ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

夏の夜の独り長話

2021年07月17日 | ひとりごと
菜園がどんどんワイルドになってきました。
毎回思うのですが、種を蒔いてから芽が出てくるまでの間、そして芽が少しずつ大きく育ち始め、食べ頃に育ち上がり、毎日採っていただいてもまた育ち、そうやって数週間が過ぎた頃にやってくるジャングル時代…。
世話をしっかり続けていればこんなことにはならなかっただろうと毎回のように反省しつつ、あちこちに伸びて重なり合った枝やツタをかき分けながら収穫する毎日です。
ナスビや豆がやっと実をつけ始めた頃に、キュウリや菜葉が終わりを迎えてしまいました。
また種子を蒔こうか思案中です。

毎年夏になると、台所のカウンターに必ず現れるアリさんたち。


不思議なことに年毎に種類が違うアリさんが現れます。
今年はやや大型のしっかりしたアリさんです。
以前は見つけたら否応なく駆除していたのですが、数年前からは外に逃したり無視したりするようになりました。
食べ物を置きっ放しにしておかなかったらいいのだし、いたからといってとても困るような事が起こらないし、幼い頃にアリの行列を見たら虫眼鏡をお日様にかざして焼き殺していた罪滅ぼしもしたいし…😅

先日、どうしているのかがずっと気になっていた人に電話をかけました。
その人はわたしにとっては姉のようであり、母のようであり、親友のようであり、とにかくとてもとても大切な存在です。
プライベートなことをここに書くことはできないので、一体なにを話しているのかわからないとは思いますが、1時間を超える彼女との話の後、人と会えること、人と話せることについてずっと考えています。

新型コロナウイルスの感染問題は、そのどちらもがとても難しい、これまで全く想像もしていなかった世界の在り方を突きつけてきました。
人と会うこと話すことが突然怖くなり、できるだけ避けようとする気持ちが生まれました。
特に世界の中でも最悪の事態となったアメリカ合衆国にもたらされた恐れは半端ではなく、これまでマスクなどどんな事があってもしなかった人たちでさえ、常に持ち歩くようになったほどでした。
ただ、残念なことに、トランプ政権時に感染が発覚したので、それまでに十分悪化していた分断が更に進み、感染対応が州ごとに異なったことで、国全体の感染状況は良い方向に進みにくくなってしまいました。
世界的に見ても、そしてアジア的に見ても、日本はユニークというか、謎が多い状況が続いています。
科学的に、そしてなにより正直に、きちんとデータを取り、それら全部を記録としてしっかり残しているのかどうかも不明です。
そもそもそういう事をする機関が存在しているのかどうかもわかりません。
感染問題が発生してからもう1年半が経ちましたが、疫病予防管理センターや管理システムが構築されたのかどうかもわかりません。
検査はいつまで経っても有料で受けにくく、ワクチン接種も接種券などというものが届いてからなどという、まるで昭和時代の方式が取られています。
支援金や給付金、失業保険金などのお金の振込みも面倒な書類手続きが必要で、既存のシステムを臨機応変に使い、当たり前のように個人口座に振り込まれてくるアメリカとは大違いです。
世界的に見ても、感染で疲弊する必要の無かった日本の人たちが、感染地獄に陥った国の人たちよりも疲れ、不安と怯えを抱えながら毎日を暮らしているのはどう考えても納得できません。
検査数を異様なまでに抑えているのは事実で、だから感染者数も実際のものとは違ってもっと多いのかもしれないけれど、なぜか重症化するのが他の国の人たちよりも格段に少ないと考える他に、この謎が解ける方法がありません。
もし欧米やアメリカで、日本と同じだけの数の人たちが満員電車に乗ったら、結果は絶対に違うものになると思います。
もちろん生活様式や習慣が違うし、体の接触が日本と比べると多いのは確かですが、それでも人出の状況を考えると日本特有の、疫病感染に対する有利なナゾナゾがあるとしか思えません。
だから、日本はもっとうまくやってこられたはずだった。
もしかしたら感染を抑え込めた、世界でも稀な国になれたかもしれなかった。
もしも為政者がまともだったなら、その特有のナゾナゾ効果を活かしながら、けれども感染対応は想定外のことも含めて厳しく行い、一気に封じ込めることも可能だったんじゃないかと思います。
そうすれば、今みたいに、病院や施設に入った途端に誰とも会えなくなったり、里帰りができなくなったり、親の死に目に会えなくなったり、そんな取り返しのつかない時間が過ぎていくのをただ見ているしかないという、なんとも寂しく辛い気持ちを抱える必要がなかったんじゃないかと思います。

人と会えなくなる。
人と話せなくなる。
完全に独りぼっちではなくても、否応なしにそれに近い状況に押し込められることが格段に多くなる。

これは正しいという理念に基づいて作られた規則や規制は必要ですが、何でもかんでも一律に、同じ圧力で封じ込めたり中止させたりするんじゃなくて、場所と場合によっては緩めてもいい部分を見つけて臨機応変に対応することもまた、とても必要な事だと思うのです。

最近のトライステート(東海岸の三州)ではマスク着用の規則がなくなり、レストランやお店にマスク無しで入る人たちが増えてきました。
ニュージャージー州のワクチン接種完了者は57%、1回目のみだと65%になりました。
いっときのことを思えば接種の勢いは衰えてきたし、政治的に反対している人、ワクチン自体を拒絶している人、今回の治験ワクチンは打ちたくない人も少なくないので、どこかで打ち止めになるんだろうと思っています。
でも、やはり数字だけを見ると、ワクチンの効果はかなり出てきました。
今年の初めは1日に7500人もの新感染者が出ていたのに、6月に入ってからはどんどんと減り始め、つい最近までは200人台が続いていました。
が、最近になってまた増えてきたようです。
今日は400人台にまで上がってしまいました。
検査の数はそれほど変わっていないので、やはり新種株ウイルスが関係しているのかもしれません。
なので、もうまるで感染問題が消えて無くなったかのように元の生活に戻るのは、まだまだ時期尚早だと思う一方で、
これまでのような怖がり方ではなく、この1年半の経験を活かしたアイディアを見つけたいと思っています。

新型コロナウイルスは、世界中に広がりました。
そのことで、それぞれの国の慣習や文化、そして政治やシステムの在り方が丸見えになりました。
国民の命や健康を脅かす深刻な問題が起こった際に、国がどこを見てどう動くのかも、国の数だけ違うのがわかったし、国民をまず救おうとしたか、国民をどんなふうに見捨てたか、そういうことまで見ることができました。
それと同時に、他の国を見ることは、自分の国の在り方を見直すことに繋がりました。
国、政治、暮らし、それらが深く強く繋がっていることを実感させられた1年半でした。

長々と話し続けているうちに、本当に言いたかったことが何だったのかわからなくなってしまいました。
でも、この1年半を生き延びながら、本当にいろいろなことを考えました。
忘れたこともいっぱいあるだろうし、またいつか、ひょんなことから思い出すこともあるでしょう。

命を粗末にする東京オリンピックは、やはりどうしても始まってしまうんでしょうか。
コメント
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