鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

『オジいサン:京極夏彦・著』

2011-06-04 22:51:01 | Weblog
よく晴れた梅雨の中休み。
午後から、風が立つ。


或る日、『オジいサン』と呼ばれた72歳の独居老人の益子徳一は、所謂、お祖父さんでも、お爺さんでもなく・・・『オジいサン』なのだ。
どう違うかというと、益子さんは、普通の老人というカンジではないのだ。
この本を読んだかぎりでは、どうも『老人』っぽくないし、むしろ、若い。

毎日、同じことの繰り返しで、大した事件も起こらず、物語は、淡々と進んで行く。

同じ年代の権藤精肉店のご隠居、小宮山青果店の主人で、今は、コンビニのご隠居さんなど、それ程、親しいわけでなないけれど、心が通じ合う一瞬。

地デジに翻弄され、カセットテープの捨て方に悩み、お湯が沸くまで、コンロの前にいても、時間は、捨てるほどある主人公は、或る意味、かなり贅沢な気がする。
独り暮らしだから、さびしいのかもしれないが、やっかいな家族の確執がないし、定年退職しているから、煩わしい人間関係もない。
年金暮らしで、贅沢は出来ないけれども、普通に暮らせている。

テレビも携帯電話も、必要とせず、なくても全く困らない。
困るのは、一軒となりの台風オバサンの菊田さんだけだ。

独り暮らし。真面目で、律儀な老人なのだれど、老人的でない。
主人公の過去などには、あまり触れられいない。現在があるだけだ。

これは、著者が、まだ老境では、ないからなのではないだろうか・・・と思う。
考え方が、老人的でなく、考える事も、老人的でないような気がする。

ただ・・・時間的な経過が、遅い。
実際に過ぎる時間と主人公の時間に、随分とブレがある。

それを、主人公が遅くなっているではない、、周りが早くなっているのだ・・・と京極堂さんは、書く。

ページの左下には、時計のイラストがあって、パラパラめくるとアニメーションのように、時計が動いて見える。文字も大きくて、読みやすい。老人向けの書物なのだろう。

地デジテレビの売り込みと主人公を心配する田中電気は、全編を通して登場し、世間との橋渡しの役割をおっているようだし、商売下手な若い二代目を心配する主人公と好一対な人物だ。

地デジ化に取り越されて、新方式が受信できない人は、切捨てられる・・・切ない・・・。
そんなことを考える主人公の頭の中を淡々と描いた不思議な読後感の残る一冊。