友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

デビット・ピアフと孫娘

2012年01月30日 20時03分06秒 | Weblog

 高校2年の孫娘が学校帰りに我が家に寄って行った。土曜・日曜日と家族でスキーに出かけたが、泊まる宿が駐車場から歩いて2キロも奥にあって大変だったこと、湯浴みしている野生のサルを見たこと、13段飾りひな祭人形を見て来たことを話してくれた。「それで、スキーはどうだったの?」と聞くと、「だから時間が取れなくて、結局滑ることができなかった」と言う。「そうか、大学受験なら滑らなくてよかったと言うところだけど、それは残念だったね。ところで、ブログのネタになるような面白い話はない?」とたずねると、体育の時間の話を始めた。

 

 バスケットボールの試合をやったけれど全く勝てなかったと言う。孫娘が運よく入れたスリーポイントからの6点が唯一の得点なのだ。チームはくじ引きで決めるのだが、どういうわけか彼女のチームの5人は全員小柄で、平均身長は153か4センチしかない。ところが相手は170センチより大きな子がふたりもいて、平均身長は166か7センチもあるので、前で立ちふさがれると味方が見えない。パスしてもみんな取られてしまうし、ボールを持ってもすぐに取り囲まれて、味方へのパスが通らない。「私ともうひとり149センチの子はどういうわけかいつも同じチームで、何やっても勝てないのよね」としきりに嘆く。

 

 スポーツはどうしても身体の大きい方が有利だ。昨日の大阪国際女子マラソンでも優勝したのは168センチの重友梨佐選手だった。監督は「太っては故障しての繰り返しだった」と言うが、大きなピッチでグングン走る姿は「強い」と思った。マラソンは太っていては勝てないけれど、スタミナが無くても勝てない。大きな身体を充分に活かす走法が身につけばきっと成績も上がるだろう。我が家の家族はみな走ることは早いけれど身体は小さい。高校時代は陸上部で県大会にも出場している孫娘の母親も小柄だが。父親の方は男としては普通の体格で中距離の選手だったと聞いた。孫娘も走るのは速い、それだけに常にマークされ、つぶされてしまうのだろう。

 

 「あなたは何センチだった?」と孫娘に聞いてみた。「147センチ」と言う。小学校の時の水泳の練習が余りにも過度で、背が伸びなかったのだと思う。「147センチか、フランスの国民的歌手のデビット・ピアフといっしょだね」と話すがきょとんとしている。デビット・ピアフの名前など知るはずも無いのだ。私も子どもの頃に名前を聞いたことがあり、映画館のニュースで見たかなという程度だ。シャンソンと言えばピアフというくらいの代表格なのに、彼女の人生はすさまじいものがあった。映画にもなったが、昨夜のBSでも取り上げられていた。

 

 私が子どもだったからかも知れないが、ピアフが147センチの小さな女性だとは知らなかった。少し低い太目の声で舞台で歌う彼女は、画面だけ見ていると大きな女性に見えた。どんなに体調が悪くても舞台に立ち続けたという。女性としての性的な魅力は欠けていたけれど、彼女が歌いだすとまるで舞台と性交しているように艶かしかったと評論家が言っていたが確かにそんな気がした。ベッドをともにした男性も数多かったから、彼女は誰を本当に愛したのだろうかと一瞬考えてしまったが、すぐに愚問だと気が付いた。ピアフはみんな愛したのだ。彼女は愛さずにはいられなかったのだ。彼女に愛された男たちもまた同じだろう、きっと。

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