友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

幸せのかたち

2007年04月27日 23時34分35秒 | Weblog
 蕨をいただいた。
 持ってきてくださったのは、田舎暮らしにあこがれて、揖斐川の上流に素晴らしい邸宅を借りたこともある、我が家の上のその上にお住まいの方だ。一度近所の皆さん20人ほどで、その借家があった集落のスキー場に出かけたことがある。スキー場の一角にはバーベキュー施設があり、肉や魚を買い込んで出かけた。子どもたちは斜面を走り回り、大人は若草をベッドに昼寝をしたり、散策を楽しんだりした。帰りには近くの温泉にも案内していただき、露天風呂から新緑の眺めを満喫させてもらった。

 夏は、我が家のルーフガーデンでのビアパーティーも恒例だ。我が家の上の方とその上の方の3家族で始まったパーティーだが、今では子どもたちも大きくなり、それぞれがダンナや子どもさんも連れて参加してくださる。近所付き合いが希薄になっていると世間では問題になっているが、我が家は気持ちの良いご近所に恵まれ、今日のように珍しいお土産をいただくことも多々ある。

 人が幸せを感じるのは、美しい景色を見た時でもなければ宝くじが当たった時でもない。人は人との関係の中でしか幸せを感じることはできない。人は自分が理解されていること、少なくとも自分が相手に受け入れられていると思える時に、悦びを覚えるのではないだろうか。私の中学・高校からの友人にとても饒舌な人がいるが、彼は相手に自分を受け入れて欲しいと思うからより多く話すことになる。とても気をつかい、一生懸命で相手に話し込む。私は「そんなに彼女に気があるなら、率直に好きなら好きと言ってしまえばいいのに」と何度か思ったが、彼は好き以前に自分を受け入れて欲しかったのだと最近になってわかった。

 同じ地域の人たちと、1年に何度か一緒に飲む。カミさんから言わせれば「ただ一緒に飲みたいだけなんでしょう」ということなんだが、春には近くの桜並木で「夜桜の宴」を、秋には紅葉を楽しもうと出かけ、大晦日には我が家で年の瀬を送る。昨年からは市の夏祭りに参加し、天然アユの塩焼きを目玉に屋台も行っている。要するに遊ぶことが好きなのだ。無くなってしまったが、矢田川花火もみんな揃って真下で見た。韓国からのホームステイの子どもたちも連れて行った。みんな大喜びだった。

 いつも集まれば同じ話になってしまう。それでもいいじゃーないかと思う。気の合った仲間でワイワイと酒を飲み交わすことくらい幸せなことはない。馬鹿馬鹿しいとおっしゃる方はぜひ一度、そんな機会を作ってみてはどうだろう。人間の幸せなんて実に他愛ないものだと気付くはずだ。それでもまだ、「そんな馬鹿げたことを」とお思いの方は高貴な方なのだろうが、本当に幸せにはなれない方のなのだと私は思っている。

 今晩もカミさんと私は二人で酒を飲み、この後私はこうしてブログに向かい、カミさんは大きな音量のテレビの前で居眠りをしている。まあこれも幸せの変形だろうと受け止めている昨今である。
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1 コメント

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こんにちは (ドラマの視聴率)
2007-04-27 23:44:18
はじめまして^^

私のテレビドラマのサイトで
こちらの記事を紹介させて頂きましたので
ご連絡させて頂きました。

紹介記事は
http://blog.livedoor.jp/blog001007/archives/50100263.html
です。

これからもよろしくお願いいたします^^
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