大きな会社には、とてもたくさんの人々が関わっています。だから影響も大きいので、優先して助けなければならない。
大きな事故に巻き込まれた人々の、状態の悪い人から順に優先して助けなければならない。
では、その時、その場に居合わせた、小さな会社に関わっている人達や、大けがをしているけれども大丈夫かもしれないと判断されてしまった人達は、優先してもらえなかったことを運命と受け取るしかないのでしょうか。
たまたま大きな車の工場で勤めていることと、たまたま極小さな車の下請け工場で働いていることだけの違いで、
国の保護の恩恵を受けて仕事を続けられたり、工場そのものが閉鎖されて路頭に迷わなければならなくなったり、
大きな会社の、運営を任された者達の怠慢や奢りも失敗の原因のひとつなのに、
そして、小さな会社は日々襲ってくる危機をひとつひとつ乗り越えるために、工夫に工夫を重ねて会社の存続を守ってきたのに、
結局、嵐が吹き荒れる中ではいっしょくたにされて、放っとかれてしまうなんて……どうにも納得がいきません。
本物の嵐に見舞われた船が難破しそうになった時には、まず弱者のお年寄りや子供、それから女性の順に助けようとしませんか?
あれはただの、ハリウッド的な映画だけの世界の幻想なんでしょうか。
希望を捨ててはいけない。Yes, we can!
この言葉に鼓舞されて、涙を流しながらアメリカの再起を祝った大勢の人達。
ここ10年の間に、こんなに嬉しかったことはありません。
でも……このもやもやもなかなか消えてくれません。
市井の人間の苦しみを、我が身に例えられるような人間がおらへんのやから、しゃあないっていうたらしゃあないけど……。
いっぺんなんちゅうか、順繰りに1年間、母子家庭や介護家庭、生活保護受けてる家庭に住んで、おんなじ暮らしをさせる、みたいな、常識を身につける研修期間ってなもん設けたらええのに。
確かに大企業に何かあればその影響は広範囲になるでしょう。
でもそこに勤める一人一人の社員は大企業でも町工場でも同じ一人の国民です。
国家として何かを行うならその辺のことを考えてほしい。