ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

夏休み日記その2

2018年08月13日 | ひとりごと


日本ほど暑くはないけど、こちらも夏の真っ盛り。
今年の夏はとにかく雨が多い。
だからからか、こんなのが生えてきた!


ゴルフボールか?


熱帯雨林気候のような毎日が続いているので、カラッとした空気が恋しいったらない。
毎日のように、携帯に、洪水警報が発令される。
あんまり頻繁だから慣れっこになってしまい、まあ大丈夫だろうと外出したら、地道にも高速道路にも水があふれていて、迂回ラッシュに陥ったりする。
やはり警報を侮ってはいけない。

こちらに移り住んで早18年と3ヶ月。
その前半は貸し部屋で、そして後半は持ち家で暮らしているのだけど、一家に一台、バーベキューグリルは必須の物(特に男性にとっては)らしく、
うちもこれまでずっと、ガレージセールで手に入れた1台10ドルのコンロを使ってきた(夫のみ)。
炭の火起こしに手間がかかるが、炭で焼いた食材は香りが良い。
面倒な作業は全て夫がやってくれるので、わたしはずっと任せっきりだった。
ここ数年、準備が楽だし、それだとまうみも簡単に使えるから、やっぱりガス仕様のが欲しいなあ…と、たまに思い出したように言っていた夫。
「今年の誕生日に何が欲しい?」と聞いたら、「ガスのバーベキュグリル」と言う。
それならば家族3人合同でということにして、すっかり社会人な息子たちと一緒にお金を出し合って、これを買った。



さっそく感慨深げにソーセージ2本だけを焼く夫。


バーベキューと言えばジョージさん。
ジョージ作の畑は、うちのヘロヘロビニールフェンスとは大違い。


ハンディな彼は、ツリーハウスもお手の物。


トウモロコシはまずお水にしっかり浸けてから焼く。


野菜はこちら。


サーモンをポン酢とオレンジジュース(この日はレモネードだった)と日本酒のタレに浸けて…、


これまたしっかりと水を吸わせたヒノキの板に置いて焼く。


ご近所さんのお家を拝見。
いろんな石を集めて、いろんな物を造っている。


自作の階段。




夏の焚き火。





今年の夏は異常に虫が発生して、玄関口の灯りカバーの中はえらいことに?!
ちょっとこれは気持ちがいいものではないので、小さく載せる。(こういうのが平気な方は拡大してどうぞ)



蚊に刺されるのが嫌な長男くん、蚊取り線香を何個も焚いて結界を作っての作業中。


年季が入ったこの車、彼の手でずいぶんと良くなったそうな。


自分で調べてはトライして、失敗してはまたトライして、だからどんな修理もできるようになった。


まだまだ一緒にドライブするつもりらしい。



暑いからかジメジメしているからか、夫もわたしもちゃんと眠れない日が多い。
ご近所さんの垣根から、ちょいといただいてきた漢方。


この中の種を取り出し、


フライパンで乾煎りしていただいた。



うちの畑に、勝手にすくすく生えてきてくれたククッツァさん。
あっという間に巨大化し、ぎゅーんと曲がり、その先っぽがフェンスの一コマにはまったまんま、さらに大きくなり…どうしよう、どうしようと思いながら放っておいたのだけど、歩美ちゃんが切り取ってきてくれた。

ずっと締め付けられて苦しかったろうに。


鹿さんにガシガシかじられたりもして…、


その部分は中がこんなことになっていた。


いやしかし、マジででかい。まずは夫の足(多分27センチ)と比べてみる。


小太りの海くんと。


強烈に固い皮をむくと、中はそれはそれは美しい白の世界。


タネとワタの部分を取り除き、豚肉や海老と一緒に煮ていただいた。

うちの畑で初めて巻いてくれたキャベツさん!


しっかり虫に食われている。


これからは紫豆とトマト、それから葉物野菜がぐんぐん出てくる予定。
わたしが日本にいる間の3週間、男たちはちゃんと収穫してくれるだろうか…。


先日行ったコリアンレストランで、初めて頼んだソーセージ鍋。


ソーセージといってもまさか、ホットドッグやスパムが出てくるとは思っていなかったのでびっくり!
でもまあ気を取り直して、夫とわたしは緑豆の麺を、長男くんはラーメンを頼んで、この鍋に入れて食べた。





昨日はお隣のエステラ&ロバートの家でバーベキュー。
彼らの家から見る中庭(うちと彼らとで半分こしてる)は、なぜかうちからよりも数倍いい感じ。


だけど、訳もなくいきなり折れたカエデの爺さんの姿が痛々しい…。


エステラ作のカクテル。すごーく美味しかったけど、もう半分以上飲んでしまって…本当に久々だったので酔いが回った。


ロバートは焼く係。






何もかもが超〜美味しかった。Thank you!!


ということで、バーベキューに始まり、バーベキューに終わった夏休み日記。
来週の月曜日から3週間、日本にいます。
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『広島原爆写真集』と『長崎原爆写真集』が、わたしたちに語りかけるもの

2018年08月10日 | 日本とわたし
広島、長崎と、二度もの核爆弾を落とされた国、日本。
そして、その爆弾の効果をさらに高めるため、住民が少ないからという理由で、様々な僻地で爆弾実験をした国々。

戦争がもたらす愚かな出来事には枚挙にいとまがありませんが、核爆弾というものは、この世に存在するべきではない悪魔です。

ここにも何度も書いたことがありますが、わたしはまだ幼い頃から図書館に通い、なぜか原爆に関する書物(漢字が読めたかった頃は写真集)を読み漁るような子どもでした。
読んだり見たりした日の夜は、目を閉じるのが怖かったり、当時の様子を思い出しては泣いていたり…。

そういう子どもが大人になり、さらに年を重ねて56歳になった2013年に、このビデオと出会いました。

NHKスペシャル
解かされた封印~米軍カメラマンが見たNAGASAKI

https://www.dailymotion.com/video/xzghxa#.UYKKBxyILXp

そして、取り憑かれたように文字起こしをし、この記事を書きました。
あなたはこの、『焼き場に立つ少年』の写真を見てもまだ、戦争はしょうがないと思いますか?

この記事は、5年経った今も、毎年今頃になると読みに来てくださる方々がいます。
わたしにとっても、とても大きな意味のある記事になりました。
オダネル氏の息子さんに直接会いたいと、これまでに何度も連絡を取ろうと頑張っているのですが、いまだに実現していません。

日本は、というより自民党、さらに言うと安倍政権、もっと突き詰めて言うと安倍首相。
この人は、長崎原爆被災者協議会の田中会長による直接の要請を、目の前で聞きながらこの有様。







非常識で無礼。
首相などという立場に全くそぐわない、横柄でふざけた態度です。
公の場でも抑えきれない、抑えるつもりもない、投げやりで無情な人となり…。

広島での平和記念式典、そして長崎での平和祈念式典でも、核兵器禁止条約には全く触れないままでいたばかりか、
両地においてのスピーチ自体がほとんど同じ文言で心がこもっておらず、唯一の戦争被爆国である国の首相として、世界に向けてやるべきことをせず、対米追従に邁進しています。

被爆者団体側から安倍首相に手渡した要望書には、急遽、手書きで、
「総理大臣は、あいさつの中で、核兵器禁止条約に一言もふれていませんが、その真意をまとめの発言で述べていただけないでしょうか」と書き加えられていました。



それでも一切答えなかった安倍首相。
この人に、この政権に、この党に、被爆国としての立ち上がりは望めません。

前置きがとても長くなってしまいましたが、友人の幸雄さんが8月8日に書かれた記事を、ここに紹介させていただきます。

******* ******* ******* *******

さて、今日もしんどい投稿です。
 
昨日は広島、明後日は長崎…1945年――原爆(核爆弾)が投下されました。
 
人を殺す是非に於いて、一人をナイフで殺すのも、数十万人を原爆で殺すのも、等しく悪い事です。
しかし、原爆が圧倒的に怖いのは、その当時の争いに関わっていない未来の子孫までに、悪い事が起こる事でしょう。
 
とても一言では言い尽くせませんが、今日も2冊の写真集を紹介します。
 
『広島原爆写真集』『長崎原爆写真集』です。



 
写真集の紹介をする前に、少し話を傍に逸らします。

**********
 
現在のようなネット社会なら、調べる気さえあれば、色々な「人間を嫌いになる事」が判ります。
 
・広島と長崎では、違う型式の原爆が試され、敗戦後の医療データや写真を、アメリカが収集していた事。
・アメリカの原爆の製造過程で、アルバイトを雇い、彼らに放射性物質を摂取させて、その影響を観察していた事。
・太平洋戦争終結後も、連合国が競うように、住人の少ない僻地(大洋の島々、大陸の草原など)で、いきなり核爆弾の実験をした事。

 
等々、数え出したら切りがない。
悪夢を見そうです。
 
日本は初めて、核爆弾を2箇所の都市に落とされ、最初の被爆国になりました。
 
その後も、「第5福竜丸」(1954年3月1日に、米軍によるビキニ環礁での水爆実験キャッスル作戦に巻き込まれ操業中に被爆)で知られる、南太平洋での漁船の被曝事件が起きました。
当時は、敗戦後10年、国民は「核」に対して、今よりももっともっと敏感でした。
 
「原爆マグロ」という流行語さえ出来、事件後に水揚げされたマグロなどは、全量検査が義務付けられ、検査ナシでは店頭に並びませんでした。
 
しかし、第5福竜丸の事件から7カ月後、日本政府は、被ばくした魚は人体に影響を及ぼすものではないとして、放射線の検査をすべて打ち切りました。
そして、翌日からは、全ての魚が水揚げされたのです。
事件後、日本政府とアメリカ政府は、公文書を取り交わしていました。
アメリカ政府が、「完全な解決」を条件に、慰謝料として200万ドル(当時、日本円にして7億2千万円)を支払うという文書。
日本政府はその条件を受け入れ、事件は完全な解決とされてしまいました。
 
我々の国は、そう言う事を甘んじて行う国です。
忘れてはなりません。

 
元はと言えば、2発の原爆だって、日本が行った戦争故なのです。
 
先日、写真投稿した福島菊次郎さんの写真集――

https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1157837137703775&id=100004324981204
 
そこに記した彼の言葉は、非常に重いものです。
 
「日本は、ポツダム宣言受諾の通告を受けても、無条件降伏を即座に受け入れなかった。
広島と長崎の原爆は、天皇制を救うための代償となった」

 
そして――
 
「日本人は、戦争を語る場合には、被害しか語らなかった。
それでは、日本の侵略の対象となったアジアの人々は、納得しないだけでなく不信を募らせるだけ。
強盗に押し入って殺人した者が、自分が受けた傷を強調しても、誰も認めないのと同じこと。
日本の平和運動は、世界の平和運動に貢献しなかったのは、被害者自身もやられたことばかり言ってきたため。
足を踏んだ人は忘れても、踏まれた人は絶対忘れられない」

 
被爆国となったそもそもの原因は、日本が行った戦争故なのです。


**********
 
話を写真集の紹介に戻します。
 
この2冊の写真集の編纂は――
 
●小松健一 氏:
1953年、岡山県生まれ。
群馬県に育つ。
現代写真研究所研究科(第一期生)卒業。
新聞記者などを経てフリーの写真家へ。
世界の厳しい風土の中で、自然と共生している民族の取材をライフワークに、地球巡礼をしている。
また、日本の近現代の文学、作家の原風景を切り口にして、日本人の暮らしと風土、そして沖縄、環境問題など、社会的なテーマを追い続けている。
 
●新藤健一 氏:
フォトジャーナリスト、東京工芸大学非常勤講師。
浅草生まれ。
1964年、共同通信社入社。
写真部次長、編集委員などを経て、定年退職。
2012年3月、国連本部で行われた『3.11 ユニセフ 東日本大震災報告写真展』キュレーター。
 
の両名によって行われました。
 
監修は――

●反核・写真運動:
1982年当時の、国内外の「核兵器を廃絶して平和な世界を」の大きな運動の高まりの中、5人の写真家が発起人となり、
日本のジャンルを超えた写真家、写真評論家、写真団体の代表など、552人の呼びかけ人と共に発足。
 
・核兵器廃絶と軍縮を世界に働きかける。
・「非核三原則」の厳守を政府に補償するよう求める。
・世界の写真家、写真関係者に核兵器廃絶の行動を呼びかける。
・原爆記録写真の収集と保存、調査を行い、人類共通の負の遺産を未来に継承する。
 等々を運動の趣旨とする。

 
●編者からのあとがきより:
「本写真集に作品を使用させていただいたのは、広島を撮影した23人、長崎を撮影した11人、合わせて27人のその大多数は、すでに亡くなられ、今回は、ご遺族の方々にもご協力を仰ぐ事になりました。
 
この先達たちは、広島では2分後、長崎では15分後から、撮影を開始しています。
 
当時、放射能障害が定かではない危険な時期、それも、戦時中の極限状況下で撮影し、敗戦後は、米軍の占領下で記録したフィルムの保存に、全力で努力しています。
 
私たちは、自らの生命の危険も顧みず、被爆直後の惨状と、その後の被爆者たちの苦しみ、悲しみの記録を撮り続けた、先達たちの意志をしっかり継承し、
歴史の証として、貴重な記録を後世へ伝えて行く使命を、果たして行く事を改めて誓います」

 

※自分の感想――
 
まず帯の、
「未公開写真も含めた417点(ヒロシマ)が、人類史上かつてない惨劇を、克明に語り伝える。
決して忘れてはならない恐怖と悲しみの記憶。
写真キャプションを日英表記し、<原爆を撮った男たち>の詳細な解説を付す」

が、目を引きました。

この手の写真の幾ばくかが、記憶には残っていましたが、未公開の417点…。
この国で起こった知らない事が、まだそんなにあるのか…。
 
肝心の中身ですが…すべてモノクローム。
 
原爆炸裂後、広島では2分後、長崎では15分後から撮影された写真から始まります。
 
まさに淡々と、累々と、と言うのが第一印象でした。
それ以外の表現は、事実を自分の感情で歪めてしまう――そんな風にコレを見てはならないと思いましたが、同じ人間として、何も感じない筈がありません。
しかし何を感じたかは、此処には敢えて記しません。
それは、これらの写真を見た人達それぞれに、託すべきだと思うからです。
 
僕は、この本の編者や運動へのサポートを兼ねて手に入れましたが、しっかりした図書館ならば揃えていると思います。
 
是非ご覧になって、これらの事実を知り、心に刻んで頂きたいと思います。


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「こんだけ学生の頃勉強してたら俺は東大だった」…命を削り闘い続けた翁長知事

2018年08月10日 | 日本とわたし


『土砂投入を許さない!ジュゴン・サンゴを守り、辺野古新基地建設断念を求める8.11県民大会』は、予定通り、11日午前11時から、那覇市の奥武山公園内で開くことを決定しました。
この集会は、雨天でも決行、晴れた場合は陸上競技場で行われます。
台風14号が接近しており、開催の有無が懸念されていた『沖縄県民大会』。

先日亡くなられた翁長知事も、出席するつもりでおられたそうです。

<追悼>翁長知事が果たせなかった妻との約束「万策尽きたら夫婦で一緒に…」
【AERA dot.】2018年8月9日
https://dot.asahi.com/wa/2018080900019.html?page=1

以下抜粋:

翁長氏が闘っていたのは、米国や日本政府だけではなかった。
日本人に残る沖縄への偏見や差別に対しては、データを元に強く反論していた。
「沖縄が抱えている問題を解決しなければ、日本の民主主義も成り立たない」が持論で、まさに命を削りながら最後まで闘い続けた。

翁長氏:
「日本を取り戻す」とか「美しい日本」とか「戦後レジームからの脱却」とか勇ましいこと言うけど、あなたも後ろから糸で引かれているんじゃないの、と。
それを言いたいために、「日本国が独立しているのは神話であると言われないようにしてください」と安倍首相、菅官房長官に面と向かって申し上げました。

今の日米同盟は砂上の楼閣です。
米国も、次に大きな事故が起きれば、日米安保体制が吹っ飛ぶことはわかっている。
私は、辺野古移設を止めることができたら、普天間も閉鎖されると思っています。

東京で記者会見をしても、みんな言葉遣いは違いますが、記者は「なぜ、勝てない闘いをやっているのか」と質問してくる。
言葉を変え、いろんな形で説明をするが、そんな質問が出るのは、本土の国民が無理解だから。
その意味で、私は、誰よりも絶望を感じているんです。

「辺野古移設阻止」は自分の信念だけれども、それが通るか通らないかは、正直言ってわかりません。
私は、ピストル一発で消える人間ですから。

その意味では、勝敗は言えない。
それは、近くで見ている妻もよく知っています。

座り込みについて妻が言ったことは、話が違うわけではありません。
辺野古移設阻止が挫折して、一人間、一市民、一県民に戻った場合に何をするかは、沖縄県民のみんなと一緒です。


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2018.01.12 オール沖縄市民集会での翁長樹子さんの訴え


以下、文字起こし:

沖縄県知事の家内の樹子でございます。
翁長がグアムの方に出張に行っておりますので、代理という事で参りました。
 
なにぶん素人で、マイク前にすると上がってしまって、うまくできるか本当に自信ないんですけど、頑張って務めさせてもらいますので、よろしくお願いいたします。
 
結婚して36年目でしょうか。
政治家の女房として、実は33年目になりましたけど、いやぁ、しかし、志位委員長と同じ壇上でご挨拶する日が来るなんて、本当に夢にも思いませんで、本当に光栄に存じております。
どうかよろしくお願いいたします。

3年前の知事選挙、翁長が、現職の方を相手に、本当に有難いことに、10万票の差を持って当選させていただきました。
正直、圧倒的だったと思っております、あの差で。
ホッとしたんです、これで辺野古の問題は、もう決着がつくんだと。
名護市長がNOと言ってる、県知事もNOと言った人間が当選した。

何ですかこの3年間?
冗談じゃないですよね、皆さん。
 
政府は、しょっちゅう言う。
「何の問題もない」と。
 
どこにいったい民主主義があるんですか?
どこにあるの、私たちの自治権は?
人権どこにあるんですか?
それが何ともない事なの?
 
冗談じゃないと、3年間、怒り続けて参りました。

正直苦しいです。
夫がいつも苦しい顔をしているのを、見るのは辛い、女房は。

本当ですよ。
あんなに明るくて、いつもいろんなことがあっても、家に帰ってくるときには玄関先で、そういった苦しいのをおいて、ただいまって笑って帰ってくる人が、この3年間、笑わないんですよね。

ちょっと時間があったらすぐ部屋にこもって、いろんな法律の本をひも解いたり、いろんな問題など全部、しょっちゅう勉強して歩くの。
言ったセリフが、「こんだけ学生の頃勉強していたら俺は東大だった」って。
 
いやー、本当にそうだと思って。
必死に勉強しているんです、
それなのに政府は、言うことにこれっぽっちも耳を傾けてくれない。
こんな苦しいこと、悔しいことはないです。

でも、負けるわけにはいかないですよね、皆さんね。
 
70年前の戦争で、私たちおじいおばあたちは、もう命からがら、必死の思いで何とか生き延びて、私たちに命を継いでくれたんです。
両親、それと私たちの時代は、米軍統治を経て、人権もなくて、憲法にも守られずに、苦しい時代を過ごしました。

その時代を何とかくぐり抜けて、やっと復帰して、やっとこれで憲法に守ってもらえると思ったら、政府はあの方達です。
聞いてもくれない。
 
沖縄県民には人権がない、と言わんばかりの方達が、あらん限りの権力を持って、押さえつけようとしてる。
 
じゃあ負けて諦めるのか。
どうですか皆さん、諦められますか?

そうです。
諦められないし、私たちは、おじいおばあがやったように、必ずこらえてくぐり抜けて押し返して、先の子供たちには、もっといい沖縄を残したい。

頑張って、もう頑張るしかないんです、私たちは。
 
心折れないで下さいよ。
大丈夫ですか?
頑張りましょうね!
 
1つ、これは選挙です。
 
相手候補の方と稲嶺さん比べたら、Wスコアで勝っても本当におかしくないです。
当たり前、それが。
 
しかし、相手候補には申し訳ないけど、稲嶺さんの相手は、実は相手候補ではないです。
国が、政府が、あらん限りの力でもって、抑えにかかってくるんです皆さん。
 
簡単じゃないです、これに打ち勝つのは。

私たちの心の中にちょっとでも、「まあ何とか勝つでしょう」なんて気持ちがあったら、結果は厳しいです。
 
心に刻んで、みんなで必ずこの選挙を勝って、私たちのこの闘いを必ず成就して、私たちのこの気持ちを、必ず日本政府に認めさせる。
沖縄の現状を、国民に知ってもらう、
 
それしか私たちには道がありません。
 
頑張りましょうね。
必ず勝利を。
 
頑張りましょう、
最後まで。
 
どうかよろしくお願いします。


******* ******* ******* *******

命を削ってでも闘い続けた翁長知事の、まさに命をかけた『辺野古埋め立て承認撤回表明』の言葉は、以下の通りです。

本日、辺野古新基地建設に係る公有水面埋立承認の撤回に向けて、事業者である沖縄防衛局への聴聞の手続きに入るよう、関係部局長に指示をしました。

辺野古新基地建設に係る公有水面埋立承認処分には、「環境保全及災害防止二付十分配慮」という基幹的な処分要件が、事業の実施中も維持されるために、
事前に、実施設計や環境保全対策等について協議をすることや、環境保全図書等を変更する場合には承認を得ることなどを、事業者に義務づける留意事項を付しております。
 
しかし、沖縄防衛局は、全体の実施設計や環境保全対策を示すこともなく、公有水面埋立工事に着工し、
また、サンゴ類を事前に移植することなく工事に着工するなど、承認を得ないで、環境保全図書の記載等と異なる方法で工事を実施しており、
留意事項で定められた事業者の義務に違反しているとともに、「環境保全及災害防止二付十分配慮」という処分要件も、充足されていないものと言わざるをえません。

また、沖縄防衛局が実施した土質調査により、C護岸設計箇所が軟弱地盤であり、護岸の倒壊等の危険性があることが判明したことや、活断層の存在が専門家から指摘されたこと、
米国防総省は、航空機の安全な航行のため、飛行場周辺の高さ制限を設定しているところ、国立沖縄工業高等専門学校の校舎などの既存の建物等が、辺野古新基地が完成した場合には、高さ制限に抵触していることが判明したこと、
米国会計検査院の報告で、辺野古新基地が固定翼機には滑走路が短すぎると指摘され、
当時の稲田防衛大臣が、辺野古新基地が完成しても、民間施設の使用改善等について米側との協議が整わなければ、普天間飛行場は返還されないと答弁したことにより、
普天間飛行場返還のための辺野古新基地建設という埋立理由が、成り立っていないことが明らかにされるなど、
承認時には明らかにされていなかった事実が判明しました。

これらの承認後の事実からすれば、「環境保全及災害防止ニ付十分配慮」の要件を充足していないとともに、「国土利用上適正且合理的」の要件も充足していないものと認められます。

この間、県では、様々な観点から国の埋立工事に関する内容を確認してきましたが、
沖縄防衛局の留意事項違反や、処分要件の事後的不充足などが認められるにもかかわらず、公有水面埋立承認処分の効力を存続させることは、公益に適合しえないものであるため、
撤回に向けた聴聞の手続きを、実施する必要があるとの結論に至ったところです。

私は、今後もあらゆる手法を駆使して、辺野古に新基地はつくらせないという公約の実現に向け、全力で取り組む考えであります。

平成30年7月27日
沖縄県知事 翁長 雄志


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