名演小劇場で昔は演劇も行われたが、今は文芸映画の上映に限られている。演劇をするには狭すぎるのかも知れない。名古屋市は3百人から5百人ほどを収容できる文化小劇場が各区にあり、演劇や音楽の発表に適している。使用料がいくらかかるかも知らずに言うのは無責任だが、1千人、2千人収容できる会館よりもこの施設は使いやすいように思う。
50年くらい前、高校の教員だった時、生徒の中に名演の事務所に出入りしている子がいて、私も誘われて演劇を観に行っていた。映画好きの私には、大きな会館で行う演劇は観客と舞台の間が空き過ぎていて、もの足りなく感じることが多かった。それでも中には演技者の力量や舞台の主題で引き込まれることも度々あり、舞台の力を感じる時があった。
教員を辞めてからはしばらく演劇を観ることがなかったが、地域新聞を発行するようになって、地域で演劇をしている人に見込まれて演劇上演の実行委員長を引き受けたりしたことから、名演の会員にもなった。私を名演に誘ってくれた人が名演を辞めるまでは続けるつもりでいたが、毎月払う会費に比べ、上演される演劇が見応えに欠ける気が増してきていた。
事務所にも出入りさせてもらったけれど、会の古参の人たちのように、「民主的な演劇を育てていく」気持ちが欠けていた。そんなスローガンは時代遅れとさえ思っていた。民主的な演劇って何なの?反戦とか政治批判があれば民主的なの?学生演劇でも面白いものはあるし、商業演劇にも時代を鋭く描く作品もある。名演の役割はもう終わったと思うのに、それは言えなかったから、自分が去るより他なかった。
何がいい演劇なのか、何がいい映画なのか、何がいい音楽なのか、何がいい絵画なのか。鑑賞する人が決めればいいし、時代とともにその価値も変わっていく。だからこそ人々が敏感な感覚を失わないことだと思う。与えられたり押し付けられたりするものではなく、自らが判断できる感覚こそが大切だろう。
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