明け方は、寒いくらい。
・・・で、最近は、日の入りと共に眠り、日の出とともに起きる?といった、ここ数日の夜型脱却?
今頃の時期は、19時を過ぎても、まだ明るさが残っていたりして、明け方は、4時には、もう明るくなっていて、夜8時に就寝して、早朝3時半か4時頃起きる・・・8時間くらい(昼間もうとうとしていたりして、1日の半分くらいは眠っているのかもしれない)の睡眠時間で過ごしている。
私の神経は、バカなんで、翌日外出・・・なんてことになると、前日から、アレコレ考えてしまい、結局、一晩中眠れず・・・なんてことは、ショッチュウで、よく会社勤めができたもんだ・・・と今更ながら、そう思ったりする。
不安心配の第一は、一度眠ってしまうと、寝起きが極端に悪くて、充分眠った感じがしないと、気持ちが悪くなって、嘔気、嘔吐があっても、無理して出勤していた頃の恐怖が、しみついてしまっているためで、こんな思い迄して、月々のお給料が、コレだけか・・・という絶望にも似た感情を持ち続けていた。
それなので、日々の暮らしは、雑になり、食べることも、眠ることも、ただ機械的にやっていて、食べられれば、出来合いのコンビニ弁当、衣類は、ネット通販の定番のもの・・・身の回りのものも、じっくり選ぶということはなくて、必要ならば・・・ということで、適当に選んで、適当に使っていて、使えなくなっても、捨てるのが面倒(我居住地のゴミ分別の複雑怪奇なことよ?)で、要らないものが、怨霊となって、ウズ巻いていたのかもしれない。
コレから、少しづつ処分しようと思っている。
日々、定刻に出勤し、10時間程度会社に拘束され、その代償を得て、帰宅すれば、明日に備えて、眠り、また定時に起きて・・・という所謂、規則正しく健康的に暮らせるのかもしれない。
就労に拘束されず、気儘に暮らしていると、食べる物にも気を使うし、販売されている加工食品の殆どが、もうかつての人間の食べる物ではなくなっている現在、食事に対しても、かなり時間を使うことになる。
或る意味、ていねいに生きることができるような気がする。
時代は、AIの登場で、コレからさき、普通の仕事は、機械で賄える仕事も増えるだろう。
かつては、技術職だった仕事の価値が低下し、ヒトの労働力は、買いたたかれる。
安価で、美味しいが、ゴキブリも食べないような食材が、ふんだんに添加された食品を食べ、病気になり、掛け続けた保険で賄い、保険会社、製薬会社、医療機関を儲けさせ、年金をもらう頃には、死んでもらえるよう様々な工夫がなされる。
人工地震や原発事故なんかも、その一環かもしれないなぁ・・・。
『ヒト』として、『ヒト』らしく、生きていくには、難しい世の中になっているのかもしれない。
まず、疑問を持つことから始めよう。
要らないもの、使わないものは、手放すか捨てよう・・・。
コレまで、学習してきたことを、根本から疑うことから始めよう。
そうすれば、少しは、『神に似たヒト』に近づけるのかもしれない。