イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

加太沖釣行

2020年03月12日 | 2020釣り
場所:加太沖
条件:中潮 8:04満潮 14:10干潮
潮流:8:57 上り2.1ノット最強 12:10転流
釣果:ハマチ 1匹 カスゴ 1匹

世間ではいよいよコロナウイルスがえらいことになってきた。とうとうセンバツ高校野球が中止になったしまった。しかし、どうしてそんなに警戒するのだろう。死者が出ているといってもインフルエンザが原因のほうがはるかに多い人が死んでいるし、高齢者はともかく、それほど重症化しないのなら感染しても自分の免疫力でなんとかなるだろう。マスクが無いと騒いでいるのが滑稽だ。
これだけ騒ぐと言うのにはきっと他の理由があるのではないかと勘繰りたくなる。為政者たちは不景気や自分たちに都合の悪いスキャンダルから目をそらすために大げさに騒ぎ立てているだけではないのだろうか。企業の経営者も自分の施策の失敗をコロナのおかげで棚に上げることができる。来年もコロナマークⅡが発生してくれないかしらと思っている経営者がたくさんいるかもしれない。しかし、わが社も異常なほど業績が落ち込んでいる。この分ではひょっとしらたまたリストラが始まるなんてことが起るのかもしれない。その時は間違いなく僕はターゲットになるのだろう・・。
昨日まで読んでいた本に書いているとおり、地球は古くから山脈や海によって生物の交流を制限してきた。人間はその制約を破って世界中を行き来するようになってしまった。地球の意思に反した行為の報いがこのパンデミックなのだろう。

などと気持ちは晴れないけれどもそれと釣りはまったく別だ。釣りに行けなくなってしまったら僕は本当に精神病患者になってしまったということになる。

今日はひと月前と同じパターンの釣行になってしまった。昨日の予報天気図では高気圧が中国地方に出張ってきていたので天気は上々かと思っていたけれども朝一は昨日の冬型の天気を引きずっていた感じだ。
東の空は今日の上天気を予告するかのような美しい夜明けであったが海のほうは北西の風とひどい波に船が翻弄される。クーラーボックスはデッキの上を行ったり来たりしている。しかし、前回の釣行から10日も経っていないが出港した午前6時には完全に明るくなってしまっていた。一気に季節が進んだ感じだ。

 

顔も防寒着も潮まみれ。朝食代わりに買ってきた菓子パンを頬張りながら口の周りの塩を舌で拭うとパンの甘みが引き立って美味しい。



今日も上り潮なので船団は友ヶ島の南の方にできている。釣れているのか、この風でもかなりの船が出ている。



密集しているので危険を感じ、船団を抜け出して少し離れたところから再スタート。それがよかったのかまだまだ潮は早い時間だが魚探に反応があったと思ったらアタリが出た。かなり穂先が締めこんだので鉤に乗ったかと油断したのが悪かった。少し態勢を変えたら波のせいで穂先が浮き上がりバラしてしまった。
潮流が最強時刻を迎えたので北上を開始。そこでもうまくアタリが出た。小さいけれどもカスゴだ。とりあえずボウズは逃れた。
さらに北上しようと仕掛けを回収している最中に魚探に大きな反応が出たのでもう一度仕掛けを下すとハマチがアタった。

これ以外にも魚探にはたくさんの反応があったのだが前回と同じくまったくアタってはこない。何が悪いのだろうか。ルアーを投げるとハマチが入れ食いという噂もあるけれどもボイルのないところでルアーを投げ続ける気力はない。
当面は我慢の釣りが続きそうだ・・。

港からの帰り道遠回りをしてタラノメ第2ポイントを調査してきた。今年は暖冬だったからひょっとしてもう採れるかと思ったが春はもう少し先だった。去年は暖冬のあとの寒波で3月23日、一昨年は3月19日に採っているので今年は20日頃だろうか。



今年もいい芽を採りたいものだ。

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「ありえない138億年史」読了

2020年03月11日 | 2020読書
ウォルター・アルバレス /著、山田美明/訳「ありえない138億年史」読了

この本の著者は、6500万年前の隕石の衝突が恐竜の絶滅を引き起こし、その隕石はユカタン半島に落ちたのであるということを発見した学者である。

地球46億年の歴史を宇宙の歴史とつなげ、さらに人間の歴史につなげてゆくという、「ビッグヒストリー」という考えに基づいて138億年の歴史を綴っている。

さすがに宇宙の歴史というとどうも大雑把なとらえ方になるけれども、地球の歴史と人間の歴史の関係についてはだんだんと細かくなってくる。その根本はプレートテクトニクスにあるというのが著者の考えだ。
プレートテクトニクスによる陸地の移動や造山活層が人間の歴史に大きく影響を及ぼしているというのが著者の考えだ。
アルプス山脈やシエラ・ネバダ山脈、アメリカ大陸のアパラチア山脈、ハドソン川。人の移動を妨げる山があり、逆に物資の輸送を促した川があった。
この著者がそれを唱えなくても、ブラタモリも地形と人々の営みを克明に伝えているし、ジャレド・ダイヤモンドも同じ見解を書いているのでそれほど目新しいものではないように思う。ただ、それを、隕石衝突という一見何の関係もないようなことを恐竜の絶滅と結び付けて考えだした人が書いたとなると重みが増すような気がする。

そしてさらに生命の歴史にまで言及してゆく。人間のからだの中には30億年の生命の加筆修正の歴史が刻み込まれているというのである。
生命が生まれた直後の歴史は細胞膜の存在である。海溝部の熱水噴出口で生まれたとされる生命は外部環境と内部環境を細胞膜で隔てることによりその活動をはじめた。
そして真核生物が生まれた歴史は核とミトコンドリアが共生した姿、さらに軟体生物であるエディアカラ生物群の記憶は消化管に、そしてカンブリア紀の左右対称の体と骨格を持つようになるその後の歴史は人間の体そのものにつながる。
人が受精して胎児となって生まれるまでの形態の変化は生物の進化の歴史をなぞっているのだということを読んだことがあるけれども、確かにそんな考え方もあるのかと思う。

アフリカで生まれた人類はそこを脱出して全世界へ移動を開始するのであるが、そこにもプレートテクトニクスが生み出した地理学的制約を受ける。ここで前半のプレートテクトニクスの歴史と生物の発生からの歴史が再びつながることになる。

ビッグヒストリーはある意味、偶然の重なり、つながりで138億年を送ってきた。歴史はどれも、「タラれば」というものはないので再現性や検証性というものはないのである。その貴重な偶然の産物のひとつがぼくであるというのも悲しいものだ。
僕が生まれ出る確率というものが書かれていた。僕が生まれた世代(ひと世代)では大体10億人で10の9条人となる。この世代に生まれる可能性がある子供の数(ここでの生まれる可能性というのは、男子が1回のエッチで数億の精子が発射されそのうちの1匹が受精する確率を全世界のエッチをしている人々から生まれてくる可能性のある数。)は10の25条人だそうだ。それがどんな数字かというと、手のひらに二すくい海岸の砂の数が大体10の9条、10の25条はグランドキャニオンを10回満たすほどの数になる。要は、そんな大量の砂の中から二すくい分の確率で僕が生まれたということになる。
そんな奇跡に近いような偶然の結果でこんなポンコツが生まれてきたのかと思うと地球を作った神様はよほどのバカではなかろうかと思うのである。こんな偶然はなかったほうがよかったのにと思うのである。ユカタン半島ではなくて紀伊半島くらいに落ちていてくれればよかったとか、それが無理ならアキちゃんの逆回転の力で時間を巻き戻してくれはしないだろうかなどとそんなことばかり思い浮かぶのである。
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「椅子がこわい-私の腰痛放浪記」読了

2020年03月08日 | 2020読書
夏樹静子「椅子がこわい-私の腰痛放浪記」読了

夏樹静子の1997年の著作にこんなものがあった。この作家も相当な腰痛に悩まされていたようだ。この本にはその様子を、「背中に鉄板の甲羅が張り付いたようだ。」と表現されている。
約4年間にわたって苦しみぬいた後にひとりの医師に出会いその苦悩から脱却できたという話だ。

筆者はその医師と出会う前、ありとあらゆる治療法を試しては挫折する。正攻法は筋力アップであったり、ストレッチ。ちょっと眉唾物では鍼、灸の類。もうちょっと眉唾になると新開発の電気治療器。完全に怪しいのは手をかざしたら治るというものや気功、家の庭の池を埋めるというのまでやり、さらに霊媒師までも駆り出すけれども著者の腰の痛みは治らない。
ぼくもずっと腰痛に悩まされている。最初に医者に診てもらったのはもう20年くらい前になるだろうか。それ以来それほどもよくならずに来ているが、こんなにあれこれする暇もなく、もっともお金がなかった。特殊なことをしたのは2年間ほど脊椎ブロック注射というのに通ったことくらいだろうか。そういえば内視鏡手術の権威という医者にも無理やりコネを伝って行ったことがあった。その時はけんもほろろに、「俺のところに来るには10年早い。」という感じであった。作家はこれだけいろいろやっていながらほとんどその治療法を信用していなかったけれども、僕は逆に、医者からは、「そんなもの腰痛のうちには入らない。」と思われていたのかもしれない。

そんななか、ひとりの心療内科の医師から電話を受け取った。著者と親交があったジャーナリストととのつながりのある人であった。そのジャーナリストが亡くなる最後の仕事として書いたコラムに著者の腰痛のことが書かれてあったという奇遇な縁である。
その医者の見立ては、「心身症」という結果だった。器官的疾患ではなくて心の病であるというのである。体に異常がなくて各所に痛みが出るようなときは心身症を疑うことになるそうだが、それは心の病が脳の中で痛みを作り出していることがあるという事実があるからだそうだ。

そしてその治療法に、「絶食療法」というものが選ばれた。人間は絶食することで脂肪が糖に変わり脳で消費するようになる。そのときに感覚が鮮明になり脳が引き起こす痛みを抑制してくれるようになるそうだ。約2か月の期間、治まらない激痛と主治医への不信感と戦い、その苦痛に加えて主治医は、「夏樹静子」という作家でいることの重圧がその痛みを引き起こしているのだと伝え、最終的には作家である自分を捨てよという。
そんな治療を終えてしばらくしたころ、確かに痛みは徐々に引き、本のタイトルは、「椅子が怖い」であるけれども気が付くと椅子にも普通に座れるようになってきたというのがこの本の物語だ。

以前に、NHKの「ためしてガッテン」だっただろうか、脊椎の神経がヘルニアのようになっている人でも腰痛を発症する人としない人がいるというような内容の放送をしていたことがあった。そのときにも同じように、腰痛には精神的な側面もあると言っていたが夏樹静子の場合もそれに当たっていたようだ。
痛みから真向に立ち向かうのではなく、それをありのままに受け止めるというのが心身症からくる腰痛を和らげる方法であると書いていたけれども、それはいったいどのようにすればいいのだろうか。それは僕の今の頭痛にも効くのだろうか。『信念を持つとか、プラス思考とか、感謝とかその種の前向きな姿勢を自分に求めることはもはやどこを叩いてもできない相談だった。』というのは神経症の治療に向かう直前の作家の心境であるが、まさに今の僕にぴったりと当てはまる。

西行は、『敗けたものが敗けたことをおおらかに受け入れ、敗け惜しみなく朗らかにその宿命に遊べば歌が生まれる』と言ったそうだが、いつになったら僕の心にそんな境地が現れるのだろうか。
印鑑を押す場所がひとつ右に寄ったことを忘れて押し間違えた時のみじめさはたまらない。
広島に住み、この春にリストラに応じた同業他社で働いていた友人は、再就職先を探してもガイショウみたいな仕事しか残っていない。きちんとしたシステムを持っていて給料もそれなりに貰えるのであれば文句は言えないと言っていたが、確かにそうなのかもしれない。クビにならないだけましだと思わなければならないのだろう。僕たちはまったくつぶしのきかない世界で働いているのです。というコメントが今さらながらに身に滲みる。

しかし、今のすべてを受け入れて腰痛と頭痛を克服するにはどうすればいいのだろうか・・。
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「サードドア 精神的資産のふやし方」読了

2020年03月04日 | 2020読書
アレックス バナヤン /著 大田黒 奉之 /訳 「サードドア 精神的資産のふやし方」読了

19歳の青年がテレビのゲームショーで獲得した商品を現金に換え、それを元手にしてアメリカンドリームを手にした著名人にそうやってそこに至る足掛かりをどうやってつかんだのだろうということを本人に直接インタビューしようとしたノンフィクションである。

この本はそのインタビューを羅列したものではない。最終目標をビル・ゲイツへのインタビューと決めてそこにたどり着くまでの物語なのである。たくさんの人脈を作り、失敗を繰り返して本当にそれを実現する。

著者が得た答えはこんな形で書かれている。

人生、ビジネス、成功。
どれもナイトクラブみたいなものだ。
常に3つの入りロが用意されている。

ファーストドア:正面入り日だ。
長い行列が弧を描いて続き、
入れるかどうか気をもみながら、
99%の人がそこに並ぶ。

セカンドドア一:VIP専用入り口だ。
億万長者、セレブ、名家に生まれた人だけが利用できる。
それから、いつだってそこにあるのに、

誰も教えてくれないドアがある。
サードドアだ。

行列から飛び出し、裏道を駆け抜け、
何百回もノックして窓を乗り越え、
キッチンをこっそり通り抜けたその先に---必ずある。

ビル,ゲイツが
初めてソフトウェアを販売できたのも、
スティーヴン・スピルバーグが
ハリウッドで史上最年少の監督になれたのも、
みんなサードドアをこじ開けたからなんだ。


50も半ばを過ぎてしまった脱落者には厳しくそして何の役にも立たない本であった。

師は、ゲーテの言葉を引いて、「若き日に旅をせずば、老いての日になにを語る。」と書いたが、結局それが答えだったのだとうなだれるしかない・・。


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加太沖釣行

2020年03月02日 | 2020釣り
場所:加太沖
条件:小潮 4:00干潮 10:03満潮
潮流:6:48下り 1.3ノット最強 10:02転流
釣果:ハマチ 1匹

本格的な春はもう少し先だが港の景色も少し変わった。渡船屋が1軒になり定休日ができたのだ。その日はこんな感じだ。



そして僕の周りは大きく変わった。たった1年で人事異動だ。しかし、今度の人事異動は不本意で仕方がない。弾き飛ばされたうえに実質降格だ。まあ、役職定年というやつだから仕方がないといえば仕方がないのだが、去年の5月に隣の部署に異動してきた管理職がいた。間もなくうつ病になって2か月後くらいに復帰したとき、僕の部署で預かれということになった。余剰人員となった彼の発病の理由は新しい仕事が性に合わないということだったらしい。そして今回の異動で彼に弾き飛ばされたという形になった。うつ病だったと聞いた時、あれでうつ病なら僕は入社してから30年間ずっとうつ病だったのじゃないかと思ったが、会社は腫れ物に触るような対応であった。
彼はすでに今回の移動のことは知っていたようで、事前に人事と何らかの下話があったのだろう。あそこの管理職ならやっても大丈夫みたいなことを言い、会社はそのままそれを了解したということだろうか。会社は普通に働いてきた社員よりもうつ病で病欠していたような社員に重きを置いたというのが不本意に思ってしまう理由だ。
そして彼の穴埋めでやってきていた平社員の部署に僕が異動させられた。この3人で玉突きの異動という図式だ。仕事の内容もその平社員がやっていたものを引き継ぐようだから実質降格・・。というのが今回の僕の周りの大きな変化だ。
発令の前日に内示というか、どこどこへ辞令をもらいに行けという連絡が入るので大体どの部署への異動かというのがわかって上司もこっそり具体的に教えてくれるというのが慣例なのだが、今回はコロナウイルスのせいで辞令は出ないので明日の掲示板を見るようにとの指示であった。上司に、ちなみにどこですか?と聞いたらとにかく明日見てくれといって教えてくれない。確かにこんな仕打ちなら優しい上司は教えるに忍びなかったのだろう。まあ、余人に代えがたい仕事をずっとしていればそんな仕打ちをされることもなかったのだからこれも身から出た錆と諦めなければならないのだろうとは思う。


そんな鬱陶しい気持ちを抱えて家を出ると晴天の予報のはずが出港直後に雨が降ってきた。なんとか加太に到着した頃には雨は上がったけれども雲は低く垂れこめている。



下りの潮が残っている時刻なのでコイヅキから沖ノ島の北側を釣ろうと思っていたが前回の釣行同様沖の方にサバを狙っているであろう船団があった。それなら僕もと思ってそこで仕掛けを下すことに。そこは僕がまったく釣ったことがない場所だと思っていたら、大和堆ポイントであった。



GPSの画面で見ているのと本当の景色を見ているのとでは全く違う。山たての能力なんか皆無であると思い知らされた。

なるほど連日船団ができているわけで魚探にはかなり反応が出ている。



しかしアタリがない。転流時刻に合わせて北上してみたがここも魚探に反応はあるけれどもアタリがない。悪い方向に転がり始めると止まらない。雨の後だからだろうか、予想もしていなかった風が吹いてきた。そして帝国軍はどんどん帰投を始めているけれどもこれだけ反応があれば帰るわけに行かない。もうひと頑張りと午前11時を過ぎてビニールの色と大きさを変えて仕掛けを下すとやっとアタリ。毛糸にハマチが喰っていた。
なんとかボウズを逃れたがここで根が尽きてしまった。

帰る頃になって空は晴れわたってきて風も穏やかになってきた。



僕の仕事も雨のち晴れとなってくれるのだろうか・・。





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「土と内臓 (微生物がつくる世界) 」読了

2020年03月01日 | 2020読書
デイビッド・モントゴメリー , アン・ビクレー /著 片岡 夏実 /訳 「土と内臓 (微生物がつくる世界) 」読了

この本は「土と内臓」に住んでいる微生物の話だ。その微生物たちは人間や植物と共存関係にあるのだが、そのバランスが崩れるとどうなるかということ、そしてそれを発見するに至る歴史が地質学者と生物学者であるふたりの著者の経験を通して書かれている。なんだかレイチェル・カーソンっぽい構成だ。

土の中と大腸の中(中というのは、チューブの内側ということ)に共通するのは、それぞれそこには大量の微生物が生きているということだ。そしてそれらの微生物は単にそこで生きているだけでなく、植物と細菌、人間と微生物、絶妙な関係で共存しているというのが大まかなストーリーだ。

「土」については、土壌生態学という方面から書かれている。これは著者の庭造りの経験を交えて書かれているのだが、著者たちは化学肥料や農薬を使わずに木の葉や鶏糞などを使った堆肥作りを基本にして庭を造ってゆく。一部は畑として使うようになるのであるが、十分に有効な堆肥を使うと化学肥料も農薬も必要がない。それは土壌の細菌が有効に働くからであるという。植物の生育に必要な栄養素は、窒素、リン、カリウムであるが、その中で、窒素は土壌には存在せず、空気中の窒素を固定することができる細菌の力を借りなければならない。植物は根からその根粒菌を呼び寄せる物質を放出して根の周りに集めて取り込む。その菌に養分を与える代わりに窒素化合物を取り込む。叔父さんの畑で落花生を収穫すると根には気持ちの悪いブツブツがいっぱいくっ付いているがまさしくあれだ。
植物は根粒菌を根の中に取り込み、取り込まれた菌は菌糸を土の中に伸ばして様々な養分を取り込む助けもしている。そして窒素だけでなく、その代謝物からも様々な物質を取り込む。その中には病気のもとになる様々なものを排除する物質もある。そんな根の周りの環境は「菌圏」と呼ばれている。

大腸の内側でも細菌は大活躍をしている。「腸内フローラ」というのは最近よく目にする言葉だが、それである。そこには免疫力に大きくかかわる細菌もある。このあたりは以前に散々NHKで放送していたので聞いたことがある話であった。プロバイオティクスという考えだ。

そして、化学肥料や抗生物質はその絶妙で微妙なバランスを崩してしまう。だから、著者たちは土の世界では有機肥料だけを使い化学肥料や農薬を使わない野菜を造り食べることを、人間の体に対しては腸内細菌をしっかり育てる食生活を推奨する。過去50年で病原体のない慢性疾患や自己免疫疾患が増えている。それはとりもなおさず化学肥料や農薬を使った作物、抗生物質で弱った腸内環境が影響しているのではないかというのが著者たちの結論だ。

そうはいっても増えすぎた人口を養うためには化学肥料に頼らざるおえないのではないかと思う。ミクロ的に見ても有機農法で作った野菜は高価だし、細菌の食べ物であるという食物繊維の多い全粒粉や玄米も高価だ。貧乏人には簡単に口に入るものではない。
カフェインとアルコールは腸内活動にはよくないというけれどもやめようとしても無理だ。だから、この本を読んだからといって僕の生活習慣が変わるわけではない。
ただ、肥満をしても問題ないのではないかと思うホッとするようなことも書かれていた。
それは免疫細胞も免疫細胞を持っているということだ。肥満の人は脂肪細胞の50%はマクロファージでできているらしい。太っているほうが免疫力が高いというのだからありがたい。まあ、これも限度があるだろうけれども・・。

土と内臓というぱっと見では何の関連性もなさそうだが、細菌というキーワードでうまくつながるのだというのかこの本の面白いところだ。
そして、土壌の「土臭い」匂いというのは放線菌という細菌が作る代謝物の匂いだそうだ。これも何らかのかたちで植物の生育に貢献をしているようだが、あの臭い(臭いというより匂いと書いたほうがいいと思うが)を嗅ぐとなぜかホッとする。これも僕の体と土がつながっているからかもしれない。

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