして、その粒子説のヒントになる光の干渉による現象はフックがかつて出版していた「ミクログラフィア(細胞のスケッチが掲載されている本)」掲載されていたものであり、それをニュートンも認めていたということでフックは批判を強めた。
それよりも、ニュートンもフックもこの時代に光に対してそんな考え方を当てはめることができただけで僕はすごいと思うのだ。

そして、極めつけは万有引力の法則に対してだ。ニュートンといえばこの法則を見つけたということを誰でも知っているほどだが、1687年にプリンキピアが出版されたとき、この考えはもとはといえば自分が考え出したことでニュートンとはそれを盗んだのだといい始めた。
そこまで言うかとは思うのだが、それにも一理あって、フックがニュートンに送った手紙の中にそのヒントになる考え方が掲載されていて、たしかにニュートンもそれをヒントに考えを推し進めたことを認めている。しかし、それを数式で表すことができたのはニュートンのほうであったのだ。だからニュートンにしてみても、俺が見つけたはずなのに!となる。プリンキピアは王立協会が出版元になっているものだからフックはへそを曲げ、ニュートンのほうもフックが怖いので出版をためらっていたけれどもその仲立ちをしたのがハレー彗星の発見者であるエドモンド・ハレーであったというのだから王立協会というところはものすごい人材の宝庫であったのだ。
ちなみに、プリンキピアは協会の財政難と、書かれた内容がけっこう聖書の考えに反しているということでハレーの自費で出版された。この人はとことん優しい人だ。
ニュートンも当初の原稿ではフックやその他の先人のおかげでこの法則を発見できたと書いていたが、フックの批判がどんどんひどくなってくると怒りが爆発してそういった個所をすべて消してしまったそうだ。

結局、プリンキピアの出版は世界的な反響を呼びニュートンのほうの名声がフックを上回ってしまった。それでもニュートンはフックが怖くて協会へはあまり出入りできなかったというのだからフックという人も怖い人だったのだろう。フックのほうもこのこの頃には評議委員という要職に就いていた。
ニュートンはその後国会議員にも選出される。

その後、1703年にフックは死に、同じ年にニュートンは王立協会の会長に就任した。1705年には王立協会が当時使っていたグレシャム・カレッジの建物建物が老朽化し移転する際にニュートンはフックに関するすべてのものを排除したというのである。その時に肖像画もなくなってしまい、今ではフックがどのような顔をしていたかがわかる資料はまったく残っていなう。著者はフックの肖像画を燃やしているニュートンの姿を想像して戦慄を覚える。ニュートンはニュートンでえらい恨みを抱いていたようだ。

ニュートンは死後、ウエストミンスター寺院のひときわ目立つところに葬られているけれども、フックはセントヘレン教会という教会に葬られたが、今では教会のどこに葬られているのかは誰も知らないという。

著者はこのふたりの運命の違いを実験科学から理論化学への転換期の時代であったということに求めている。フックやニュートンが生きた時代のイギリスはピューリタン革命から名誉革命の時代であった。
ピューリタン革命によって一般人の生活の向上に役立つ実学は注目された。その中でフックのような実験科学は人々から受け入れらた。実際、王立協会が設立された主旨のひとつも商業や農業の改善のための取り組みであった。この協会の出資者たちがそういった実業家や資産家であったことでもわかる。
しかし、名誉革命ののち、再び権威主義というものが復活したとき、誰もが理解できる学問は都合が悪くなった。一般人が理解できない難しい学問が難しいからという理由で尊重される時代に変わった。それが権威というのである。そんなときにニュートンの高度な科学は時代に即した学問になったのである。そういう時代の変化の中でフックは忘れ去られる運命にあった。
現代でも同じであるが、人間というものは権威に弱く実学的なものは軽視される。ノーベル賞には物理学賞はあるけれども工学賞はない。それが権威主義というものが今でも続いているということを物語っているのだというのが著者の考えだ。

別の味方をすると、老害のなせるわざとも言えるのではないかとも思う。プリンキピアが出版されたとき、ニュートンは45歳でフック52歳。現代では52歳といえばまだまだこれからという年齢なのかもしれないが当時ではもう寿命に近かったはずだ。これだけの事績を残した人でも後ろから追いつき追い越してくる人に対して嫉妬心があったのだろう。
先輩の業績を無き物にしてやろうと躍起になるニュートンもどっちもどっちだと思うが老害というものも今に続いている。それは自分はそうとは思っていなくても周りはいつもそう思っているということを実感するのである。
今の職場には僕たちを雇っている立場の人たちがいる。
そこの役員さんに挨拶に行けと言われたので行ってみるとその役員さんの最初の言葉が、「皆さん、お歳ですね・・」だった。その次の言葉は、「この仕事には若いマインドが必要なのですが・・」であった。
そこは親会社でもあるので傘下には100以上の子会社を持っている。役員になれなかった50代の社員はみんなそういうところに出向させられて本社には優秀な若い人だけが残っている。そういった世界で生きている人から見ると僕は老害そのものなのだ。しかし、それを露骨に言われると虚しくなる。いや、僕も自分の会社の中では子会社に飛ばされた身分なのでそのとおりなのだ。虚しくなるというよりもスッキリしてしまう。自分ではそうは思っていなくても他人から見ると立派な老害だったのだ・・。

ロバート・フックも老いの中で自分の時代の終わりを感じて焦りと悲しみを感じていたのだろうなと思うのである。

コメント
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