友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

愛って何だろう

2015年02月12日 18時17分09秒 | Weblog

 ひとり暮らしのおかげで、一気に本が読めた。谷崎潤一郎の『痴人の愛』を読んだ後で読もうと思っていた山田詠美の『賢者の愛』も同じようにスラスラと読めた。そこで気付いたことは、高校生の頃に日本の作家のものは読みにくいと思ったのは、明治の作家は表現が古文的で読めない漢字が多かったためではないか。今の私は、漢字の知識が増えたというよりも、知らない漢字や知らない言葉は辞書を引きながらでも読もうとする余裕が備わってきたことが大きいと思う。

 『痴人の愛』がボロボロになりながらも好きになった女を捨てきれない男の物語なら、『賢者の愛』は大切にしてきたものを横から奪いながら、「私たち親友よね」と言い放つ女に対する女の復讐の物語だ。しかも憎しみを抱いてから25年の長い年月を費やし、女が手に入れた大切なものを奪い取っていく。相手が産んだ子どもを自分が望むような男に育て上げることは可能だとしても、そんなに長い間、人は憎しみを抱き続けることができるのだろうか。

 憎しみなど、忘れてしまった方がはるかに生きやすい。それでも、主人公は復讐を叶えるために幼い時から相手の息子を調教する。息子は性の奴隷というか、主人公を絶対的な存在と認め、主人公とのSEXに自己を捧げる。これで復讐劇は完成したはずなのに、息子の母親は主人公が息子を奪うことに執念していることを察知すると、谷崎潤一郎の妻君譲渡事件を持ち出して、「親友に奥さんを渡した大作家がいたんだって?私も真似して、息子、渡してみる」と言う。

 「親友」の名の下に女が主人公から奪った恋人(女の夫)を主人公は取り戻す。それを知って女は「今が一番幸せね。たっぷりとおいしさを増した男ふたりも生け捕りにして」と言い、ふたりで死ぬためなのか、高速道路で事故を起こす。このクライマックスが何とも物足りない。まるで半分しか噛んでないものを胃に下ろした時のような、消化し切れない感じだ。

 最後の描写も、偶々生き残った主人公は半身不随の車椅子生活で声も出ない。その車椅子を押しているのは息子で、その傍らには若い女が立っている。しかも、主人公を喜ばすためにSEXを見せると呟く。息子は60歳、主人公は82歳になる。いったい、愛って何だろうか。

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