友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

崇高で神聖な幻想に囚われていった

2022年02月03日 17時14分21秒 | Weblog

 「節分に豆まき」は昔から行われてきた。子どもの頃も豆まきした記憶があるが、なぜか、母は「福は内」しか言わなかった。邪気を追い払うのだから、「鬼は外」と言うべきなのにと思い出す。人間は弱い。邪気は外にあるのではなく自分の中にあるが、それを口に出せないので「鬼は外」と叫ぶのではないだろうか。

 節分に恵方巻を食べることが習慣化されたのはいつごろからだろう。カミさんが美味しそうな太巻きを買って来た。「お刺身もあるから」と言うので、今晩は日本酒で決まりだ。毎晩欠かさずに酒を飲み、朝と昼にコーヒーを飲む。至って健康な食事と私は思っている。健康のことばかりに気を付け、好きなものが食べられない飲めないのでは、精神が不健康になってしまう。

 昨日から『ノルウェーの森』を読み始め、村上春樹氏が巧みな文筆家だと分かった。私たちが高校生の頃に読んでいた小説は難しい漢字や言い回しが多く、辞書を傍らに置いて読んでいたが、私たちより若い作家の文章はスラスラと読める。何が言いたいのかと疑問を覚える箇所もなく、ドンドン読めてしまう。

 私は映画でも演劇でも、リアルで重厚感のあるものが好きだが、若い作家にそれを求めるのは自分勝手な自己満足だと知った。私には高校生がセックスをするなどは考えられなかった。確かに私の高校時代でも、わざわざマスターベーションを教えてくれた同級生がいたが、私はその気にはなれなかった。

 セックスは入籍以上に神聖な儀式と思っていた。エロ本を見たり、誘われてブルーフィルムも観に行ったけれど、大人になる学習のようなものでしかなく、勝手に崇高で神聖な幻想に囚われていった。大学紛争の場面も出てきて、村上氏の立場もよく分かり納得できた。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 村上春樹氏は大学紛争の中で... | トップ | いっそうこの言葉が気になった »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事