イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「和歌山県の祭りと民俗」読了

2021年03月23日 | 2021読書
和歌山県民俗芸能保存協会 「和歌山県の祭りと民俗」読了

新聞にこの本のことが紹介されていたので借りてみた。今年の1月に出版されてすぐに蔵書されるというのはやっぱり県の文化に関する本だからなのだろうか。大体は出版されてから半年以上経たないと蔵書されない感じのようだから相当早い。
お祭り男でもないので特にこういうものに興味があるわけではなかったのだが、地域のコミュニティというものにはあこがれがあるというのか、そういったことを少しでも感じたかったというのが読んでみようと思った動機だ。

この本に掲載されている各種の祭りは国指定重要無形民俗文化財と県指定無形民俗文化財を中心とした祭礼や行事ばかりなのだが、それだけでも恐ろしいほどたくさんの祭りがある。おそらくこういう文化財の指定を受けていない祭りを加えるとまだまだ増えるだろう。
さすが高野山と熊野三山を抱える県だけのことはあるというところなのだろうか。
地域に根ざした行事がこれほどあるというのに僕は子供のころからそういった祭りに参加をしたことがない。
子供の頃に住んでいた場所には住吉神社があったけれども祭りといえば夜店が出るだけでなにか儀式めいたことがされるということはなかった。もともと漁業が盛んな土地だったから大昔には何かやっていたのかもしれないが、物心ついたころには神職もいなくなってしまっていたのでそういうものは廃れてしまったのだろうと思う。
引っ越しをしてから以降も地元でなにかそういうものがあるという話も聞いたことがないし、あったとしても所詮よそ者だからそういったコミュニティに入っていくとくことは難しかっただろう。
そういうことがある世界で育った人たちのなかにはただただ面倒くさいことだと思う人もいるかもしれないが、そういった体験のない人間から見ると、土地に根を生やしているということの安心感というかそういったものがうらやましくて仕方がない。

見に行くだけでもと思うけれども、よそ者がそれを見学したところでただ見ているだけだ。本当の価値を体感することはできない。ここ3年ほどは初詣に海南市を中心にした神社をはしごしているが、ここもそれぞれの氏神様ばかりだ。この神様たちも自分の周りの人たちのために存在しているのだからよそ者がお参りにきても、「おまえは誰なのじゃ・・?」となってしまうだろう。
そういう意味ではこれからもずっと根無し草で生きていくしかない。ただただそういったことがうらやましいと思うしかない本であった。
コメント
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