ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

母の入院

2025年02月13日 | 家族とわたし
90歳になる母に、いつものご機嫌伺いの電話をかけたところ、電話に出た母の声がおかしいのです。
どうしたん、しんどいの?と聞くと、しんどい…と答えます。
なんかあったん?と聞くと、朝ごはん食べて、いつものようにお薬飲もうと思ったら、変なとこに入って激しく咳いて、咳いてるうちに半分ぐらい戻した、と言います。
誤嚥か?とヒヤリとしましたが、もう少し詳しく話せるようだったので、続きを聞くことにしました。
前日の、いつもの夕方散歩の帰り道で、急に足が動きにくくなったらしいのですが、とりあえず無事に家に戻り、いつも通りに食事を済ませ、お風呂も自分で入れたと言います。
なのに今、急にこういうことが起こって、とにかく体がだるくて仕方がないし、指が震えてiPadのキーがちゃんと押せない、と言うのです。
話を聞いている間に、母の呂律がどんどん回らなくなってきたのでそれを夫に伝えると、とにかく今すぐ病院に行くように言え、と言うので、そう母に伝えました。
義父から後で聞いたところによると、母は頑として行かないと言ったようですが、彼が押し切って救急車を呼んだのだそうです。
救急で検査してもらったところ、脳にも血管にも問題は無く大丈夫だと思われるが、症状と年齢からパーキンソン病の疑いがあるので、神経内科で受診するようにと言われ、そこで翌日の朝に、同じ病院の神経内科で詳しい検査を受けたのですが、今のところ問題視する必要のない血栓が一つ見つかったのと、パーキンソン病の有無を確認したいからということで、即日入院ということになりました。
遠く離れた所で気を揉むことしかできないわたしとしては、入院してくれたことは本当にありがたく、それまで心配でろくに眠れなかった夜が続いたので、その日はやっと普通に眠ることができました。

最初の数日間は相部屋でしたが、特別個室という部屋が空いたので、そこに入れてもらうこともできて喜んでいると思いきや、自分だけではもはや一歩も歩くことはできなくなったので、部屋付きのトイレもシャワーも使えないと言います。
だからトイレはベッドのすぐ横に置いてもらったポータブルトイレを使わざるを得ないと不満気に言うので、病院に歩行器を部屋に置いてもらうように頼んでみたら?と話しました。
母が入院してから以降、毎日電話をかけて話をしているのですが、聞こえてくる声はガラガラでさも苦しそうです。
部屋に加湿器を置いてくれてあるのかと聞くと、そんなものは無いと言うので、義父に持って行ってもらうよう頼みました。
義父が持ち込んでくれたのは20年も前の年代物の加湿器で、使ってもあまり意味がないような代物でしたが、お水の補給をする必要があったので、それを看護師さんか義父に頼めないだろうかと聞くと、そんな医療行為でもないことを頼めると思うか、80歳にもなろうという私に、いくら近いからといっても再三水換えに行けとは何事か!とすっかりおかんむりです。
わたしも考えが浅かったことを反省し、何でもかんでも頼めると思っていた甘えがあったと謝ったのですが、ずっと溜め込んでいた不満が噴き出したようで、義父との仲はあまり芳しくありません😅。

入院が1週間に差し掛かった頃に、母が急に、担当医から退院をせがまれたと言い出しました。
あなたのような患者をいつまでも入院させておくと上からお叱りを受ける。
退院に際してかなりの枚数の書類に目を通し、サインなどをしてもらう必要があるので、息子さんか娘さんに病院に来てもらうよう伝えて欲しい。
あなたの夫は、耳が聞こえにくいからか話が通じないところがあるし、受付の方からもクレームが出ているので、この作業を任せることはできない。
というようなことを言われたと言うのです。
これはえらいこっちゃということで、弟にその話を伝えたところ、ちょうど12日が休日なので、その日だったら行けるとのこと。
弟も母から直接電話がかかってきて、同じような話を聞いたそうで、行くつもりでいたようです。
そこでわたしたちは、いろいろと作戦を立てました。
もう25年も前の話になりますが、父がステージ4の胃がんで入院した大阪の成人がんセンターの担当医から、横柄で心無い言葉を何度も投げつけられた弟にとっては、今回のことはあの悪夢の再来かと思えたのでしょう。
医者の心象を悪くしないように、かといって向こうの態度次第ではきっちりとこちらの要望も通すように、そして病院から無碍にされている義父がそのことに気づかないように、そんなこんなについて話し合いました。
そして昨日、弟は大阪から病院に、車で駆けつけてくれたわけですが、なんと、母の話が全くの妄想であったことがわかったのです。
12日の朝に、担当医の方から電話がかかってくる。
担当医からは、あなたのような患者を入院させておくと上から叱られると言われた。
退院に際しての書類作りは、あなたの夫には無理なので、息子さんにお願いしたいと言われた。
書類は受付から受け取るようにと言っていた。
退院後にリハビリ専門の病院が3つほどあるので、そこから選んで移ればよいと言っていた。

…という話を鵜呑みにしたわたしから伝言で聞いた弟は、病院に着いた後、真っ先に受付に直行し、書類のことを尋ねたところ、そんなものは存在しないと言われたそうです。
それで母の病室に上がり、担当医に連絡をとってもらったのですが、担当医も弟が来ることなんて全く知らないわけですから、普段通りの外来診察を行なっていたので、彼の診察が終わるまで待たなくてはなりませんでした。
そして夕方の5時に、4時間の待ち時間を経て、やっとのことで話し合いが始まりました。
母はわたしに、話し合いに混じるなんて以ての外や、絶対に無理と言っていましたが、歩行器を使ってスタスタと歩き、担当医の長い病状説明もちゃんと聞けたそうです。
その場にはケースワーカーさんも加わり、退院後の移転先や、さらにリハビリ病院以降の暮らしをどうするかまでに至る説明もしてくださったのだそうで、結局病院側は母を退院させる気など全くなく、見つかった血栓は今の症状とは関わりがなく治療の必要もないことから、パーキンソン病の投薬を試して様子を見ている最中である、ということがわかりました。
母も義父も、今回のことをケアマネさんに連絡をしていなかったことも判明し、弟がそれではダメだと言ってくれたようです。

母は夢でも見たのかもしれません。
入院してからの母は、入院前後のことをほとんど覚えていないし、言ったこともやったこともすぐに忘れてしまいます。
ご機嫌伺いの電話では、世間話や苦情聞きはもちろん、母がハマっている脳トレパズルのわからない答をわたしが代わりに回答するというのもやっているのですが、彼女自身の解答力が日に日に落ち込んでいることは薄々感じていました。
でも、この記憶のモヤモヤの広がりは初めてのことですし、誰も言っていないことをさも聞いたように話す、というようなことも初めてです。
わたしはとにかく物理的に役立たずなので、オロオロと心配することしかできません。
けれども弟は介護職の要人で、弟のパートナーは介護職のエキスパートさんです。
どちらもそれぞれに重責を背負っているし、だから本当に忙しい人たちなのに、わたしとしては頼らせてもらうしかないので、とても申し訳ない気持ちでいっぱいです。
本当にありがとう。そしてごめんね!

冒頭の写真は、去年の12月、今からほんの2ヶ月前に、お気に入りの宿のミニゴルフを楽しんでいる母を写したものです。
もうやれないだろうと諦めていたのに、やってみたら案外できたと、本当に嬉しそうでした。
その嬉しさをバネに、それ以降、ほんの数日前まで、毎日散歩に出かけ、部屋の中ではストレッチをし、日に日に足腰がしっかりしてきた矢先の入院騒動でした。
彼女が高齢になってから、一番やる気が出て、気分も明るくなっていたところだったので、このことがきっかけで気持ちが落ち込んでしまわないかと心配しています。
コメント
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