友だちの一周忌は無事に終えることが出来た。夕方からの「偲ぶ会」も大いに食べ、飲み、おしゃべりして、笑ったり泣いたりと忙しかった。友だちの家は本願寺のようで、お経を聞いていても「ムノョ、ムノョ」としか分からない。親鸞の名前が出てきて、聖人が教えを説いていたのだろうと、推測出来ても中身が分からない。
昔、本願寺の住職に「お経の口語訳は無いのですか}と聞いたことがある。「西本願寺ではその作業をしている」と言われたが、昨日のお坊さんは若い人だったのに、40分近くもお経をあげてくれたのに何も分からなかった。ただ最後に、「こうして皆さんが故人を偲ぶことが大切」と言われたことは納得できた。
友だちの家は娘さんがふたりで、既に嫁に行って成人した子どもがいる。友だちの家の処分もどうしたことかと悩んでいる。友だちが亡くなったダンナのために買った仏壇や墓を、どうしたらいいのかとお坊さんに聞いていた。お坊さんは「いつでも相談にのります」と答えた。「母も父のお墓に一緒に入りたいと言っていたし、仏壇を引き取ることは出来ないし」と娘さんたちは困っていた。
マンションで仏壇を保有している家は少ない。高齢化が進み、子どもたちも家を離れ、仏壇や墓をどうするか、これからも出てくる問題だ。私は思い切って墓じまいをしてしまったが、思い切れる状況だから出来たけれど、長男であると悩みは付き纏うようだ。男だからと押し付けられても、きっと子どもたちも困るだろう。
「偲ぶ会」に私は友だちと出かけた海外旅行のアルバムを持って行った。娘さんやダンナさんそれに孫たちに見てもらいたかったからだ。楽しそうにはしゃいでいる写真は逆に涙を誘う。あんなことがあった、こんなこともあった、過去は振り返ることが出来るが取り戻すことは出来ない。今、充実していなくてはならない。
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