最高気温22度。昼前から強風。
本日は、相方とシネマ歌舞伎:野田版 桜の森の満開の下を鑑賞に、隣市のシネマ・コンプレックスへ。
その前に、回るお鮨屋さんで、お鮨ランチ。
シネマ歌舞伎の新作ってことで、公開2週目の月曜日なのに、上映室は、妙齢のおばさん達で一杯。
お友達同士で、楽しそう。
ここの映画館の階段は、二段上がると、階段の幅が、変わるので、高齢者には、ちと危ない階段で、私も、過去にコケたことがあったりして、今日も、入退場時には、渋滞になったりしていた・・・なんてことは、過去のブログで記載済なのだけれど。
さて。閑話休題。
『贋作・桜の森の満開の下』というタイトルで、演劇上演された舞台を、歌舞伎版に作りなおした作品。
シネマ歌舞伎『野田版 桜の森の満開の下』予告編
20世紀の終わりか、21世紀の初め頃か、堤真一主演で、新国立劇場だったか・・・或いは、シアター・コクーンであったか・・・観劇したことがあって、つい最近では、天海祐希が、主演で、東京芸術劇場あたりで、上演されていたような記憶があるけれど、コチラは、手許不如意で、観劇できなかった。
演劇版と歌舞伎版では、多少設定が違うようで、もともとこの作品は、坂口安吾の『夜長姫と耳男』、『桜の森の満開の下』の二つの作品を合体させて、ひとつの物語として、上演された。
『夜長姫と耳男』の耳男と『桜の森の満開の下』の盗賊の男を、それぞれ登場させ、夜長姫と盗賊の女房を合体させて、鬼としたのだけれど、『夜長姫と耳男』の耳男は、桜の森の中で、考え事はしないし、『桜の森の満開の下』の盗賊は、桜の森の中には、居なかった・・・し、夜長姫と盗賊の女房は、どちらも、美しく、残酷で、無邪気だけれど、醜い鬼となって、背負ってもらって山に戻る盗賊の首を絞め続ける鬼には、ならなかった。
坂口安吾の原作から、ブレているようで、たぶん、原作を読んでいないと分からない部分も多かったような気がする。
そして、原作を読んで、観劇した我身には、やっぱ、『贋作』とか『野田版』といったお断りとつけないといけない訳が分かったような気がする。
物語的に難解になってしまったのだった(二つの物語の主題を合わせたので、過不足が出てしまった)。
・・・なので、映画館で、結構、高い料金を支払って、寝てしまったお客さんも・・・たぶん多いハズで・・・それでも、歌舞伎座だとか、新橋演舞場なんかで、歌舞伎を上演中、睡眠をとっておられるお客さんも多いので、コレは、コレでいいのかもしれない。歌舞伎だしね・・・。
つまるところ、坂東玉三郎の後を追う唯一の女形・中村七之助の美しさと、衣装、舞台美術を見るだけでも価値があると思うし、プッチーニの劇伴が、妙にぴったりするあたり・・・なんとも不思議な感じもする。
個人的には、ハンニャ役を演じた坂東巳之助が、不思議な雰囲気を出していたなぁ・・・と思う。鬼の役が合う役者さんでもあるような気がしている。
天武天皇役の市川染五郎(現・市川幸四郎)は、ノーブルなビジュアルで、帝役には、ぴったりなんだけれど、このひとの舞台を見るたびに、もう少し声がよかったらいいのにといつも思ってしまう。残念ながら、このひとの声は、通らない。
ソメイヨシノは、もう散ってしまったけれど、山桜、里桜、八重桜と桜の季節は、まだまだ続くし・・・この季節、もう一度、坂口安吾・著『桜の森の満開の下』、『夜長姫と耳男』を読んでみたくなった次第で。