今日はひな祭りである。ところが長女は忙しさにかまけて、雛人形を飾っていない。私たち夫婦が彼女たちの家に上がり込んで、雛飾りをセットするというわけにもいかないので、ただ見守るばかりだ。孫娘の方も母親が忙しく、雛人形を飾るほどの精神的な余裕のないことを見抜いているのか、何も言わない。何も言わないことが余計に孫娘の心の中を見せられているような気がする。
孫娘は、プールの後輩からバレンタインにたくさんのチョコをもらったという。それで昨日、ホワイトデーのお返しを早々に作っていた。家庭科の副読本に載っていたクッキーをウチのカミさんの指導を受けながら作ったのだ。私もおすそ分けをいただいたが、渡す人が多すぎて、クッキーの数が足りず、1袋に2個ほどしか入っていなかった。「こんなに少なくていいのかな」と心配するから、「『クッキーは少ないけど、袋の中には私の愛情が一杯入っているからね』と言って渡しなさい」と話してあげるが、納得していない様子だった。
孫娘は先日の期末考査の結果が思わしくなく、「ママはプールやめろと言うかな」と心配する。5教科以外が試験に入ってくると順位が下がってしまうクセが孫娘にはある。日ごろが精一杯なところで生活しているから、5教科以外の教科を勉強する時間の余裕がないのだ。カミさんに言わせれば、「授業に集中していれば、その時間内で十分理解できるはず」ということなのだが、一般的な教養とか常識は日頃の家庭環境の影響が大きいから、その点が不足している 孫娘は知識として覚えようとするのだが、それには時間がないということなのだ。
この期末考査の期間は、「水泳大会と重なっていたから、仕方ないんじゃないの」と言えば、孫娘は「そんなの関係ない」と言い切る。もちろん本質的には関係ないけれど、現実的には朝4時に起き、夜は12時近くまで起きているような生活を1週間も続けていれば、当然能率は下がる。根性だけでは解決できないと私は思う。この試験期間内にあっても毎日ほとんど2時間、特訓の時は3時間も泳ぐのだから、勉強する時間が作れるわけがない。
成績はそこそこでよいと考えるのか、水泳はほどほどでよいと考えるか、ということであるはずだが、孫娘は「ほどほどに水泳をやるくらいなら、やめた方がいい」と決意が固い。好きな水泳はとにかく一生懸命でやる。学校の成績も上位をキープしたい。それが孫娘の本心なら、そうすればいい。やれるところまでやって、自分が納得のいくようにすればいい。
人はなかなか納得のいくようには生きられない。生きようとする意志のあることは尊いと思う。
孫娘は、プールの後輩からバレンタインにたくさんのチョコをもらったという。それで昨日、ホワイトデーのお返しを早々に作っていた。家庭科の副読本に載っていたクッキーをウチのカミさんの指導を受けながら作ったのだ。私もおすそ分けをいただいたが、渡す人が多すぎて、クッキーの数が足りず、1袋に2個ほどしか入っていなかった。「こんなに少なくていいのかな」と心配するから、「『クッキーは少ないけど、袋の中には私の愛情が一杯入っているからね』と言って渡しなさい」と話してあげるが、納得していない様子だった。
孫娘は先日の期末考査の結果が思わしくなく、「ママはプールやめろと言うかな」と心配する。5教科以外が試験に入ってくると順位が下がってしまうクセが孫娘にはある。日ごろが精一杯なところで生活しているから、5教科以外の教科を勉強する時間の余裕がないのだ。カミさんに言わせれば、「授業に集中していれば、その時間内で十分理解できるはず」ということなのだが、一般的な教養とか常識は日頃の家庭環境の影響が大きいから、その点が不足している 孫娘は知識として覚えようとするのだが、それには時間がないということなのだ。
この期末考査の期間は、「水泳大会と重なっていたから、仕方ないんじゃないの」と言えば、孫娘は「そんなの関係ない」と言い切る。もちろん本質的には関係ないけれど、現実的には朝4時に起き、夜は12時近くまで起きているような生活を1週間も続けていれば、当然能率は下がる。根性だけでは解決できないと私は思う。この試験期間内にあっても毎日ほとんど2時間、特訓の時は3時間も泳ぐのだから、勉強する時間が作れるわけがない。
成績はそこそこでよいと考えるのか、水泳はほどほどでよいと考えるか、ということであるはずだが、孫娘は「ほどほどに水泳をやるくらいなら、やめた方がいい」と決意が固い。好きな水泳はとにかく一生懸命でやる。学校の成績も上位をキープしたい。それが孫娘の本心なら、そうすればいい。やれるところまでやって、自分が納得のいくようにすればいい。
人はなかなか納得のいくようには生きられない。生きようとする意志のあることは尊いと思う。
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