友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

信州蓼科の御射鹿池

2019年08月30日 11時32分36秒 | Weblog

 

 どうしてなのか分からないが、またパソコンが動かない。それで、カミさんの使っているノートパソコンで文章を打ち込み、USBに取り込んでパソコンに移してみようと思った。四苦八苦の末に今日になってやっと動かすことが出来た。自動修正が働くことが原因のようだが、これを無くすことは出来ないのだろうか?

 昨日、パソコンに向かったのは、信州蓼科の御射鹿池に出かけたことを記録しておきたかったからだ。御射鹿池は日本画家の東山魁夷の作品で有名になった場所だ。「昔は何もないただの溜め池だった」と友だちは言う。私たちが出かけた時はすでに大勢の人が池を見に来ていて、ほとんどの人がカメラであるいはスマホで美しい景色を写していた。確かに御射鹿池は人を魅了する神秘的な美しさがある。

 日本画家の東山魁夷はどうしてこの池を知ったのだろう。近くにはこのような農業用の溜め池が各所にあるが、これほど美しいのはなぜなのだろう。池の説明では酸性が強く生物が棲めないとあった。透明度と共に風が吹かない地形なのか、波が立たず鏡の効果が一層高いように思った。

 そして何よりも水面に映る周りの景色の素晴らしさだろう。東山魁夷の絵は自然を模写しただけでなく、「緑」と「青」を強調することでさらに神秘的な情景を描き出している。作品には常に作者の意図が存在する。現代美術は誰もが思いつかない作品か、誰もが「何?」と考えさせる作品でなければ作品にならない。写真が誕生して、絵画の役割は大きく変わった。

 だから当然のことだが、作者の意図・思想が色濃く存在する。逆に言えば、そうした作者の主張がないような作品は現代美術にはならない。昨日、豊田市美術館で「あいちトリエンナーレ2019」の作品を見て、「えっ、何これ」とカミさんは声を上げたが、「何?これ」と作者の意図を考えてくれればいいのだ。どう受け止めるかは鑑賞者の自由であり、そこから作者との会話が始まる。

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