ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

ぽんちゃんとの15回目の春

2024年04月05日 | ひとりごと
ぽんちゃんがめでたく満開を迎えた日は、雨降りが続いた3日目。
枝や幹は真っ黒で、うす桃色の雪洞は水分をたっぷり吸っていかにも重たげだった。
その夜、嵐のような風が吹きはじめ、それは4日目の朝も続いていて、極めつけは夜の雷嵐だった。
ぶっとい枝もがブゥーンブゥーンと、右に左に、上に下に、大揺れに揺れている。
稲光の中に一瞬浮かび上がるぽんちゃんが、花びらを大量に散らせている。
春の嵐に腹を立てたところでどうしようもないのだけれど、何もそこまで荒れなくてもいいじゃないかと思いながら、しばらく窓から眺めていた。

一夜明けて嵐が去り、4日ぶりに雨も上がった。
相当散ってしまっただろうと思っていたが、まだそれなりにいい感じだ。
これはわたしの寝室の窓から見えるぽんちゃん。

さてここからは、ただただひたすらに、ぽんちゃんの花顔アップ写真が続きます😅。









レンズを向ける場所によっていろんな顔を見せてくれるぽんちゃん。
毎年ほんとうにありがとう🌸
愛してるよ〜❣️
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゆらゆら

2024年03月25日 | ひとりごと
今朝、24日の日曜日の起きがけに、伯母が突然わたしの目の前に現れた。
伯母は洋装の喪服姿で、わたしをぎゅっと抱きしめてくれた。
大正生まれの女性にしては背が高かった伯母を心持ち見上げると、化粧っ気のない、少し寂し気な、けれども意志の強さが滲み出ている、50代くらいの頃の美しい顔があった。
伯母の四十九日が近づいていることを思っていたからか、なぜかその夢の中では伯母自身が、誰かの四十九日の法要を無事に済ませたという話になっていた。
切れ長の伯母の目はじっとわたしを見つめていて、わたしは伯母の肩を抱きながら、「大変やったねえ、ようほんまに頑張ったねえ」と言って、ああそうだ、伯母はガリガリに痩せてるけど骨太で、こんなふうにがっしりした人だったんだと思い出していた。
伯母はわたしに「ありがとう」と言ってくれた。
そう思ったけど、声にして聞こえたのか、それともそんなふうに目で語ったくれたのか、どちらだったのかがわからない。
けれども伯母からの「ありがとう」とわたしからの「ありがとう」が、胸の中で抱き合っていた。
時間にするとそれは多分10秒前後で、そうやって伯母を抱きしめたままパッと目が覚めしまって、慌てて夢に戻ろうとしたんだけど叶わなかった。

日本時間の23日の土曜日に、伯母の四十九日の法要が行われた。
本当の四十九日は命日から数えると4月2日になるので、伯母はいろんな人たちのところにさよならを言いに行ってるのだろうか。
今日は一日中、夢の中の伯母の顔が繰り返し思い浮かんできて、懐かしいやら嬉しいやら寂しいやら悲しいやら、気持ちがゆらゆらと揺れていた。


先週の土曜日は、ここから車でちょうど1時間の町に住むN子ちゃん夫婦の牡蠣パーティに招待してもらった。
N子ちゃん夫妻は、夫のJさんの仕事の都合で、ボストンとニュージャージーに半々で住んでいて、ボストンで手に入る新鮮な牡蠣と蛤、そしてウニを大盤振る舞いしてくれた。



どの種類もめっちゃミルキーでコクがあって、美味いったらない!
何もつけずにそのままツルリと舌の上に乗せ、それを軽く咀嚼すると、なんとも言えない海の香りが口いっぱいに広がる。
至福のときである。
他にもテーブルの上にはどれも美味しいご馳走が並び、満腹のお腹をふくふくと撫でていると、フランスから移住してきた洋菓子職人さんのデザートが…。
グルテンフリーの掟など遠くどこかに吹っ飛んで(最近よく吹っ飛ぶなあ😅)、食べる食べる、6種類以上もあるどれもこれもが手の込んだ逸品揃いで、これまた至福のときなのである。

お腹が満たされ過ぎて頭がぼうっとしてきたけれど、もう一つの楽しみだったSさんの三線とのジャムをせずに帰るわけにはいかない。
実はその日の朝、数日前から嫌な感じがしてた右手の中指がいきなりパンパンに腫れてきて、しかも痛みがハンパじゃなくて、もしかしてこれ、ちょっとヤバいんじゃないかと思って、慌てて夫に応急処置をしてもらったのだけど、こんな指で弾いても大丈夫かなと思いながら、とりあえずキーボードとアンプ、そして夫はエレキを持参した。
沖縄の歌を何曲か演奏し合った後、わたしが一番聞きたかったSさんの三線弾き語りに、Sさんの愛妻Hさんの舞いが加わる最強バージョンを視聴させてもらい、3度目の至福のときを過ごさせてもらった。
やっぱいいなあ三線、やっぱいいなあSさんの渋声、やっぱいいなあHさんの優雅な舞。
最後はJさんの音頭で楽しく踊り、大いに盛り上がって散会となった。
N子ちゃんたち、このパーティ(実に7カップルの参加だった)の準備はさぞかし大変だったろうなあ。
素晴らしい時を本当にありがとう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジャズと散歩とおうちリフォームと

2024年03月09日 | ひとりごと
うちから車で15分ばかりのところにある教会が、ジャズフェスティバルをするというので、大雨の中行ってきた。
前回行った、今から4年前のコンサートでは、海野さんという日本人ジャズピアニストが演奏して、わたしは一瞬で彼の奏でるピアノと音楽の虜になったのだけど、彼は同年9月、地下鉄構内で理不尽な暴力を受け、ピアノを弾くことができなくなった。
この記事は事故当時の2020年に書かれたものだ。
海野氏は再起不能とまで言われていた状況から復活し、今はまたニューヨークに戻って演奏活動を再開している。

彼のWikiぺディアからの引用:海野雅威 - Wikipedia
2020年9月27日、コロナ禍のニューヨークにてアジア人ということだけで襲われ、重傷を負う。
緊急手術後に一時帰国し、約半年に及ぶ治療を行った後、アーティスト活動を再開すべく、2021年に再度ニューヨークへ渡航。
8月にブルーノートNYにジョン・ピザレリ・トリオで演奏に復帰、秋には日本でも「奇跡の復活ツアー」を敢行し、ブルーノート東京で千秋楽を迎える。
差別や暴力に屈せず、混沌とした時代だからこそ音楽の力を信じる姿は、NHKスペシャル『素晴らしき世界〜分断と闘ったジャズの聖地〜』でも取り上げられ、大きな反響が寄せられる。
ー中略ー
また、惜しまれつつ世を去った日本の名ジャズ・ピアニスト世良譲、ジャズ・ピアノの巨匠ハンク・ジョーンズ、テナー・サックス&フルートの巨匠フランク・ウェスが、晩年最も期待を寄せていたピアニストでもあり、CDでの共演の他、音楽のみならず人生の師として交流を深めていた。
2010年5月16日、世界中のジャズファンに愛され最後まで音楽への情熱を燃やし続けたハンク・ジョーンズが91年間の人生に幕を閉じる時、その最期に立ち会う。
師の志を受け継ぎ、自己の音楽を追求することで本分を全うしていきたいと強く感じているという。

なんともすごい人なのである。

さて、今回の演奏者はSullivan Joseph Fortier Jr.という名のジャズピアノ&ハモンドオルガン奏者で、初っ端から飛ばす飛ばす!
このビデオは単にわたしがみなさんに、彼がどんな感じでオルガンを弾くかをお見せしたくて選んだもので、コンサートとは全く関係がない。
が、彼はこんなふうにいかにも楽しく、軽やかに、歌心いっぱいの音楽を聴かせてくれた。
普段はちょっと苦手であまり好まないぶっ飛びのジャズなのだけど、ドラムもベースもノリノリで、オルガンの音色の微妙な変化やリズムに引っ張られているうちに、あっという間に時間が過ぎていった。
久々の至福の時である。

この教会はなんかほんわかとしていて心地良い。



こんな舞台の端っこで演奏するっぽい。

わたしはたまたま彼ら側の端っこに座ったので見えたけど(ドラムは全く見えない)、他の人たちはほとんど会場の左右横に設置されたスクリーンを見ながら聴いていた。


今年の初春は雨だらけ。
来る日も来る日も雨が降るので、たまに晴れると気分はハンパなく上昇する。

以前から夫は、健康管理の進捗状況がわかるように設計された、Fitbitという名のスマートウォッチが示す睡眠の質や歩数の記録をわたしに見せていたのだが、それをわたしも使うことになった。
ごく最近のことである。
わたしはそんな小道具を使わない限り、ダラダラと夜更かししたり寝坊したりするタチなので、自制のために使うことにした…情けないけど…。
それで、使い始めて分かったのだが、そんなふうに超適当で、いまだにベッドに入る時間が夜中の12時近くになってしまうわたしなのに、眠りの質が健康オタクの夫より遥かに良い。
それから笑えることに、腕時計なので手を動かすと歩数として換算されてしまうらしく、レッスンでハノンを生徒たちと一緒に弾いているだけでガンガン数字が加算されて、あっという間に5千歩近くになる。
わたしは座ってるんですが…いいんですかねfitbitさん。

でも、晴れた日ぐらいは真っ正直な歩数を稼ぎに散歩に行こうではないか、というわけで、先日近所の公園に行ってきた。
入り口近くにある老木の木肌が、べろり剥がれ落ちていた。


ここから落ちたみたいだ。なんとも痛々しい。

枝もたくさん落ちていた。


晴れていると何でもかんでもいい感じに見える。


カモさんたちもご機嫌だった。

ここはいつ来ても人が少ない。


今日はうちの前庭と横庭、それから裏庭のあれやこれやを整えてくれる庭師さんに来てもらって、こちらの要望を伝えた。
昨日は屋根と雨樋、それから裏庭に降りる階段の補修をしてくれるリフォームの専門家さんに来てもらって、こちらの要望を伝えつつ、予算を出してもらうようお願いした。
複数の業者に同じ話をして予算を出してもらい、彼らの評判と予算の高低のバランスを吟味して、どの人にお願いするかを決めなければならない。



この家に引っ越してきて丸15年。
そもそもこの家は『as is』という条件(あるがまま、何のリフォームもされていないまま)で買ったので、最初から修理の宝庫のような家だったのだけど、この15年間でやれたことは床の研磨とコーティング、そして2階の浴室のリフォーム、そして放っておくと危険なまでに劣化した玄関口の階段のみ。
そして今年、屋根がいよいよこのままだとヤバいということが判明し、そういや雨樋も、いやいや雑木の枝ぶりもと、どんどんと課題が押し寄せてきて、この際思い切って全部やってしまうことにした。
勢いで念願の、いや、悲願だった1階のシャワー室のリフォームもやる。

2階の浴室のリフォームでは、業者のトンデモな失態続きに疲弊して、もう2度とこちらの業者とは関わりたくないと地団駄踏んだことをふと思い出し、胸の奥にモヤモヤとした不安雲がわいてきたりするのだけど、わたしたちもそれなりに経験を積んで学んだわけで、とにかく無事に全てが終わることを祈るばかりの今日この頃である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いろいろなことをほっこりと

2024年02月24日 | ひとりごと
日本は寒暖の差が激しいと聞いている。
こちらはただひたすらに寒さが厳しい。
早く零下ではなく零上になって欲しいものである。
これは表に立てかけてあるハシゴについた氷柱。

ドライブウェイには、怪しい足跡が点々と…。




ついさっき、去年のクリスマスのことをまるで書き残して無かったことに気がついた。
クリスマスは例年通り、夫の姉の家で行われた。


クリスマスディナーでお腹が膨れたら運動運動!
長男くん&奥さんのTちゃん VS 次男くん&ガールフレンドのEちゃん。
4人は本当に仲が良くて、観ているだけでめっちゃ幸せ💜

このクリスマスには久々に、次男くんとガールフレンドのEちゃんもシアトルからやって来て、うちの一家6人が揃った嬉しいクリスマスだった。
次男くんは、もう10年ほども前にぶっ壊れてしまったTOTOのウォシュレットを、不便ながらも使い続けていた我々に、新しい便座をプレゼントしてくれた。
彼がTOTOに問い合わせたところ、うちの型はもう廃番になっていて、面倒なことにサイズが一般のものよりかなり小さい。
なのでTOTO以外の製品の中からサイズが合うものを見つけるのにかなり難儀したようだ。

プレゼントを取り付けてくれる超親切な若者カップル。


月に2回?時には1回ぐらいの割合で行く日本食マーケットのミツワでは、去年あたりからこんなコーナーが出現した。
週末はもう大賑わいである。子どもは見当たらない。
中を覗いてみると、カードゲームらしきものをしているっぽいのだけど…何が何だかよくわからない。



家から歩いて5分強のところに、ミドルイースタンのレストランが開店した。
前菜だけでお腹が満腹になりそう。
上にあるのが牛のレバーなのだけど、今まで食べたレバー料理の中で一番美味しい。


わたしが日本とここを行ったり来たりしている間に、すっかり拗ねてしまった海。
まあ、この仔は普段からこんな目つきなんだけども…。


バタバタしつつも、とりあえずジャムなど作ったりもしているわけで、けれどもやっぱり気が急いているからか、煮込みが足りなくていいジャムにならなかった😭


虫ではなくて、うちの息子たちの方が飛んで逃げていくヤツが、いきなり目の前の壁をサササっと降りてきた…あだ名はゲジチュウ。


最近マイブームの飲むお出汁。
毎日朝一番に、アオサかとろろ昆布、そして刻みネギを足して飲んでいる。
ありがとうK子!ありがとう田口商店!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本でいただいた旨いもんたち

2024年02月23日 | ひとりごと
まずは前回の記事にも載せたおせち料理。
義父は長い間、まともに正月を祝えない職業に就いていたので、義父と母がおせち料理をゆっくり食べるようになったのはつい最近のことなのだ。
なのでなんとなくぎこちない雰囲気が漂っていて、それがなんとも可笑しかった。


やっぽんぽんの宿でいただいた会席料理の数々。







そして朝食。

ご多分に洩れず、ここも現状維持が難しいからか、バイキングの料理の種類が減っていて、それがちょっと寂しかったけれど、盛り付けは美しく、味付けはいつも通り素晴らしい。
客の身勝手な願いだけど、どうか頑張って乗り越えてほしいと思う。


姉思いの弟が、ねえちゃんに食べさせてやろうと用意してくれたカニ尽くし。

出刃でガツンガツンと切り取っていく。

網で焼いたカニ身の甘いこと甘いこと。

蟹味噌のグラタン(だったっけか?)の表面をバーナーで焼いて食べさせてくれた。


番外編:日本に行くと必ず手にいれる干し柿。
子どもの頃は嫌いだったのに、なんでこんなに好きになったんだろう?

弟の友だちが焼いてくれた広島焼き。絶品だった。
つまみの料理の数々もめっちゃ美味しかったのだけど、写真に撮るのをすっかり忘れた。


ほんの数時間でもと寄らせてもらったM子先生宅でいただいた美味しいランチ。



東京での最後の夜に、ちょっと奮発して入ったイタリアンのお店で。


残念ながらどれも塩気が多すぎて、わたしの口には合わなかったが、最後に出てきたこれでおあいこになった。


アメリカに戻る日のお昼に、浅草界隈を散歩していたら、パンケーキ屋さんが目に止まった。
日本に居る間は、グルテンも白砂糖もカフェインも解禁にして、暴飲暴食にひた走ってしまうのだけど、これがトドメだとばかりにお店に入った。
もうすでに胃も腸も荒れに荒れていて、お腹周りはどこから見ても妊娠8ヶ月半の妊婦オババに成り果てている。
グルテンフリーになってから、なぜだか小麦粉入りの粉ものを食べると、お腹がプーっと見る間に膨らむ。
まるでプーっという音が聞こえてくるほどの素早さで、いつもそのことに驚かされる。
でもこれはやっぱり見逃せない。
いただきます!



2度目の帰省では、新大阪駅から伯母の家までの車中で、弟が買ってくれた551蓬莱の肉まんとシューマイをいただいた。
めっちゃ懐かしくて、相変わらず美味しかった。

伯母の家では、伯母の一人娘のKちゃんが、生協で注文した冷凍食品やレトルトを使って、夕飯を振る舞ってくれた。
彼女の手が痛々しいほどに荒れていたので、彼女の水仕事の量をできるだけ減らそうと、わたしも料理や食器洗いをしたのだけど、やっぱり冷蔵庫や冷凍庫の管理はその家の人がする方がうまくいく。
三重生協の冷凍おかず、どれもすご〜く美味しくて食べ応えがあった。

伯母の家ではWi-Fiが使えなかったので、Wi-Fiが無くては連絡手段が無くなってしまうわたしは、初めて電子SIMカードなるものを購入した。
だけど、そのSIMをインストールするにはWi-Fiが必要で、けっきょく親友のT夫妻宅やピアノの師匠宅に押しかけて、その際にも小腹に入れるご馳走をいただいた。
にんじんしりしりにネギてんこ盛りのラーメン、看護の合間のほんわかとした雰囲気と旨いもん、本当にありがとう!
身も心も慰められました。

日本に行くと必ず2〜3キロ体重が増え、こちらに戻ってから元に戻すのに苦労する。
ただ、グルテンフリーに戻した途端、お腹周りだけはシュルシュルと縮んでくる。
ミシュランのタイヤマンに変身していた、米国在住の小太りの初老女に戻るわけだが、今更ながら粉もんには目が無かった時の腹は一体どうだったんだろうと不思議に思う。
こちらに戻ってから今日で10日、今日の夕飯は昨日と同じ、醤油なしで作ったおでんと、黒豆入りのオーガニック玄米と餅米のミックスご飯。
これもまたよしなのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スポンっとな😭

2023年12月28日 | ひとりごと
海の様子がおかしい。
クリスマスの4日前ぐらいから、家の中に居るには居るが姿を見せない。
食欲も無い。
その状況は、前に一度大怪我をした時とよく似ている。
クリスマスイブの前日に食欲が戻った。
でも相変わらず元気が無いし、そんな海を空が追っかけたり意地悪をしたりするので、すごく腹が立つ。
けれども我々はクリスマスを祝いに泊まりでペンシルバニアに行かなければならなかったので、お隣の友人に食事の世話だけをお願いして家を離れた。
戻ってきた25日の夜に、彼の尻尾の付け根に酷い裂傷があることがわかった。
尻尾はダランとして動かせないようだ。
傷が深くて神経をやられてしまっているのかもしれない。
様子を見ようとして近づくと逃げてしまうので、ちゃんと調べることができない。
彼はこの傷をずっと自分で舐めてきたのだろう。
獣医科病院に予約を入れた。

さて、前歯のおはなし。
本当は28日の午後からだったインプラント最終治療(作ってもらったクラウンを支柱に装着する)日が、27日の今日に変更になった。
最近、間近になって急に治療日の変更をお願いされることが多いのだが、明後日には日本に向けて発つ身なので、ギリギリのギリギリ(28日)よりギリギリ(27日)の方がよかろうと思って行くことにした。
この10ヶ月もの間、痛い治療(痛みはほぼ麻酔時なのだが奥歯の10倍は痛い)に耐え、歯抜けの不便さに耐え、上唇の不具合に耐えながらこの日をずっと待ってきたのだ。
それがやっと今日で終わる。

クリスマスを祝いにシアトルからやってきた次男くんとEちゃんが、最後のランチに誘ってくれたので、歯の治療前ではあるが、一番のお気に入りのコリアンバーベキューのお店に行き、三人分の焼肉セットを頼んで食べた。
ここ↓、もしニュージャージー州にお住まいの方がいらっしゃったら超オススメです!

お腹もいっぱいになり、会えて嬉しかった彼らと別れ、いざ出発!

歯を差し込むだけなので、麻酔も必要がなく、研究所から送られてきたクラウンを見せてもらって、じゃあ入れましょうという時になって、
「え?」
というドクターの声が聞こえた。
あ、これ、一番聞きたくない声かも…と思った瞬間、耳の後ろから背中にかけて、ゾワゾワ虫が這い始めた。
原因は不明だが、インプラントの支柱がいきなりスポンと抜け、結局これまでの治療が全て水の泡になってしまった瞬間だった。
骨移植を10ヶ月前にやって、それからずっとレントゲンやCTで調べながら様子を見てきたのに、そしてその様子は完璧で何の問題も無さそうだったのに、なぜか骨が育っておらず、支柱を支えるに至らなかったのだそうな。
「こんな症例はものすごく珍しいのだけど、全く無いことも無いのです」
「…」
「残念ながら、あなたはその、ものすごく珍しい例の一人であるということです」
「…」
「で、もう一度初めからやり直してもいいけど、また同じ結果になる可能性がゼロではない。どうしますか?」

うわぁ〜、いやもう、これ、どうよ、まうみってる(通子師匠の造語)にも程があるやん!
強烈なガッカリ感に浸る間もなく、ブリッジに切り替えるかどうかの判断を迫られて、わたしは思わず瀕死のカバのように唸る。
でも、でも、明後日の朝には飛行機に乗って日本に行くわけだし、もう一回挑戦したところでまたスポンとなる可能性があるわけだし、ううう、ブリッジにしてくださいっ。

ということで、これまでの治療にかかった時間とお金はパーになった。
けれども、この超親切な歯科医院はまた、ブリッジ治療にかかる費用(インプラントよりも1500ドル高い)を払わなくていいと言ってくれて、ありがたくそのご厚意を受け取らせてもらうことにした。
急遽、再び骨移植の手術をし、失敗したインプラントの両側の歯(一つは健康な歯、もう一つは30年前の差し歯)を半分ぐらいまで削り、とりあえず帰省用の臨時ブリッジを入れてもらった。
合計2時間半の、レントゲンを撮っては削り、また撮っては削り、途中で麻酔の追加をし、またまためっちゃ痛い(麻酔が特に)治療となった。
骨移植はもちろん、何針も歯茎を縫ったわけで、こんなんで飛行機乗ってもええんか?って思ったけど、今となっては元々の予約日が明日だったのが向こうの都合で今日に変わったのは、せめてもの幸いだったのかも。
とりあえず見た目だけ歯は揃ったので、話したり笑ったりするのにいちいち気をつけなくてもよくなったけど、柑橘系や固いもの、辛いものは食べてはいけないし、噛むのは奥歯のみ、というのを1ヶ月ほど続けなければならない。
もちろん餅とお酒は以ての外で、久しぶりの日本でのお正月だというのに楽しみが半減する。

なんてこった…とうなだれてる場合ではない。
明日しかないのだから、全く何もし始めてもいないパッキングをしなければならない。
その前にまず、めちゃくちゃ嫌がるだろう海をケージに入れ、獣医科病院に連れて行かなければならない。

というわけで、バタバタな準備日になりそうだけど、何はともあれとりあえず行かせてもらえることに感謝しようと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1年がどんどん短くなる今日この頃

2023年12月09日 | ひとりごと
12月に入り、朝晩が零下まで冷え込み、家々の軒先や前庭にクリスマスのイルミネーションが輝き始めた。
この月の3分の2は一年のうちで一番暗くなり、毎年夫はそのことが気になるようだ。
わたしは逆にちょっぴりワクワクする。
どん底まで落ちたらあとは這い上がるのみ。
ちょっとニュアンスは違うけれども、その時のワクワクと似ている感じがする。

街の通りでは、路上駐車が2時間無料になる。

YMCAの建物の地下にも。

わたしはケチなので、週3日のアクアビクス&スイミングに通うときは、2時間無料の路上駐車を実行すべく最大限の努力をする。
かなり離れていてもとりあえず空いている場所を探すのだけど、真夏と真冬はけっこうきつい。
なのでこの無料期間はとてもありがたい。
もちろん競争率は半端ではないのだけど…。

雨が降り続いた時に目の前に突然現れた巨大ゲジ虫(ゲジチュウ・息子たちが名付けた)。


昨日はインプラント治療の2回目(最後)の手術を受けた。
1回目のそれは、骨まで浸潤していた膿を取り除き、欠けた部分を補修するという手術だったので、時間がかかるわ痛いわで散々だったのだけど、今回は切開と縫合はあったものの30分程度で終わった。
被せ物の型取りをして、さあ帰ろうと思ったら、アシスタントの女性がやって来て、ちょっと話がしたいと言う。
「うちでももちろん被せ物を作ることはできるけれど、あなたの場合は上の前歯なので、色や形を完璧にできる専門の施設にお願いする方がいいと思うのですが」
「専門の施設?」
「そう、うちと提携している施設が何ヶ所かあるので、そこに行ってカスタム仕様の歯を作ってもらうことをお勧めします」
「その費用はどうなるんですか?」
「加算されません」
「それはありがたいです。でも、そこと予約を取らないといけないんですよね?」
「そうですね」
「今わたしにとって1番重要なのは、29日の日本行きまでに治療を完了するっていうことなんですよね」
「わかっています。だからドクターも若干治療の行程を早めたわけですから」
「それって可能なんでしょうかね?」
「うーん…一緒に事務カウンターまで行きましょう」

親切なスタッフさんが施設に電話をかけてくれたのだけど、来週の水曜日しか空いていないと言われ、それだと28日までには無理だとわかり、また診察室に戻る。
じゃあここでやりましょうということになり、歯の色をサンプルで決めていると、さっきとは別のスタッフさんが駆け込んできた。
「なんとかして28日にはこちらに届けるって言ってます!」
マジか!(心の声😅)
というわけで、13日の水曜日に行って、カスタム仕様とやらの被せ物を作ってもらうべく、また1時間ほどの間、あんぐりと口を開けることになった。
そして出発前ギリギリの28日に、その被せ物が歯科医のもとに届き、めでたく前歯が揃うことになるわけなのだが、ドクターとアシスタントはしみじみと、その被せ物がピッタリとあなたの口に収まることを祈るばかりですと言う。
この間約1時間、治療より長い時間を、わたしの極めて個人的な要望で振り回してしまった方たちに、心からの感謝とお詫びを申し上げる。


さて、昨日からうちの猫たちがかなり動揺している。
前々から仲が悪かったハチワレ猫が、うちの裏庭によく現れるようになったかららしい。
ハチワレ猫っていうのはこんな感じの猫で、わたし的には好きなんだけど、空と海は彼とは仲良くなれないみたいで、喧嘩をしては頭やら首筋に傷を増やして帰ってくる(特に海は傷が絶えない)。

その猫が、なんと、ネコ窓に頭を突っ込んで、部屋の中に入って来ようとしているではないか!
部屋の中では空が、外では海が、うぎゃ〜うぎゃ〜と大声で威嚇しているのだが、ハチワレちゃんはものともせず、彼らにも増して大声を張り上げるもんだからうるさいったらない。
それにしても、これまでにも何度か、野良猫やアライグマがネコ窓の外から部屋の中を伺っていることはあったのだけど、窓を頭で押して入ろうとしたことはなかった。
それでわたしもびっくりして、勝手口のドアを開け、コラ〜ッと叫んだのだけど、うっせ〜な〜みたいな顔をしてノロノロと階段を降りて行き、長男くんの愛車の下に潜り込んでしまった。
彼はどう見ても野良猫ではなく、うちのように外遊びも許されているどこかのお家の飼い猫のようだ。

それからというものの、我が家ではこんな感じの空海なのである。




お願いだから入って来ないでね、ハチワレくん。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

45年目の大失敗

2023年11月12日 | ひとりごと
こんなこと恥ずかしくて書けないと思ったけど、こんなことだからこそ書かないとって思う。

今日は生徒たちの発表会が行われるはずの日だった。
いや、正確に言うと、わたしがそう思い込んでいた日だった。

10月の中旬に提出した契約書に書いたとおりの時間に、会場であるユダヤ教のお寺に行った。
けれどもなんだか様子がおかしい。
やけにしんとしていて、人っ子ひとりいない。
ユダヤ教では金曜日の日没から土曜日の日没はシャバスと呼ばれる安息日なので、もしかしたらそれで来ないのかも、などと夫が言う。
いや、そんなことを今頃言われても…それに去年もここでやったけど、その時も11月の土曜日だったのだ。
しかも、契約書にも、10月にやり取りしたメールでも、わたしは一貫して11日と記入してきた。
ほら見て、と夫の目の前に携帯のメール画面を突きつける。
なるほど、じゃあ遅れてるのかもな。

とりあえず、うちから持ってきた高さを調節できるピアノ椅子とペダル台を車から下ろした。
休憩時用の飲み物とスナック、それから記念トロフィーや花束なども入り口近くに運び終え、もうあとは中に入るのみ。
けれどもいくらブザーを押しても返事が無い。
モヤモヤと嫌な予感がわいてきた。
前に一度だけ、うちから歩いて行けるところにある教会を借りた時、事務局と当日の係の人たちとの連絡がうまくついていなくて、もう少しで中止になりそうだったことがあったのだけど、その時はその教会の前をたまたま通りかかった内輪の人が、慌てて連絡をしてくれて事なきを得た。
今回の場所は、そんなふうに内輪の人がたまたま前を通りかかるような場所ではなく、とにかく誰かが来てくれないことには始まらない。
生徒や親御さんたちがどんどんとやって来る駐車場の一角で、夫とわたしはなんとかして責任者と連絡をつけようと足掻いていた。
結局、リサイタルは明日という予定を組んであるので今日は無理です、と言われてしまい、わたしは動転するやら腹が立つやら。
でも仕方がないから、来る人来る人に謝りながら明日への延期を伝えた。
今日のために都合をつけたのだから、明日は来られなくなる人が当然出てくる。
今日のために本当に頑張って練習してきたのに、明日になっちゃったから弾けない人が数人いる。
ものすごく遠いところから、友人や家族を乗せてやって来てくれた人たちがいる。
猛烈に申し訳なくて、猛烈に腹が立って、猛烈に悲しくて、頭がどうにかなってしまいそうだった。

ようやく連絡がついたオフィスマネージャーに、だからわたしは噛みついた。
どうしてくれるんだと猛烈に抗議した。
そしたらなんと、6月に日時を決めた時は、12日になっていたと言う。
そのメールのやり取りが送られてきて、わたしはそれらを唖然として読みながら、それでは一体いつ、わたしの頭の中で11日にすり替わっていたのかを知りたかったのだが、どこをどう探しても見つからない。
でも、先月の18日にお寺に送った、契約書の提出についてのメールは、そもそもタイトルからして『11月11日のリサイタル』だったし、メール中の文章にも一貫して11日と書いてあった。
そしてその後に提出した契約書にも、当然11月11日と記入した。
その時に、何言ってんですか、こちらのスケジュールには12日となっていますよ、と言ってくれてたら…というのは責任転嫁なのだろう。
悪いのはわたしだ。

というわけで、ピアノ教師を生業にしてから45回目の発表会で、わたしは大失敗をやらかしてしまった。
もう本当に穴があったら入りたい気分だけど、明日は今日の分も頑張らねば、わたしの大ボケのために大変な目に遭った人たちに申し訳が立たない。
出られなくなった人たちには申し訳なんて全く立たない。
その人たちは来週末にうちでサロンコンサートを開いて、今日のために用意したドレスを着て弾いてもらうことにしたけど、それを考えただけで涙ぐんでしまう。

生徒の親御さんたちから続々とメールが送られてきて、帰りにアイスクリームを食べに行って楽しく過ごした、練習する時間が増えてよかった、時にはこんなことが起こるのが人生だ、わたしたちよりまうみが辛い思いをしているはずだ、明日はめっちゃ楽しもう、今日より以上に応援する、などと優しい言葉をかけてくれて、またまた涙ぐんでしまう。
ごめんねみんな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あと3日で発表会

2023年11月08日 | ひとりごと
どこの花屋さんに行っても見つけられなかった葉牡丹を、近所のホームセンターで見つけた。
月一でうちに来て、あちらこちらの不具合を修理してくれている何でも屋さんと一緒に、夫の漢方薬の収納棚を作るための材木を買いに行った時のことだ。
でも、プラスチックの鉢にはケールと記されていて、わたしがいそいそとカートに入れていると、それって食べられるの?と聞いてきた人が3人もいた。
確かにケールではある。もしかしたら食べられるのかもしれない。
けれどもわたしにとっては懐かしの葉牡丹であり、ちょっと派手目の姿のものも葉牡丹もどきであると強引に決めつけて購入した。
春からずっと楽しませてくれていた鉢植えの、弱った草花を引っこ抜き、空いたところに葉牡丹を差し植えした。
なかなかいい感じである(自画自賛丸出し😅)。

今年のハロウィンのトリートはこんな感じ。ハーシーズチョコレートのミニ版詰め合わせを買っておいた。
やって来たちびっ子たちから、こういう大きめでちゃんとした(どういう意味だろう?)のをくれてありがとう!とお礼を言われた。
小さくてちゃんとしていない甘い物をイヤイヤながら受け取る…ちびっ子たちも大変だな。


これは、便利屋さんが作ってくれた漢方薬棚第二号。

ここは夫が仕事場にすると言ってから、すでに◯◯年も経った2階の一室である。
台所の棚を作ってもらった時もそうだったけど、木の良い香りがふわふわと漂っていて、2階に上がるたびになんともいい気分になるのだが、さすが110歳の家らしく壁が波打っているわ、床が傾いているわで、作業のいちいちがかなり大変そうだった。

さて、これは一体なんでありましょう。

発表会の終わりに、よく頑張りましたで賞のトロフィーを渡すのだが、今回のトロフィーの底に『Made in China』というシールが貼られていて、こちらにもいる『Made in China』アレルギーの親御さんのことを考慮して、シールを剥がすことにしたのだけど、このシールがまた厄介で、爪でゴシゴシ擦っても糊がベッタリついたまま、というタイプだった。
なので粗方を剥がし、糊の跡を消しゴムで擦り取り、テープで細かい屑を拾い、仕上げに布でゴシゴシ拭くという作業を延々とし続けた。
発表会の準備には、そりゃ色々な類の作業があるけれど、時間の余裕さえあればこういう単純作業は嫌いではない。時間の余裕さえあれば、ね。

2時間近く離れたところからはるばるやって来てくれる生徒さんが、花がよく咲くようにと、帰り際にチャチャっと選定してくれた菊が、彼女が言った通り庭中で笑い咲いている。

こちらはいつ植えたかも覚えていない菊さん。

夏の間はミントの森に埋もれていた孔雀さんが姿を現した。

落ち葉を放ったらかしにしている我が家では、森の中のハイキング気分を満喫できるので、期間限定ではありますが、お好きな方はどうぞいらしてください。


夏過ぎからほとんど無視していたソメイヨシノ姉妹の様子がなんだかおかしい…近づいてみると、


あまりの惨状に呆然と立ち尽くすしかなかった。
なんでこんなになるまで気がつかなかったのだろう。
痛かっただろうに、ずっと助けを求めていただろうに、わたしは部屋の中からぼうっと眺めていただけで、めくれた樹皮の色の変化にさえ気がつかなかった。
姉妹は空と海の爪研ぎ場にされてしまっていたのだろう。
今年の春に、それまで鹿避けに張っていた金網を外したからで、鹿の害ばかりを考えていた自分を責めたのだけど後の祭りだ。

もう元には戻れないだろうけど、これ以上痛い思いをさせないように、遅まきながら、そして不十分ながら、とりあえず応急処置をした。


その痛々しい姉妹の近くで年々大きくなってきた雑木だが、可愛い花と実をつけるので、毎年どうしたものかと思案している。


菜園を覗くと、なんとまあ、小松菜やアルゴラ、そしてシシトウや茗荷が頑張ってくれているではないか!

さすがに張りには勢いが欠けるものの、前日の夜は0℃にまで気温が落ちたのにこの姿。ありがたやありがたや。

金網の夏の名残。

ただただだだっ広い近所の公園。




ちっちゃなコンダラを見つけた。

ずっとずっと何回レッスンをしても一向に進歩がなかった高校生の生徒が、とうとうのとうとう弾けるようになってきた。
ここに来るたびに次はきっとちゃんと弾けるようにしてくると言って、けれども次に来た時に全く同じところで弾けなくなって止まってしまう子だった。
それも最初の3小節目で…。
2週間前に、もうこれでは無理だ、連弾の曲は諦めてソロの曲だけに集中しようと、ほとんど懇願に近い気持ちで話しても、いや、絶対に両方とも弾きたいと言って聞かない。
弾けるはずの子がいつまで経っても弾けないという謎のもやが頭の中でじわじわ増え続け、それは心にまで入り込んできた。
このままでは発表会までにこちらが参ってしまうと思い、両親にこれまでの一部始終を伝えるメールを書いて送った。
父親は特に音楽に関心があり、娘の教育にも熱心な人なので、彼自身もずっと心配して彼女を説得していたようだった。
そして彼は、わたしが全く知らなかったことを話してくれた。
彼女はマーチングバンドと学校主催の特別プロジェクトに参加して、その練習や準備、そしてフットボールの試合応援にずっと時間を取られていたらしい。
単純にピアノを練習する時間などほとんど無かったわけだ。
でもその練習や準備も、先週の土曜日で全部終わるので、彼女は100%発表会の準備に携われるはずだ、と父親は言う。
ふむ…。
どうして彼女はそのことをわたしに一言も話さなかったのだろう。
話したら最後、そんな状態だったら2曲は無理だから、どちらかを選ぶか発表会自体をキャンセルしなさいと言われると思ったからだろうか。
深々とため息をついて、父親と本人にメールを返した。
明日の日曜日から発表会の土曜日までの6日間、ここに毎日来ることはできますか?

日曜日の朝に1時間半、父親と一緒に来てもらい、ダメもとでレッスンをした。
父親はわたしが言う言葉をパタパタとノートパソコンに打ち込み、わたしの演奏を聴くとどんなに違うかを娘に力説した。
「まうみの音からは歌声や感情がじんじん伝わってくるけど、あなたのはただ鍵盤を叩いているだけに過ぎない」などと、きついことを言うのでちょっとドキドキした。
とにかく真似っこでもいいから、明日の月曜日の夜までに良い結果を出して見せてと言って帰した。
翌日の月曜日、なんと彼女はほぼ、どちらの曲も弾けるようになっていた。
聞くと、月曜日は学校を休み、父親と一緒にスタジオにこもり、朝から晩までひたすら練習したそうな。
そこまでしなくても、と思ったけれど、父娘で話し合って決めたらしい。
そして昨日、やっと曲想のこと、フレーズのこと、鍵盤タッチのことなどを伝えることができた。
今日も彼女はやって来る。
「もうこんな無茶は二度と嫌だからね」と苦笑いで言うと、彼女も苦笑いしながら「うん」と言った。
舞台でいい演奏ができますように。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いろいろと頑張ってます!

2023年10月31日 | ひとりごと
毎年恒例のインディアンサマーの3日間が終わり、雨がざあざあと降って、今日からまた肌寒くなり、明日からの数日は最低気温が0℃近くまで下がるらしい。
街の並木の落ち葉は最高潮、道も車も色とりどりの葉っぱをまとっている。
毎年この季節に生徒たちの発表会を開催しているので、のんびりと紅葉を楽しむ気持ちになかなかなることができないのだけど、それでも歩いたり運転したりしていると、心を鷲掴みされるような瞬間が幾度もある。

顔の出来物切除から2週間が経ち、経過を診てもらいに行った。
下瞼の方は全部を取りきれてはいないけれど(だからまたグロテスクに育ったら痛い思いをしなければならない😭)取った部分はすっきりと治っている。
右頬の出来物は削り取ったので平らにはなったけど、まだ炎症が治っていないらしく、あともう1週間、抗生物質が配合された軟膏を塗らなければならない。
水泳禁止が大腸がん検査の準備機関から足すと3週間も続いていて、明日から行ける!と楽しみにしていたのに、あともう1週間はダメだと言われてしまった。
わたしは一度ハマると粛々と続けるタチなのだが、それができなくなると、その間だけ何か代わりのものを見つけてやり過ごす、ということができない。
だから水泳ができない=何もしない、になってしまう。
防水のバンドエイドを二重に貼って、なんとか誤魔化せないものかと思ったが、夫に「こういう時にそういう考えを実行するのはいかがなものか」と言われてしまった。

発表会まであと12日。
毎年同じようなことをぶつぶつ言っているような気がするけれど、今年もまた間に合わないかもしれない生徒が数人いる。
その中の一人はティーンの女の子で、しっかり者で前向き、そして頭も良いのだけど、楽譜を読むことがかなり苦手。
ソロの曲も連弾の曲も、もう夏前から弾いていて、夏はボストンで開かれたミュージックキャンプにも参加したような子なのに、いつまで経っても出来が悪いまま、とうとうこんなに日が経ってしまった。
もう間に合いそうにないので、連弾の曲をやめてソロ曲に集中しようと言っても、どちらも弾きたいの一点張りで、けれど次のレッスンでもほぼ同じ状態で弾いている。
これは練習の段階からつきっきりで教えないと埒が明かないと思い、特に弾けていない連弾曲を、週末に一緒に練習することにした。
発表会まで2週間の時点で、はじめの3小節さえまともに弾けなかった彼女が、楽譜にありったけの数字や言葉を書き込んで、1小節ずつ手取り足取り教えていくと、1時間で18小節弾けるようになった。
頼むからここまでをきっちり脳みそに叩き込んでおいてねと言って、翌日の日曜日にも来るように言ったのだけど、ドタキャンされてしまったので、明日の夜に、ハロウィンだけどまた練習をすることにした。
彼女はいつも「わかった、やれると思う。頑張るよ」と言って帰っていくのだけど、楽譜が不思議なくらい読めないのだから、どう頑張っても結果は出てこない。
こんなギリギリまでいや〜な予感や不安を感じながらも、彼女に任せてしまっていたわたしにも責任がある。
最悪の場合は、両手弾きを片手に減らしたり、彼女のパートをわたしの方に移したりすることになるだろう。
なんとかして当日の舞台に間に合わせてあげたいなあ。

プログラムを作る際は、曲の難易度や曲想で順番を決めていく。
今までは、大人の生徒さんたちの順番を決めるのがなかなか難しかった。
ピアノを弾き始めてまだ間もない大人は、小さな子どもに混じって弾くことになるのだけど、それはちょっと居心地が悪いだろうなと思いつつ、仕方なく名前を書き込んでいた。
けれども去年から初心者の大人の生徒さんたちの都合が悪くなってレッスンの休止が続き、その後続々と若い頃に弾いていた大人の人たち(20代から70代まで)が入ってきたので、今年のプログラムは前半が子どもたち、後半が大人たちになって気分がかなり楽である。
ギリギリで頑張っている子たちをプログラムに載せるか載せないかがまだ決められないので、プログラム作成はまだできない。
今日はトロフィーの注文を済ませ、当日の手伝いをしてくれる係の人と打ち合わせをした。
明日はハロウィン。チョコの準備も済ませてある。
ちびっ子もティーンも、1週間ぐらい前からウキウキとこの日を待っているのだけど、学校ではこんなお知らせが配られたそうな。
「キャンディやチョコレートを食べる際には、必ず中に刃物などの危険なものが挟まれていないかどうかを確認すること」
小さな子たちを傷つけて喜ぶ阿呆がいるのだ。
いや、そんなことを企んで実行してしまうような輩は極悪人だ。
Trick or Treat が無事に楽しく終わりますように!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする