蒸し暑い晴天。ほぼ真夏日。
暑いので、素麺。
母の存命中は、週に一、二回は、素麺を供していた。
母は、無類の麺好きだったから。
母が亡くなって、買い置きしていた大量の素麺(頂いたものだとか)は、賞味期限内に食べきれなかった。
母が亡くなった年は、殆ど、食べなかったような???(8月中旬は、冷夏だったように思う。母の初盆は、寒かった)それなので、申し訳ないけれど、廃棄してしまった。
私は、素麺って、あまり好きじゃなかったのかもしれないな。
でも、暑い日には、素麺が、食べたい・・・って思う。
・・・一昨日・・・だったかな。
日頃あまり行かないスーパーの鮮魚売り場で、北海道産天然鮭の切身2切れのパックがあった。
最近は、何処へいっても、(あの悪名高き?)チリ産の鮭しか置いていない。
チリ産だの、ノルウェー産の養殖鮭は、抗生物質だとか・・・ナンダカで、危険らしいという噂で、命が惜しければ、(今日明日ってことはないのだろうけれど、十数年後とか?身体がヤバイことになるらしい)喰うなってことらしい。
・・・なので、国産(どこまで、本当かわらないし、産地偽装だって考えられるけれど・・・如何せん、価格が普通なので)の鮭ということで、買ってみた。
夕刻になって、マヨネーズと味噌を併せて、鮭に塗って焼いてみた。
ふと、勝手口の沓脱石の上に、黒猫がちょこんと座っている姿がみえた。
この黒猫は、一度、追いかけまわしたことがあってからは、私に懐くことなく、姿を見れば、威嚇してきて、正直、可愛くなかった。
この黒猫は、母が生存中に、一緒に、シーチキン缶詰を分け合う仲間だった。
小さなシーチキン缶なれど、老体の母が食べるには、量が多い・・・日頃から、魚を食べなくては・・・とテレビだのマスコミに洗脳されている母は、時折、缶詰をあけて、猫に向かって、
『一緒に、お魚食べようね。』
と言って、分け与えていて、それに味をしめた猫は、母にべったりだった。
母が、亡くなってから、魚を与えてくれるひとがいなくなったせいなのか・・・時折、仏壇前の座布団の上に、座っていたり、母の居室に入りたがったりしていた。
今日は、焼き魚の匂いに釣られて、勝手口に座っていたのかなと思って、戸を開けて中に入れてあげたが、私をみても威嚇することもなかった。
母と間違えてるんかいな???
猫は、一直線に母の居室に向かうのかと思えば、今度は、玄関の前で座っている。
・・・なんだ、結局、また外へ行くのか・・・
玄関の戸を開けてあげたら、のそのそと外に出て行った。
私は、いいように使われた猫のドア・ボーイとなった。
母に対しても、猫は、自由気ままに振舞い、母もドア・ボーイや、おやつ係になっていたな。
何の恩義もない黒猫なんだが、母を悼む気持ちはあるようにみえるのは、私の勝手な思い込み。
相変らず、まとまりのない駄文になった。