とうとう悲しい結果になってしまった。今朝の新聞は「解放へ」とあったけれど、朝のテレビニュースは「後藤健二さんと思われる日本人が殺害された」と報じていた。人質交渉が長引いているから見込みは大きいと専門家たちは推測していたが、「イスラム国」には通用しなかった。安倍首相は「残虐非道な行為で許しがたい。彼らは必ず処罰される。日本はテロに屈しない」と、やや疲れた表情で、しかし毅然として言い切っていた。
湯川さんに続いて後藤さんが虐殺されたことで、「救出できなかったのは、日本に情報収集能力が欠けていたことも一因だが、何よりも強力な軍備と特殊部隊による実力行使ができない法整備の弱さがある。海外の邦人を救出する武力行使を認める必要がある」と、言い出す人々が増えることだろう。テロ集団による殺害が生まれたことでこうした論議が交わされ、自衛隊の海外派遣は当然と世論は動くだろう。憲法9条はますます空文化していく。
人間は愛することよりも憎むことの方が得意だ。許すことよりも怒ることの方が容易なのだ。電車に乗っていても、妊婦や年寄りに席を譲る人は稀だ。小さな子どもはさらに横着で、靴を履いたまま膝を折って車窓を見ている。若い人もイヤホーンの音量を上げ、夢中でゲームをしている。マナーとか思いやりはいったいどこへいってしまったのか。車を運転していても、喧しくクラクションを鳴らして我が物顔で追い越して行くし、割り込んでくる。中には信号を無視して突っ込んでくる車もある。
エレベーターは2人で乗った方が効率はよいはずなのに、大概1列で使っている。「エレベーターを歩かないでください」と貼り紙があるが、駆け上がって行く人は多い。「エレベーターは2人並んで利用してくださいと貼り紙したらいいのに」と言うと、「知らない人とは乗りたくないからよ」と教えられた。どこまでも疎遠な社会を人は求めている。そのくせ、自分の都合に合わないと相手を叩き潰してしまう。愛し合って、許し合って、認め合っていく社会にはならないのだろうか。
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