くもりがちの土曜日。
勤め人をしてた頃は、朝起きるのがつらくて、つらくて、もう死んでしまいたいくらいつらくて、寝て起きるという作業を強制されない休日である土日は、或る意味、極楽でもあった・・・。
でも、『怠け者の節句働き』というか、折角の休みで、誰が何といおうと眠っていてもかまわぬのに、うれしさ?のあまり目が覚めてしまって、まだまだ寝ていていいんだ・・・一日中、ぐうたらしていていいのだ・・・とヨロコビを噛みしめていた。
そんな勤め人だったころの平日の朝は、お茶(緑茶)だけ飲んで、イヤイヤ出勤していたけれど、その様子を見て、母は、
『じいちゃんも、朝は、毎日、お茶(緑茶)を飲んでいたんだよ。やはり似ているね。』
と言った。
祖父は、私が小学生になった年に亡くなった。
勤め人をやめてから、朝に起きる・・・ということは殆どなくなって、昼近く迄、眠っていた数年間。
そして、母が亡くなってからは、午前8時迄には、起きるようになった。
朝の御茶が、珈琲になったのは、午前8時に起きるようになる数年前で、昼頃起き出して、珈琲を淹れて、母にも供していた。
母には、甘味入り(メープルシロップ)を出していた。
私は、ソレ迄、母は、珈琲を飲まないひとだと思っていたので、一応、珈琲と緑茶と紅茶どれがいい?と聞いてみると
『私も珈琲を飲みたい。』
ということだったので、ソレ以来、朝(・・・というか、午前10時過ぎ)の御茶は、珈琲になった。
珈琲だけでは、ちょっと胃に悪そうだったから、甘いお菓子などを添えていた。
それが私たちの楽しみでもあったりした。
母と珈琲ショップに行ったのは、姪が入院したときに、病院への途中にある星乃珈琲店だった。
他には、ショッピングモールのベーカリー併設の紙コップの珈琲とか、(紳士の敬称?の)ドーナッツ屋で、ドーナッツを珈琲で、お茶の時間を過ごした。
もっといろいろと珈琲店に連れて行ってあげたらよかったかな・・・と思うけれど、あの時期の母が、具合が悪いと機嫌も悪くなったので、一緒に外出したくなかった・・・なんて事情もあった。
今は、ひとりで、朝の珈琲タイムを過ごしている。