鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

1円で、売られる本達

2012-11-22 22:50:36 | Weblog
相変らず、暖房の入らない事務所で、寒さに震えている・・・。


ネットショップの本屋さんがなかった頃は、自宅の近くの書店(・・・と言っても、車で5分くらいの商業施設の中にある書店)へ、週2回くらい出向いて、本なり雑誌なりを購入していたし、通学の時と、一番最初に勤めた職場は、駅を中継していたので、駅ビルの書店に寄るのが楽しみだった。

今は、年に2,3回くらいがいいとこでしょうか?もっと行ってるか・・・それでも10回には満たないだろうと思う。

さて、ネットショップには、新刊の出版されたばかりの本にも関わらず、USED品1円という価格がついているものもある・・・。

本を執筆したひと、校正をしたひと、編集者、印刷会社、表紙などのデザイナー、仮想、実店舗を問わず、そこで、注文を処理したり、レジを打ったり、商品を梱包したり、或いは、陳列したり、コピーを書いたり・・・そんな人件費は、たぶん、この本を1円?で売りに出した人達の中から、賄われているのだと思う。
一度読んで、内容を把握して、古書として売りに出す・・・。
売りに出すにも、1円プラス送料(或いは、梱包料なども含まれるのだろうか?)ということだから、自宅に置いておいても、場所を取るし、古書店に持ち込んでも大した値もつかず・・・手間ばかりかかる・・・そんな理由で、インターネットを介して、売却される方も多いのだろう。
たしかに、本は、数多くなれば重量もあって、嵩張るし、ホコリをかぶりやすいし、積んどけば、倒れる・・・。二度と読むまい・・・と思ったら、サッサと処分してしまうに限るのだけれど。

・・・それにつけても・・・まだ、新しくて、新品同様の本が、1円かぁ・・・。
書いた人は、どんな思いなのだろうか?
小説以外、例えば、漫画だとか・・・1ページ原稿を書くのに(いまは、デジタル化されているから、当てはまらないかもしれないけれど)、どのくらい時間を割いたのだろうか・・・あんなに綺麗な絵なのに・・・と思ったりする・・・それをひっくるめて、一度読んだだけで、その本は、『1円』の価値しかもたないのだろうか・・・と思うとなんだか、悲しくなってしまう。

すぐ焼却炉へ行くよりは、ずっといいのかもしれない。
一円でも、人の手に渡り、次から次へと、ページが擦り切れ、装丁がボロボロになって・・・それで、本の寿命が全うできれば・・・本は、本としての役割を終えて、読んだひとの記憶にしまわれて、その『生』を終える・・・自然の姿なのかもしれない。

三大発明品のひとつ・・・グーテンベルク(世界初の活版印刷機?を発明)も・・・まさか、こんな時代が訪れようとは、思いもしなかっただろうな・・・と勝手な想像をしてみる。

そして本邦の国民は、皆文字が読めて(識字率・・・99%)、本を大量消費できる知性をもったのだ・・・と。

違うかもしれないが・・・(たぶん、違うんだろう・・・。知性を大量消費するほど、日本の文化は、円熟してはいない・・・。テレビを見れば、一発で、露見する・・・と思っている)。