去年見つけたタラノメスポットがそろそろ採り頃だろうと行ってみた。
今日は朝早くから雨が降る予報であるのと、このスポットがどう見ても私有地を通らないと入れないので雨が降る前、それも人目につかない時間帯をと、ほぼ夜明けと同時にスポットに到着した。
去年見た時にはこんなに目立つ場所なのに盗られた形跡がないと思っていて期待したのだがさすがにそんなに甘くはなかった。手の届く範囲の芽はすべて盗られてしまっていた。ほんの少し残っていた梢の芽を採って終了。
立派な木が生えているところなので残念だが仕方がない。
しかし、この辺りはやたらと桜が多い。毎年、ここを通る時期はすでに桜が終わっているのでこんなにいたるところに桜が見られるというのに驚いた。明日から当分出勤の日が続くので今年は船の上から章魚津子山の桜を見るだけで終わりかと思ったが思わぬところで満開の桜を見ることができた。せっかくなので全部載せてしまおう。
気象庁の短時間降水情報をにらみながら出発した甲斐があってタラノメを採っているときだけ雨が上がっていた。桜を見ながら帰途につく頃には本降りの雨になっていた。今日も鬱陶しい1日になりそうだ。
家に帰って読書の感想文をひとつ書き終えたくらいの時刻にまた雨が上がり始めた。図書館に行かなければならないのと、船の給油もしたいのでまたまた気象庁の短時間降水情報をにらみながら午前10時までは大丈夫と見た。雨ならあきらめようと思った紀ノ川土手のタラノメも見に行くことにした。
こっちは誰にも目をつけられていないようで、残しておいたすべての芽が残っていた。しかし、中2日の間に一気に大きくなったようだ。少し採り頃を過ぎている。
最初に見つけたのは3本の株だけだったのだが、ほかにもないだろうかと周辺を探してみるともっと大きな木をみつけてしまった。山菜を見つけるときにはひとつ見つけたらその周辺をくまなく探すというのが鉄則だと思っているがそれを怠ってしまっていた。こんな場所には生えていないだろうという先入観はよくないのだ。せっかく見つけた芽は食べられないほど大きくなってしまっていた。また来年だ。
ここから和歌山城まではすぐそこだ。雨が降りはじめたがせっかくだから桜を見て帰ることにした。どんどん雨足強くなってきたので本当に見るだけで終わったがまあ、桜はさくらだ・・。
「桜の下には死体が埋まっている。」と書いたのは梶井基次郎だが、タラノメの下にも死体が埋まっているかのようだ。まさか死体の養分を吸って芽が大きくなっているわけではないだろうけれども、なんとももソワソワしてしまう。そして採りに行かずにはいられなくなってしまう。そうなるとやっぱり、絶対、死体が埋まっているのかもしれないと思ってしまう。
そう言えば、「タラの芽一つ摘み取るは、坊主千人の首を斬るに等しい罪悪」ということわざを聞いたことがある。これは、枝一本の先に一個の芽しか出ないので、それを摘み取ることは木を殺すこと…首を斬ると同じ殺生だということを表した言葉だそうだが、坊主の死体が埋まっていそうだとも思ってしまうのである・・。
今日は朝早くから雨が降る予報であるのと、このスポットがどう見ても私有地を通らないと入れないので雨が降る前、それも人目につかない時間帯をと、ほぼ夜明けと同時にスポットに到着した。
去年見た時にはこんなに目立つ場所なのに盗られた形跡がないと思っていて期待したのだがさすがにそんなに甘くはなかった。手の届く範囲の芽はすべて盗られてしまっていた。ほんの少し残っていた梢の芽を採って終了。
立派な木が生えているところなので残念だが仕方がない。
しかし、この辺りはやたらと桜が多い。毎年、ここを通る時期はすでに桜が終わっているのでこんなにいたるところに桜が見られるというのに驚いた。明日から当分出勤の日が続くので今年は船の上から章魚津子山の桜を見るだけで終わりかと思ったが思わぬところで満開の桜を見ることができた。せっかくなので全部載せてしまおう。
気象庁の短時間降水情報をにらみながら出発した甲斐があってタラノメを採っているときだけ雨が上がっていた。桜を見ながら帰途につく頃には本降りの雨になっていた。今日も鬱陶しい1日になりそうだ。
家に帰って読書の感想文をひとつ書き終えたくらいの時刻にまた雨が上がり始めた。図書館に行かなければならないのと、船の給油もしたいのでまたまた気象庁の短時間降水情報をにらみながら午前10時までは大丈夫と見た。雨ならあきらめようと思った紀ノ川土手のタラノメも見に行くことにした。
こっちは誰にも目をつけられていないようで、残しておいたすべての芽が残っていた。しかし、中2日の間に一気に大きくなったようだ。少し採り頃を過ぎている。
最初に見つけたのは3本の株だけだったのだが、ほかにもないだろうかと周辺を探してみるともっと大きな木をみつけてしまった。山菜を見つけるときにはひとつ見つけたらその周辺をくまなく探すというのが鉄則だと思っているがそれを怠ってしまっていた。こんな場所には生えていないだろうという先入観はよくないのだ。せっかく見つけた芽は食べられないほど大きくなってしまっていた。また来年だ。
ここから和歌山城まではすぐそこだ。雨が降りはじめたがせっかくだから桜を見て帰ることにした。どんどん雨足強くなってきたので本当に見るだけで終わったがまあ、桜はさくらだ・・。
「桜の下には死体が埋まっている。」と書いたのは梶井基次郎だが、タラノメの下にも死体が埋まっているかのようだ。まさか死体の養分を吸って芽が大きくなっているわけではないだろうけれども、なんとももソワソワしてしまう。そして採りに行かずにはいられなくなってしまう。そうなるとやっぱり、絶対、死体が埋まっているのかもしれないと思ってしまう。
そう言えば、「タラの芽一つ摘み取るは、坊主千人の首を斬るに等しい罪悪」ということわざを聞いたことがある。これは、枝一本の先に一個の芽しか出ないので、それを摘み取ることは木を殺すこと…首を斬ると同じ殺生だということを表した言葉だそうだが、坊主の死体が埋まっていそうだとも思ってしまうのである・・。