昨夜、テレビで歌手の南こうせつが『神田川』がどのようにして生まれたかを話していた。『神田川』がヒットしたのは1973年と言うから、全共闘がバリケードを築いたりした70年安保の後、エネルギーが収束していく頃だ。学生たちがギターを抱えてフォークソングを歌い、新宿駅を占拠していた初期の歌詞はメッセージ性が強く、「明日が来る」というような、世の中が変わる、変えようというものが多かった。
戦闘的で反社会的なフォークソングが多かったのに、『神田川』は余りにも私小説風だった。「若かったあの頃」、デモで明け暮れていて「何も恐くなかった」のに、世の中を変えなければならないという信念が“日常生活”で揺らぐ。「いつも私が待たされて 洗い髪が芯まで冷えて」、それでも待っていると「あなたは私を抱いて、冷たいねって言った」。お金の無い学生の同棲生活の一場面である。
私は既に社会人でひとりの子どもの父親になっていたが、『神田川』の雰囲気はよく分かった。大学4年の時、東京で働いていたがそこで東京の大学生と友だちになった。彼が遊びにおいでと言うので、下宿へ行くとガールフレンドがいて料理を作ってくれた。終電間際になって、そろそろ帰らないといけないが、彼女はどちらへ帰るのだろう、駅まで一緒に行こうかと思って声をかけると、彼の方が「心配はいらない」と言う。私が不思議な顔をしていると、「一緒に暮らしている」と教えてくれた。
あの頃は同棲生活が流行っていたのだろうか、それとも東京では当たり前のことだったのか。フォークソングと比べると演歌は毒々しい。叶わぬ恋の歌が多く、胸が痛くなる。『天城越え』などは典型的で、「隠しきれない 移り香が いつしかあなたに浸みついて 誰かに盗られるくらいなら あなたを殺していいですか」となんとも凄まじく恐ろしい執念の恋である。
先日、聴いた藤あや子さんの『雪深深』もまた不倫の歌と思われる歌詞が憎い。「誰かが生きようと言ってもだめです あなたと別れたら私には明日はない 生きる命はいらないの 恋に落ちたもさだめ 泣いたのもさだめ これでいいのよ でも、いまも好き」。フォークソングをいい歌だと思って聴いていたけど、この歳になると毒々しい演歌に心惹かれてしまう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます