ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

面目丸つぶれの巻その1

2008年10月02日 | アホな小話
当時わたしは、某音楽振興会の某地区の中ではちょいと名の知れた、小さなお山の大将でした
もともと優秀だった子が、もともとの力を発揮していただけなのに、その子達を担当してるからってんで、
振興会から『核講師』なんていう物々しい名前をいただき、無料だけど、外出一切禁止の厳しい教習なんかも受けたりして、
自分もすっかりその気分、他の講師から見ると、きっといけ好かないバリバリ女だったんだろうなあ。

けれども、そんなことをおくびにも出さずに、研修に出かける車中や、会議が終わってからのお茶タイムには、
わたしにいろんなことを聞いてくれたり、わたしの経験談(いわゆる自慢話ですね)に耳を傾けてくれたり、
後輩の講師達の、その時の真剣な眼差しを、わたしは今も覚えています。

ある朝、かなり早い時刻の近鉄特急に乗り、講師仲間と研修を受けに名古屋まで行きました。
その日の車中も、何の話だったかさっぱり忘れちゃいましたが、なにやら熱く語っていたわたし。後輩達の頷く姿に満足満足
電車が名古屋駅に到着して、改札口に急いでいると、後ろから「先生、先生、」と呼び止められました。
「なに?」
「あの……なんかヒラヒラしたのがそっから……」と、彼女が指差す先はわたしの右足のくるぶし辺り。
自分の足下なのに、しかも、彼女の指摘通り、なにやら怪しくヒラッとした物も見えるのに、さっぱりよく分かりません。
「なんやろコレ?」と言いながら、怪しい物を指で掴んで引っ張りながら歩き始めたわたし。心配そうに見守る後輩達。
なかなか動かないそのブツがわたしの引っ張る力に負けて動き出した時、背骨のあたりにスウッと冷たい風が……。
イヤな予感……。わたしの人生に比較的よく吹く風です。
そのブツは、わたしの引っ張りに抵抗しきれず、左のスネから腿を経て股を通過、
そしてわたしの右足の腿からスネを通過して、晴れて世間(名古屋の朝の込み合ったプラットホーム)に姿を現したのでした。
わたしの右手にしっかり掴まれていたのは、昨日履いてたよれよれのパンティストッキング。
わたしを囲む後輩達のあの時の表情。目が点になる、というのを映像でくっきりと見た瞬間でした。

無精なわたしは、その日の前日まで、蛇の皮脱ぎという技を駆使して着替えておりました。
住んでいた地域が寒かったというのは都合の良い理由。めんどっちいので、パッと脱いでパッと着られるのが気に入ってたんです。
なので、下着のパンツ+パンティストッキング+ウールのパンツをひとまとめになんて当たり前、
次の日に着る時に、ばばちくなって洗わなければならないのだけをシュッと抜き取って、またまた重ね着してました。
その日はたまたま寝坊して焦ってたってこともあり、ばばちくなったストッキングを抜くのを怠ったんですね。

その日の晩から、もちろん、1種類ずつ脱ぐようになりました。
人間って、失敗を重ねて学び成長していくんですね

話はその2に続きます。多分……いつか……。

P.S.
昨日、かなりしんみりした気分でベッドに入ろうとした時、すでに深い眠りに落ち入っていた旦那がこう言いました。
「あ、乾電池あらへんわ……」し~ん……
ありがとうよ旦那。あまりにもアホらしくてワケ分からんくて、気分がちょびっと救われただよ


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ドレミの歌

2008年08月31日 | アホな小話
昨日の夜から3週間ぶりの大雨が降って、今日は1日中蒸し蒸しと暑い日になった
なぜか?
それは、雲女がここにやって来たからだ。
彼女は、結局この家に3度訪れてくれたただ一人の人なのだけど、
冬に来たら大雪、夏に来たら雨雲、とにかくただ者ではない。

昨夜はいきなり夜中に気圧が変わり、どんどん湿ってきて、何度も何度も起こされた。なんてデリケートなわたし……。
なので、時差ボケているのはいったいどっち?みたいな1日になった。

夕飯後、台所の小さなテレビをつけたら『サウンド オブ ミュージック』が始まっていて、
彼女もわたしも旦那も、子供の頃から何度も何度も観たというのに、またまたハマって最後まで観てしまった。
そしてドレミの歌を聞いた時……父のドレミを思い出した。

父は、8年前の冬、わたし達が渡米することを決心した直後、末期の胃ガンが見つかって、あっけなく逝ってしまった。
彼には、いろんなことで、いろんな思いをさせられたけれど、なんとも魅力のある人で、どうしても憎めなかった。
それになによりも、彼がわたしをとても愛してくれているのがいつだってひしひしと伝わってきて、
そういう絶対的な愛情はなかなか人からもらえないものなので、わたしも彼が好きだった。

父とわたしと弟と3人でお風呂に入ると、必ず軍歌を合唱した。
「こっこは~おっくに~のな~んびゃくり~、は~なれ~てと~お~きまんしゅうの~」
温泉タオルを水面に浮かし、それで風船を作って遊んだ。

そして彼はなぜだか、おならでいろんな特技(と言えるのかどうか)を披露してくれた。
その中の1番の自慢が、ドレミおならと、花火おならだった。
今から思うと、彼の隠れた努力が忍ばれるのだけど、なんだってそんなことをしようとしたのか、今だにとても疑問なのである。

彼はおもむろに家族を居間に呼び集め、
「ええな、静かにせえよ。いっぺんしかできんことなんやから」と言って、仰向けになって両足を静かに上げた。
わたし達が息をひそめて緊張していると、なんとも奇妙な音が3回、プウ、プウ、プウ
「どや、ドレミやったやろ、な、ドレミって聞こえたやろ、おい、まうみ、どや?」
どや?って聞かれても……。きっと父は、絶対音感のある娘に証明させたかったに違いないけど、
目の前で両足上げて、おなら3連発をかます父親を見つめる子供の気持ちも考えて欲しいものである。
わたしはかなり悩んでから「う、うん、多分」と答えた。
確かに音程はあった。けれども、下手に褒めたら、次はファまで挑戦しそうなので、ここは慎重にしないといけないと思った。

ちなみに、花火おならは、おならをした瞬間にライターの火を近づけて、一瞬だけ青い火を作るという特技。
そんなこと、なんで自慢したかったんやろ?
とうとう聞けないままに、彼は亡くなってしまった。

ドレミの歌の、ある小さな思い出でした
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似たり寄ったり

2008年08月28日 | アホな小話
こんな格好して、夕食後のひと時、旦那は気分良さげにギターを弾いている。

けど、わたしの気に入らない点が3つある。

その1・椅子の後ろに倒してユラユラしている。(椅子が壊れ易い。実際彼はこの癖で1脚壊している)
その2・靴を履いたままの右足が、炊飯器を置いてあるカウンターに乗っかっている。
その3・しかも、こともあろうに、炊飯器を誘惑しているような傾き様である。

まったくもう、もともとアバウトなアメリカンがリラックスすると、時々とんでもない格好でヘラヘラしてるので驚いてしまう。
うちの親がここに居たら、速攻彼の足をピシリッ!とたたき落としていたやろに、
すっかり慣れてしもたわたしは、ブログのネタにしたろと、写真を撮ってる始末……

旦那は10年間日本で暮らした。
わたしにねじ伏せられて、突然3才半と5才の男の子の義父になった時は26才。
日本語力は、息子達に鍛えられてグングン上達したのやけど、如何せん、どうしてもマンガチックになりがち。
大人的会話はわたしから習得したので、ちょっと関西弁且つオネエ言葉に傾きがち。

特に、こんなんは無視して欲しいと思う言葉は、まるでぶっとい釘をゴンと打ち込まれたように、一発で覚えてしまうようで、
クレヨンしんちゃんの「コマネチコマネチ」やら「チクビーム!」(古くてすんません)なんてのは、
完璧なジェスチャーとともに、1週間に数回の割で今もやっている……見てる方がかなり恥ずかしい

今朝、隣の部屋にいた旦那が、いきなりおっきな声で歌い出した。
「チクチクビンビン、チクチクビンビン、チクチクビンビンだいすっき
『チキチキバンバン』のテーマソングと『チクビーム』のコラボだそうです。
「チクビーム!」と叫ぶ時、駆け足直前みたいに両脇をぎゅっと締め、
胸の辺りにある握り拳から人差し指だけをピーンと前に出すのだけど、
わたしの部屋に歌いながら現れた彼は、案の定、「チクビーム」モーションをアレンジしながら嬉しそうに踊っていた。
わたしが何も言わずに(もちろん目でおバカと言うたけど)眺めてたら、
「僕ってやっぱり天才や」と満足気に去っていった。

似たり寄ったり。なぜかポツリと思い出した言葉。

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これってええっと、ほら、

2008年08月22日 | アホな小話
夏休みの絵日記っぽいやん。
そんなことを思いながら書き始めて2週間以上が過ぎました。
コメントはあんまり盛況ではないけれど、みんなこっそり楽しみにして読んでくれているみたいで、
それを思うとわたしもよっしゃ~と気合いが入るってもんです
今日はなにを書こかなーと、気がつくと考えてたりします。
時代は変わり、絵日記帳がモニター画面に、鉛筆がキーに、絵がデジタル写真になり、
書いてる本人も話の内容も、40年分の変化(改めて数字にしてみるとスゲ~!)を遂げてはいるけれど、
わたしはやっぱり、基本的に、書くことが好きなんやなあと思います

けれども、いくら好きでもネタ切れはするもので、
そうすると、即、昔から貯め込んであるアホ話どもが、
うちらのこと書いたらええやんかと、いかにもアホっぽい顔して騒ぎ出します

過激度1から10まである中の、今日は4ぐらいのお話。

時は夏。滋賀県は大津の、暑い暑い夏の日のことでした
小学生の息子達は学校に、旦那はう~ん、多分仕事?もしかして散歩?で家に居りませんでした。
玄関のチャイムが鳴った、こんな朝早よから誰やねん?という8時前、
わたしはなぜかおパンツ一丁で、2階の畳の上に寝っ転がっておりました。(ほんまになんでやったんやろ?)
慌てて脱ぎ捨ててあった薄~い部屋着を頭からかぶりながら、階段をドタドタと下り、
髪の毛を適当に撫で付け、目くそをグイッと取ってから玄関のドアを開けると、
「宅急便でーす」と元気のいいお兄ちゃんが立ってはりました。
こんな時間に来んなよな~と思いつつも、なかなかのハンサム君なので許すことにしました。
「ちょっと判子取ってきますね」と、いつもよりちょいと高めの声で言うて部屋の奥に。
判子を押して手続き終了。「どーも」と彼は去って行ったのであります。
そしてわたしは荷物を持って部屋に戻りながら、なにかいつもと違う気配に気づきました。
なんか涼しい……スウスウする
その、スウスウする箇所に、恐る恐る手を伸ばしてみると……
ゲッ!服の裾がなぜだかおパンツの縁に引っかかってるではあ~りませんか
その、完璧なまでの引っかかり様に感動すら覚えながら、
お兄ちゃんに見せたオバちゃんパンツ、穴が空いてるヤツとちゃうやんな、とチェックするのを怠りませんでした。
朝の早よから、えらいもん見てしもた……その日のお兄ちゃんの1日が、とても気になったわたしです。

そして時は過ぎて今年の6月。ニュージャージーはモントクレアの、6月やのにめちゃクソ暑い日のことでした。
生徒の楽譜を買いに、行きつけの楽器店に行きました。
車の中はサウナのようで、乗った途端に汗びっしょり
まあ、たまにはこんなんも健康に良かろうと、クーラーもかけずに運転しました。
楽器店に入って、楽譜をいろいろと選ぶのにあちこちうろうろしながら、かなりの時間を過ごしました。
やっとこさ選び終わった楽譜を抱えてレジに行き、そこで馴染みの店員さん達とおしゃべりしていると、
その楽器店で教えている教師がおもむろにわたしのすぐ横に立ちました。
前に1度、わたしのイヤリングを褒めてくれた女性やったので、
今日もなにか言うてくれるのかな~なんて思いながら挨拶したら、
「あのね、大丈夫だから、気にしないで。あなたのスカート、ちゃんと下りてないよ」と、
なんとも思いやりのある声でささやいたのでした。

わたしの真後ろには、レッスン待ちの生徒や生徒の親が座っていました。
それに、楽譜を選んでいる時だって……
出血大サービスというか……出血大メーワクというか……
レジの人達からも、それはそれは温かい励ましを受けながら
わたしはカニさん歩きで店のドアから外に出たのでした(←カニさん見つかりません。カメさんに代理をお願いしました)。
そういや、やけに車のシートが熱いなあと思たのでした。そりゃ、生身で熱々のシートに座ったら熱いよな。

家に戻ってから、早速おパンツの点検。
遠い日のわたしを思い出しました。オバちゃんパンツも年期が入りまくってます。
良かった……穴開きのじゃなくて……(そういうレベルの問題かっ
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記事編集中に

2008年08月09日 | アホな小話
別の画面にジャンプすると記事の内容が失われます。ご注意ください。

赤字の注意書きがうらめしい……
もうこれで何回目?うっかりキーを押し間違えただけやのに、幻の迷作がもう何個消えたやら……学習せえよ~自分

昨日も2回やって、歯を食いしばりながら、何気ないふりして書き直したけど、今日はちょっと気分が萎えました、さすがに。

なので、今日の昼頃、旦那とわたしが偶然思い出したしょーもない話をちょいとご披露。

旦那の職業は鍼灸師。それに、日本滞在10年間に培った日本語力を生かして、こちらの高校生や小学生に日本語を教えている。
その日彼は、女子高生のジェリーを教えていた。彼女はモントクレア高校の3年生で、姉妹校の四国の女子高に1年間在籍して、大の日本びいきになった女の子。
レッスンのレベルも高く、漢字がとても好きな彼女のために、旦那は漢字カードを使って教えていた。
そのカードは、表側に漢字が1字書かれてあり、その漢字を使った物の名前が4つ載っていて、
裏側に読み方と意味がアルファベットで記載されている、なかなかの優れもの。

『玉』5 strokes(5画)
1.玉子 2.目玉 3.宝玉 そして、それはなんの予告も警告もなく、そこにさり気なく、格調高く書かれていた。
4.金玉
彼女のために声も高らかに読んでしもてから、旦那は愕然としたそうな。
え?え?え?今ボク、なに言いました?
彼女の可愛らしい声できっちり復唱されたその言葉を聞いて、さらに深みでうろたえる日本語教師……
きっとなにかの間違いやとばかりに、こっそり裏を覗いてみたら、
4. kintama gold ball, testicles と書かれてあって、さすがの旦那も観念したそうな。
またすぐにでも日本に行って、いろんな人と交流を持ちたいと、クルクル目玉をキラキラ輝かせて言う彼女に、旦那はこう言った。

今のは忘れてね。

あかんがな~!そう言われたら余計に覚えてしまう言葉の不思議。

ふとしたきっかけで思い出して、元気に言うてしまいませんように。

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母の愛

2008年08月07日 | アホな小話
依然として交渉は中断したまんま。わたし達の弁護士は今頃どこかの島だか海だかで、優雅にバカンスしてるんやろなあ

昨日はちょっと感傷的になったわたし。ここらへんで気分を変えるためにも、ちょっと小話をひとつ。

上の息子は工科大の4回生。
ここから遠く離れた(休み無しで車をぶっ飛ばしても7時間半かかる)ヴァージニア州に暮らしている。
彼が3才の夏、睾丸袋の後ろ側が痒いと訴えてから丸10年、彼は傷だらけ血だらけになりながらアトピーの痒さに耐え続けた。
5才になって母親の駆け落ちに付き合い、幼児の扱いが苦手な若者アメリカン義父に気を遣い、
極貧からなかなか抜け出せない親のもと、いっぱい我慢しながら大きくなった。
13才でいきなりアメリカに連れて来られ、
現地人やのに教えてくれない義父と、移民やから無理!と堂々と居直ってる実母に見切りをつけ、独り学校で学んだ彼。
大学生になって3年間、家の経済を思ってか安い寮で暮らしてたけど、
最後の1年だけはアパートに住まわせてくれへんかなあと、初めてのお願いがあった。
「彼には辛抱させっ放しやったから、アパートはともかく、彼の5才の時からの夢やったフェアレディも貸してやりたい」
ええぇ~マジィびっくりしつつもちょっぴり嬉しいわたし。
フェアレディは旦那パパからのお下がり。今年で20才の大御所。
初めてアメリカに遊びに行ったクリスマスイブに、下の息子が川崎病を発病し緊急入院した時、
5才やった上の息子を元気づけようと、旦那パパが彼を助手席に乗せて、160キロでぶっ飛ばしてくれたそうな。
その時以来、いつかフェアレディを運転するのが息子の夢になった。
それを覚えていた旦那。そして、ずっと我慢させてきたと思てたのはわたしだけじゃなかった。
それがなんだか嬉しかった。

そんなこんなで、サマーコースを取るために早めに大学に戻る息子に付いて、
荷物運びの手伝いがてら、旦那とわたしがもう1台の車で一緒に行くことになった。
なにしろ息子は免許取りたて1週間のホヤホヤ、大御所は20才のお年寄り、
休みも入れて9時間のドライブに耐えられるかどうか……、
3人ともそれぞれのやり方で隠しはしてたけど、かなり緊張しながらの道中、
その伝説的小話は生まれた……。

大御所をかなりの時間続けて運転したわたし。
エアコンなんざとっくの昔にぶっ壊れてるその車内の気温104°F、摂氏に直すと40℃
熱中症手前でフラフラと、息子の運転するスバルの助手席に移った。
文明の利器エアコン、あ~いい気持ち
すっかり汗もひき、気分上々でデュランのCDを聞いてたら、
「しりかいて」
えっ……?しりかいてって……。
依然として前を向いたままの息子と、それを横目で盗み見するわたし。
わたしはその昔、トイレで用を済ませた息子のお尻を、かなり大きくなるまでいそいそと拭いてあげてた母親として有名だった。
「拭いてぇ~」と呼ぶ息子達のかわいい声が今も耳に残っている。
その様子を横で見ながら呆れてた旦那の耳にも残ってるらしい。
そういう過去があるだけに、21才になったとはいえ、「尻掻いて」と頼まれるのもしゃあないか……。
けどなあ、いくら産みの母ちゃんといえど、青年の尻を掻いてええのかどうか……。
まさかセクハラとか虐待とかにはならんべな……。
迷いは次から次へと怒濤の嵐のごとく押し寄せる。
でも、ちっちゃい頃から痒さで苦労してきたこの子の頼み、ええ~い、聞いたらいでかぁ~

それでもやっぱり薄ら恥ずかしい母は、前を向いたまま、16才の乙女のごとくそろ~りそろりと息子の尻とシートの間に手を差し込んだ。
あ、それはそうとどこら辺が痒いんやろ?
え~い、ここら辺でど~じゃ。
決死の思いで人差し指から小指までの4本をクイッと曲げた(ピアノ弾きは指力が強い)途端、
「おわっ!なにする、このド変態っ!」
ハンドルを握りながらも10センチは飛び上がった息子。
ド変態?!
びっくりしたのはわたし。呆然として固まってると、いきなり息子が爆笑し始めた。
ひぃひぃ泣き笑いしながら息子がふり絞るようにこう言った。
「アホか、CD替えてって言うたんやがな~」「へ?」

「またひとつ、伝説が生まれたな」……親思いの息子がボソリとつぶやいた。
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