上の息子の結婚式と披露宴に出席するべく、ここアメリカ東海岸から、当人の息子を含む総勢9名が訪日するはずだった2月の下旬、
わたしたちは渡航予約チケット、ホテルの予約画面を眺めながら、日本での新型コロナウイルス感染状況を見守っていた。
米国疾病予防管理センター(CDC)が2月22日、日本への渡航に関する注意レベルを1から2に引き上げたことで、行くか行かないか悶々と悩んでいた夫の両親と夫の姉家族3人が、とうとう日本行きを断念した。
出発2日前ギリギリの決定だった。
義父母は伝統的で古風な挙式に参加できることを心底楽しみにしていたので、その落胆ぶりは本当に気の毒だった。
5人のドタキャンに息子とフィアンセもショックを受けたけど、キャンセルはその5人だけでは収まらなかった。
「まだ子どもが小さいから」、「会社から行ってはならないと言われたから」、などの理由でその後も数名のキャンセルが続いた。
4年に1度の閏年の29日に式を挙げるだけでも思い出深いのに、もう本当に正真正銘めちゃくちゃ特別な、後々語り継がれていくだろうと思われる日になった。
空いてしまったテーブルに、息子の友人の母親が急きょ座ってくれることになった。
彼女は大津で今から28年前に行われた、夫とわたしのナンチャッテ結婚式にも来てくれた友人で、だから20年ぶりの再会がとても嬉しかった。
陶芸家つながりで今回どうしても義母に会わせたかった、洋さん&あけみちゃん夫妻の二人にも飛び入りで来てもらえることになり、そのこともまたすごくエキサイティングなハプニングになった。
これで来られなかった義父母の無念を晴らせられるわけでは無いのだけど、飛び入りしてくれた3人はそれぞれに特別な人たちだったから、少なくともわたしの気持ちは救われた。
挙式前日に、両家にとって初めてのお出会い食事会があった。
みなさんとても気さくで楽しくて、ああこの人たちと家族になるのだなあと、心から幸せな気持ちになった。
遠く海を隔てた距離を埋めることはできないけれど、彼らは新しい息子を、わたしたちは新しい娘を、互いに愛し大切にしようと誓い合った。
訳あって今ここに挙式や披露宴の写真を紹介することはできないけれど、どちらも温かで楽しい、そして心にしみる良い時間だった。
息子たちが二人して、インターネット遠距離会話を交わしながら一所懸命に計画してきた披露宴は、そこに居た全ての人たちを大切に思う彼らの気持ちに溢れていた。
いくら末日と言えども2月だったのに、式と披露宴が執り行われている間中、とても穏やかで暖かな天気が続いた。
ずっと雨か、もしかしたら雪が降る、などという予報が出ていたので、これは新型肺炎騒動でいろいろと大変だった二人への、空の神さまからの贈り物だと思えた。
名物の5分間のお披露目行列も、美しい日本庭園での写真撮影も、だからとても気持ち良く、滞りなく行われた。
花嫁はため息が出るほど美しく、花婿は誇らしげだった。
何もかもが誰にとっても初めてのことだったから、どれもこれもちょっと恐々でドキドキした。
厳かな挙式では、息子が自分の指輪を新婦の指につけようとしたり、新郎新婦だけの起立の指示を聞き間違えた新婦側の叔父が立ち上がりそうになって、慌ててそれを止めた叔母が肩を震わせて笑っているのを見て、こちらも吹き出しそうになるのを堪えるのが大変だった。
うちからの5人は出席できなかったけれど、ゲストの中で一人だけ息子の同僚がアメリカから来てくれていたので、披露宴の司会は当初の予定通り日本語と英語で行われた。
披露宴はお涙頂戴の演出が一切無く、それは清々しく温かく、笑顔に満ちていた。
最後の締め括りの挨拶を、新郎の父としてやらなければならなかった夫は、英語と日本語の二通りの挨拶文を用意していた。
パニックアタックが酷ければ、もしかしたら声が出なくなるかもしれないからと言ったりしてたけど、できたら5分以内に抑えた方が良いところを倍以上の長さで、けれども会場を大いに沸かせてスピーチを終えた。
息子も挙式、披露宴共に、堂々と張りのある声で宣誓や挨拶をして、幸せを全身で表していた。
我が家にとって初めての娘になってくれる新婦は、それはそれは美しく凛々しく知性にあふれていて、この二人ならこの先何があっても大丈夫だと思えた。
親としての成績があるとしたら、あまり良くなかったわたしたちの元で育ったのに、いや多分そうだったからこそ、我が家の息子たちはとてもしっかり者で頼もしく、そして優しい。
親バカと思われるかも知れないけれど、他の人からもよく言われるので、多分この見立ては間違ってはいないと思う。
息子たちの結婚式を挟んで前後2週間、夫の両親や姉一家と一緒に東京近辺や関西を観光する予定だったけど、新型コロナウイルス騒動が起こったことで全てをキャンセルしなければならなかった。
ホテルの予約を取り直し、後半の1週間をどうするか悩みながら様子を見ていたのだけど、航空会社が日米間の運航を休止し始めたというニュースを読んで諦めることにした。
とりあえず、手術入院していた母の見舞いと息子たちの挙式に参列できたのだから、それで良しとしようと踏ん切りをつけた。
それと、行き帰りともに機内がガラガラだったのと、夫の両親がファーストクラスで行くはずだったのとで、その席を我々に譲ってくれることになり、人生初の真っ平席を楽しめたことも良かった。
滞在中は常時マスクをつけ、除菌のウェットティッシュで触る可能性がある部分を拭きまくり、お金や手すりやドアノブに触るたびに手を洗い、咳をする人からはなるべく距離を取るようにした。
エスカレーターの手すりやエレベーターのボタン押しには肘を使った。
けれども目に見えないウィルスは、やはりどうしても不気味で、だから少しでも気になる症状が出たらすぐに、夫が持参した漢方薬を飲んだ。
タクシーに乗るたびに、どの運転手さんも同様に、中国からの観光客が居なくなってガラガラだと話していた。
だけどなんか変な感じがした。
平常と異常が、仮想世界と実世界が、同じ空間に存在していて、そのとても曖昧な薄い透明の膜を恐々と触りながら、いったい自分がどちらの側にいるのかも定かではない…そんな感じがした。
だからずっと、身体と心の隅っこで怖がっていた。
そんな時に息子たちは結婚をした。
無事に全てを終えられて本当に良かった。
心からおめでとう。
でも!
読んでいて、くやしい~、と私まで思ってしまいました。
まうみさんやアメリカのご家族も、ほんとうに楽しみにしていらしたのに~
でも!
飛び入りで列席してくれた特別な方々、アメリカから参列してくれた同僚の方。
心からお祝いしてくれる方々が集まって、ほんとうにすばらしいお式だったのではないでしょうか。
花婿の父、のご挨拶を聞いてみたかったです~
コロナウイルスとの闘いは、始まったばかりかもしれませんね。
正しい情報を探して、誤った情報に振り回されないように、心掛けたいと思います。
きょうは3月11日。
地震のあとの原発事故など、積み残されたたくさんの問題もそのままです。
こちらも、しっかり現実を見ることを忘れてはいけませんね。
そうだったんですか。
日本の伝統的な挙式を楽しみにされていた
ご両親、ご兄弟さんはさぞ残念だったことでしょう。
偶然にも2月29日は甥っ子の結婚式で福岡まで行ってきましたが、
ホテルのロビーもすぐ隣りのショッピングモールも
土曜日というのにあんなに人が少なかったのは初めてでした。
新型コロナの早い終息を願うばかりです。
花婿の父の挨拶、ここにsarahちゃんが遊びに来てくれた時にまたお聞かせします、うふふ♪
こちらはもう16日。
今日から非常事態生活が始まります。
どこまで平常心でいられるか、スローライフを徹底できるか、いろいろと模索中です。
11日の政府の扱い、酷かったよね。
「復興五輪」がいつの間にか「コロナ克服五輪」になってるし…。
ここまで醜悪な首相って、やっぱいなかったなとしみじみ思う今日この頃です。
sarahちゃんもくれぐれも健康に気をつけてね!
でもこれだけは仕方がありません。
ビデオ撮影をお願いしていたので、それをダビングして観てもらうと息子は言っていました。
同じ日に甥っ子さんが?!
わかります、そのガラガラの感じ。
息子たちの挙式が行われた神宮も、平素ならものすごい観光客で賑わっていて、写真をパチパチ撮られまくるのだと聞いていましたから。
本当にわたしも、自分の周りだけでなく、世界中の収束を心から願っています。