友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

20歳の時に何をしていたのか

2011年08月19日 21時45分14秒 | Weblog
 碧南市藤井達吉現代美術館で開催されている『画家たちの二十歳の原点』は、明治から平成までの画家54人の20歳当時の作品を展示している。20歳という人生の節目に着目した発想の優れた企画展である。受付嬢に「優秀な学芸員がいるのですね」と話しかけたら、「ありがとうございます」とお礼を言った後、「この展覧会は今年の春から全国を巡回して行っています」と説明してくれた。見ると全国の7都市で開催していて、この後は足利市立美術館に移動する。小さな市立美術館では企画できない展覧会を連合で行うとはうまい考えだと思う。

 作品の隣りにはそれぞれの画家の言葉が掲げてあって、胸に詰るものがあった。「悩め、描け、生きろ」と展覧会には副題がついていたけれど、20歳前後の画家たちの言葉は狂気に似たものがある。「静物の林檎一つを描くにも その林檎に対する観念思想が現されなくてはならない」(青木繁)。「僕は何の役にも立たない。僕は今、ただ今幸福を求める。僕は天才でないかもしれない。それでいい。僕はやりたい事の総てをなそうと努める」(萬鐡五郎)。「欲望に囚われず、感傷に堕せず、神経に乱されず、人生を貫く宿命の中に、神の真意を洞察することが出来なくてはならぬ」(中村彝)。「芸術探求は即ち自己内面の絶えざる闘いであって、社会も時世もすべてどうでもいい外のことである」(三岸節子)。

 画家は絵描きだけれど物書きでもある。そんな文章が並んでいて、全部読んで行くには気が重くなる。夭折の画家も結構いる。村山槐多は22歳で亡くなっているが、絵も文章も凄まじいものがある。「自分は、自分の心と、肉体との傾向が著しくデカダンスの色を帯びて居る事を十五、六歳から感付いて居ました。〈略〉たとえ此の生が、小生の罪でないにしろ、私は地獄へ陥ちるでしょう。最低の地獄にまで。さらば」と遺書を書いている。18歳で上京し、下宿先の「芸妓上がりの凄艶な美人で、酸いも甘いも知り尽くした、怜悧で落ち着いた芸術品」のような年上の女性に思いを寄せて破れている。

 関根正二は20歳で病死しているが、文章も凄い。「俺は精神的に殺された様に思われてならない。そして肉体が生きて居るのだから、苦痛に堪え得られない。気が狂う様だ。頭が離れて、いま最も手近に刃物があったら、俺は肉体を殺すだろう。恐ろしい事だ」。関根は16歳で放浪の旅に出ている。18歳の時には「俺はK子に心から恋して居るんだ。そして感情に走るのだ。そして胸がいっぱいになって、口が聞けないんだ」と「身の高い美しい女」への恋を吐露するが、その女性から「勉強していますか」と聞かれ、沈黙してしまう。恋に破れて旅に出て、新しい恋に出会う。さらにまた新しい女性を恋するのだが、画友の東郷征青児に奪われ神経を病んでしまう。

 20歳の時に、人はどう生きていたのかは興味深い。マルクスは4歳年上の貴族階級の女性に夢中になっていたが、父親が死んだために学者となる道に進む。レーニンは革命の道に進むことを決意していた。時代や置かれた状況によって、人は考えていることも違うし、抱く関心も違うけれど、変わらない資質のようなものがある。私自身はどんな20歳だったのだろう。
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