友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

男と女と

2008年01月18日 23時46分20秒 | Weblog
 先日、中学時代からの友だち5人で新年会を開いたが、その中の一人と待ち合わせの1時間前に出会って喫茶店で話していた。私たちの席の後に40代の男性と20代の女性のカップルがいた。喫茶店に入った時から、この二人から漂ってくる雰囲気は異様だった。何を話しているのか、全くわからなかったが、突然に女性の声が大きく甲高くなった。「だからいつも気をつけているわよ。あなたが困らないように、食事中とか皆さんが一緒にいる時とか、そんな時に電話したことなんかないじゃーない。」と、だんだんヒステリックな口調になってきたから、聞きたくもない二人のやり取りが耳に入ってくる。

 男は何を言っているのかよくわからないが、とにかくそんなに興奮するなというようなことを言っていた。そのうちに若い女性は、「いつもそうやってごまかしてばかりいて、もういいわよ。迷惑なんでしょう。わかったわよ。もう電話はかけない。これっきり会わなければいいんでしょう。」と泣きながら席を立って店を出て行ってしまった。男は、私からすれば、どうしてこんなうすのろなアホな男に惚れるのか、と思うような中年男で、やっぱり後を追うべきかと思ったのか、1・2分してから席を立ち、勘定を支払い、女性が消えた方へ追いかけていった。

 私たちが話をしていた喫茶店の前を男は4度も行ったり来たりして、携帯電話を何度も掛け直していた。「不倫の結末は悲しいね」と私が言うと、友だちは「えっ、何が?」と聞き直す。「あれ?僕らの後の二人の言い争いに気がつかなかったの?」と私は改めて彼に聞いてみた。彼は何が?という顔をしている。彼には12年間も付き合ってきた女性がいる。しかし、彼自身は不倫だとは思っていない。確かに一緒に食事をしたり映画を見たりドライブに出かけたりしているが、SEXはしていないから、人から非難されることはしてないと考えているのかもしれない。

 老いて恋することは悲しいね。若い人なら相手の肉体も自分のものにしてしまうだろうに、自分が老いていることを知っているだけに、臆病になっている。肉体が言うことを利かないだけでなく、恋すると同時に別れが来ることに対して、逃げているのだ。恋は何も肉体だけの関係ではない。相手の心を盗んでしまっていながら、私は何もしていませんとは、言えないだろう。「恋は一時の夢」という。夢に甘えたのだから、その責任は大きい。私は全てを受け止めればいいじゃないかと思っているが、「埒外な奴が勝手なことを言う」としかられそうだ。

 運命は神の手にある。人のできることは誠実に生きることでしかない。審判は神に任せればいいではないか。今、我が家のカミさんがかつての同僚との飲み会から上機嫌で帰ってきた。楽しいことがたくさんある人生は、それはそれでいいのではないか。人は皆、何かを求めて生きている。最後の審判はやはり神にしかない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

戻ってきました

2008年01月17日 20時10分24秒 | Weblog
 一昨年つまり2006年、ブログを初めてだんだん気持ちがのってきて、丁度クリスマスの頃だったので、童話を2つ書きました。自分でもいい話が書けたと思っていたところ、私の無知のためにそのブログを失くしてしまいました。悔しくて落ち込みました。何よりも童話を失くしたことが悔やまれました。それが、昨年もらった私の教え子からの年賀状に「ブログ楽しく読ませていただいています」と書いてあったことを思い出し、「サンタを捕まえた話をプリントした仲間はいませんか」と年賀状に書き込んでおきました。すると、その教え子からメールが届きました。

 「賀状ありがとうございました。m(._.)m ブログ早速アクセスしました。12月26~30日拝見(^-^)毎日書かれるパワーに脱帽!又楽しみが出来て嬉しいです。貧乏夫婦なのでパソコンとかお金の掛かる物はありません。ケータイからのアクセスなので『サンタクロース…』保存してありますがコピー出来ないんです。友だちにパソコンに保存してあるかメールで問い合わせ中です。他にプリントして下さる方が居なかったらメールに作り直して送りますが…(^_-)-☆」

 私は有頂天になりました。これで私の『サンタクロース』が戻ってくる。早速彼女にメールをして「ぜひ、送ってください」と頼みました。彼女からの返信です。
「ブログ拝読してます。13日は「よみがえれ青春!」なのに、14日は中学生の様に落ち込んじゃって…先生!青春してますよ(失礼(^^ゞ))。ところで『サンタを捕まえました』はどなたかプリントアウトしてくださいましたか?賀状頂いた後メールいたしましたが、ケータイに保存してありますがコピー出来ません。他にいらっしゃらなかったらメールに作り直しますよ。お返事お待ちしてます(^_-)-☆)」

 そして、彼女から『サンタクロースを捕まえた』と題した童話が無事に届きました。ありがとう。本当にありがとう。カミさんは言います。「あなたはいつも本当にいい人に恵まれているわね!」。自分でもそう思います。いつもピンチの時には誰かが助けてくれます。神を信じていない私が言うのはヘンですが、神の恵みのように思っています。

 私の童話を保存しておいてくれた私の教え子は、高校生の時はとても印象の強い子でした。私も理屈っぽい方ですが、彼女はもっと理屈っぽい子で、正義感も強く、社会に対する関心も強い子でした。けれども熱くなるタイプではなく、醒めて見ているところのある不思議な女の子でした。彼女のメールを読むとこんなことも書いてあります。

 「先に書いた通り気楽な性格ですし、50年以上好き勝手に生きて来たので少しは人の役に立たなければ天国行けないぞって、生きててくれるからお世話出来るんだって思ってます。何事も感謝の気持ちかな(^人^)まだ介護の苦労をしてないので言えるのかも…一応前向き人生のチカリンでしたあ~☆」

 病弱な夫と年老いた義母と暮らしているようで、実際は大変な苦労があるのかもしれませんが、高校生の時と変わらないくらい、のんびりと冷静に周りを見ています。そうか、彼女はもう50歳を超えたのか。私が高校の教員になって初めて担任した生徒だから、思い出すことが多いのも当然かもしれません。

 人生はおもしろいものだと思っています。いろんな人がいて、いろんな人生があり、どんな人生が良くどんな人生が悪いということは決してありません。それぞれに深い歴史がありますし、刻まれた色模様があります。人はいつも何かを求めて生きているように、私は感じています。それが何なのか、わからないけれど、わからないことが生きる力になっているようにも思っています。

 戻ってきた童話2作は、今年のクリスマスの頃には掲載しようと思っています。ありがとう!チカリン。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

課題テスト

2008年01月16日 20時06分49秒 | Weblog
 今日は全く久しぶりに、看護師をしている長女が家に居た。なにやら全国大会で発表しなくてはならないというのでで、彼女はこのところとても忙しい。18日にも資格の検定試験を受けなくてはならないそうだ。頑張ることはいいが、身体を壊すようなことがないようにして欲しい。私に似て、小さい頃から極端なところがあって、のめり込むと周りが見えなくなってしまう。

 口癖になっている「忙しい、忙しい」「ヤバイ、ヤバイ」を散々に聞かされて、「忙しいもヤバイも全部自分の責任。そんなことは口にしない」と言ってしまう。そう、近頃では孫娘までも何かにつけて「ヤバイ、ヤバイ」を連発する。「そう言えば、ヤバクなくなるの?」と、私は時々嫌みで聞いてやるのだが、親子でそう言い合っているのだから、これはいっこうに直りそうにない。

 昼食の後、お茶をしていたら(この表現もおかしいけれど)、孫娘が帰ってきた。昨日と今日は、冬休み後の課題テストがあり、帰りが早いのだ。これで女が3人揃ったわけだから、またまたかしましくなった。そのうちに孫娘が今日、テストのあった国語の問題を見せて、「この②がわからん!」と言う。

 問題の1.□のなかに漢数字を入れなさい。 ①□転□起 ②□分□裂
じゃー、この①はと聞くと正しい答えが返ってきた。ところが「いちころびやおきじゃーなかった?」と言う人がいる。「それって、いちではなくて、ひちだよ。だって、1回転んで8回起きるってヘンじゃん」「そうそう。それにひちころびやおきじゃーなくて、ななころびやおきだから」と言うと、みんなで大笑いとなった。②の方がもっと傑作で、答えは四分五裂(しぶんごれつ)で散り散りに分かれることなのだが、「一分百裂と言わない?分のところは自信ないけど?」と言う人がいる。「言わない。そんな言葉はありません。炸裂というのを百裂と勘違いしていない?」と聞きなおすと、そこでもう一度大笑いになった。

 問題の2.○のなかに文字を入れて完成させなさい。 ○ん○ん○ん
ここはどう答えたと聞くと、孫娘は「新幹線」と言う。長女は「安心感」と答える。孫娘は「初めはママがよく言うものかと思った」と言うので、私は「あんぽんたん?」と聞きなおした。孫娘は「友だちにトンチンカンと書いた子もいるよ」と言う。「それは正しいよ。あんぽんたんもトンチンカンも日本語にはあるよ。漢字で書けばこういう字だよ」と、電子辞書で見せる。カミさんは孫娘に「この字を覚えておくといいわよ」と言う。これを漢字で書きなさいという問題はまず出ないと思うが、ちなみに、あんぽんたんは安本丹、トンチンカンは頓珍漢と書く。

 そんな馬鹿馬鹿しいことに興じられたひと時だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『41歳からの哲学』

2008年01月15日 23時19分09秒 | Weblog
 孫娘が中学生になった時、池田晶子さん著の『14歳からの哲学』をプレゼントした。新聞の書評を読んで、ぜひ読ませたいと思ったからだ。その書店には池田さんの著作が幾つか並べてあったので、私も『41歳からの哲学』を買った。もともと週刊誌に連載していたものを単行本にしたものなので、一つひとつが短く読みやすくなっている。

 パラパラと読んでいたものをまた、読み直してみた。自分が良かれと思ってやったことが相手を傷つけていたのだから、ショックは大きい。思慮が足りないのだと思い、本棚の中で目に付いた池田さんのそれを読んでみたのだ。池田さんの文章は切れがいいからを読んでいると癒される。

 第1章の「平和な時でも人は死ぬ」で、なぜ人は死を恐れるかについて述べているが、その切り口がおもしろい。「戦争を恐れるということは、それを恐れる人にとっては、多く、死を恐れるということである。」「人は考えることをしないで本能的に恐れたままでいるから、死にたくないために戦争したり、逆に美化して観念のために死んだりするわけである。したがって、戦争の抑止力ということなら、死について各人が考えて気がつく以上のものはないのである。」「生まれた限り、人は必ず死ぬものであり、人の死亡率は一律に百%である。この絶対確実平等的事実の側からみれば、いつどこでどのように死ぬかは偶然、平たく言えば、運である。」

 そしてさらに、「反戦という観念に殉じて死のうとした人々は、愛国という観念のために自爆して死んだ人々と、その心性としては同じである。」「ミサイルが飛んでくるからと言って、これまでの生き方や考え方が変わるわけではない。生きても死んでも大差はない。歴史は戦争の繰り返しである。人はそんなものに負けてもよいし、勝った者だってありはしない。自分の人生を全うするという以外に、人生の意味などあるだろうか。地球人類が滅びたとしても、そんなのは誰のせいでもない。この一蓮托生感というのは、なかなかイイものである。自分は別だと思うのをやめるだけのことである。」

 池田さんは先ごろ亡くなられた。40代の若さである。「やせてはいるが、大食いで、普通の成人男子の倍はゆうに食べていた。(略)体力もある。毎朝のジョギングを1時間2時間、女子マラソン並みである。そして、飲む。いくらでも飲む。たいていの男性は、先に潰れた。それらの一部始終を観察しているくらい、冷静である。(略)不調を知るようになって初めて気がついた。歳をとるということも同じことだが、体があるとは、なんだこのことだったのか。40をすぎて、腑に落ちた。」「この世で生きるということは、体をもって生きるということである。体は自然だから、変化する、壊れる、やがてなくなる。(略)体は人生を渡るための舟なのである。病気のひとつやふたつあるのもだから当たり前、むしろ病気のひとつも知らないと、人の心はヒダがなくなる。」そんなことを書いていたのは、先を見ていたからなのだろうか。

 美人薄命。よい人は早く逝ってしまうようだ。と言うことは、私は長生きするのだろうか。それもショックだな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日は成人式

2008年01月14日 22時36分28秒 | Weblog
 またやってしまった。カミさんが「それみなさい!」と言うだろう。「あなたは自分では人の役に立っているつもりでも、他の人はそんなことを求めていないのよ。あなたはいつも独りよがりで、勝手に思い込んで、結局は人に嫌がられるのよ」。カミさんに昨日のまだ話していないが、こんな答えが返ってきそうだ。

 今日は成人式。私たちも40何年か前に成人式を迎えた。確か友だちみんなで前の日から飲んでいて、そのまま我が家かどこかで雑魚寝をして、成人式の会場である母校の中学校へ出かけた時には、もうみんなが帰ってくるのに出会うというていたらくだった。それから同級生たちと再び飲みに行く者もいたが、私はみんなと別れて、その頃好きだった女の子の家に出かけていった。自分がどんな服装だったのか全く覚えていないが、彼女が晴れ着だったことは覚えている。

 昨日は、その中学校からの友だち5人で新年会を行った。1人は健康診断で肺に影があるというので、かなり落ち込んでいたが精密検査で陰性と判断され、じゃー飲もうかということで、高校を卒業して1年ほどよく集まって飲んでいた4人で新年会をすることになった。これをブログで知ったもう1人の友だちが参加を申し出てくれたので、5人での宴会になった。

 この5人は本当に仲良しだった。中学3年の時に他校からやってきた友だちは病弱だったのか、登校してきたのは1学期の途中か2学期になってからだった。級長だった私は担任の言いつけで何度か彼の家に行った。家は比較的近かったし、教員の息子というのも同じだったから、いつしか親しくなった。友だちの中でも彼が一番よく私に付き合ってくれ、キリスト教会にも通ってくれた。私が警察官に悪態をついて咎められた時、彼は真っ先に私をかばってくれた。高校の時、私は彼に呼び出され、彼が好きになった女の子を告白された。

 新しく参加してくれた友だちは、大学受験に失敗し途方にくれていた時、彼がやって来て「ここならまだ受験できるから」と願書をもって来てくれたことがあり、涙が出るほど嬉しかったと言う。やさしく思いやりがあり、私は何度か彼に助けられた。その彼が、私ともうひとりの友だちについて、「こいつらは品格が無い」と言う。どうしてかと言えば、先に私たち2人で病気回復祝いと称して彼の家に行った時、昔の話で「ストリップを見に行ったよな」と言うことを彼の奥さんの前でしたので、「こいつらは平気で人の家に土足で入り込む奴だ」と彼は言うのだ。品格の問題だからそう彼が思うのは仕方ない。「それは申し訳なかった」と謝る。

 さらに彼は中学時代に好きだった女の子から「ガンだと聞いたが大丈夫かと電話がかかってきた。お前たちが俺がガンだと言いふらしたんだろう」と言う。私は頭にきた。情けなかった。悲しかった。「ちょっと待て。お前は俺たちは信用できないというのか。俺たちがお前がガンだと喜んで言いふらしている!?馬鹿やろう、冗談じゃないよ、俺たちはお前のことを心配することはあっても、喜んで言いふらしたことなど一度も無い。それをお前が言うのは許せん!絶対に許せん!」

 彼が受けている苦しみや淋しさも忘れて、私は怒鳴ってしまった。そしてひどく落ち込んだ。私がみんなで会おうかと言ったのは、昔のみんなで会うことで少しでも元気になれるならと単純に思ったからだが、彼が「それはお前自身のためなんだろう」と言った時、確かに私自身のためかもしれないが、みんなが共有できることではないか、その気持ちの方が強かった。人は自分のためばかりでなく、他人のためにも働くことができる。彼はそれを知っている人なのになぜそんなことを言うのか、私は彼のそういう言い方を強く否定したかった。

 けれどもよく考えてみれば彼の言うとおりだ。人はそれぞれであり、自分の考えを押し付けることはできない。彼が「親切の押し売りはやめろ!」と言うのもとおりだ。「おせっかいはやめなさい」と何度もカミさんに言われながら、どうしてこうも同じことをやってしまうのか、情けないと思った。人のためによかれと思ったことが、こんなにもその人を傷つけることになっていたことにもっと私は早く気がつかなくてはいけなかった。

 気が滅入った。自分の馬鹿さ加減にうんざりした。人の世の難しさを痛感した。今日は成人式、しかし私はまだまだ成人になりきれない、情けなさを感じた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

よみがえれ青春

2008年01月13日 14時13分40秒 | Weblog
 今日は久しぶりに、中学からの友だちとの新年会である。出会ってから半世紀近くなるのだから、これは誇りに思っていいのではないか。中学3年生の時はよくまとまったクラスだった。担任は私には「生涯の師」のような存在だった。

 中学2年の時、転校していく女の子から使っていた縦笛をもらった。それを目撃した先生が、その女の子の担任で3年で私の担任となった先生にそれを告げ、私は職員室に呼び出された。それでどうなったのか、まるっきり覚えていないが、先生はなぜか私が好きだと言っていたやはり先生のクラスの初恋の女の子を呼び出すと言っていたことと、私が何も話さなかったことから、「こういう子は将来が思いやられる」と話していた先生がいたことだけは印象に残っている。私の方の担任が収めてくれたのか、初恋の人が職員室に夜ボ出されることは無かったけれど、私はなんと理不尽な先生かと思った。

 ところが担任となって、接してみると短気なところはあったけれど、思いやりのある先生だとわかった。2年の時の担任は頭もよく弁が立つ人であったが、この3年の担任は熱情家だった。そんな担任の下で、今日会う4人と出会った。私は小学校の頃の私ではなくなっていた。小学校では手を上げることもできない、内向的な子どもだったが、中学校では全く違っていた。積極的な人間になっていたし、人の面倒も見られる人間になっていた。勉強はしていなかったのに成績はよかった。特に範囲が決まっていない統一テストがよかったので自信になっていたのだろう。

 4人のうち2人は同じ小学校の卒業だが、一度も同じクラスになったことが無く、残る2人は他の学校からの転入生だった。高校を卒業して大学に入ったが、1人は希望する大学に入れず浪人していた。その浪人が夜になると、度々我が家にやってきて、そこから1軒の居酒屋へと出かけていった。1人は東京の大学に行っていたが、残る私たちは地元の大学へ通っていたので、家庭教師が終わる9時過ぎにその居酒屋に集まった。居酒屋には私たちよりも歳の若い女給さんがいて、私たちがお金の無い学生であることを知っているので、閉店間際になると注文もしていないのに、つまみやビールを持ってきてくれた。

 「昔のことを懐かしがってどうする。もっと前を向いて生きよう」と、ダンディーを気取った奴が言う。そう言いながらもまた、昔の話に戻っていくことだろう。まあいいではないか、自分たちがどんな風に生きてきたのか、自分が何者なのか、昔話の中に見つけたいのだから。それは自分がこれからどう生きていくのか、その支えにもなるはずだから。

 1人が自分のブログにこう書いている。「45年前のあの時代が、私たちの今の土台を作っていることは、誰が何と言おうが、疑う余地がない。(略)4人が揃ったとき(みんなで5人になるが)、自分が生きた軌跡が、自分の視点では、点でしか辿れないことが、もしかすると、線に繋がるかもかも知れない。」

 よみがえれ、青春時代よ!そんな気持ちでこれから行ってくる。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

57年ぶりの再可決

2008年01月12日 22時39分51秒 | Weblog
 今朝の朝日新聞と中日新聞のトップ記事はともに『グッドウィル事業停止』であった。「57年ぶりの再可決」の記事は2番手で、「歴史的採決緊張感なし」(中日)、「340対133補給支援法成立」(朝日)とあった。与野党がそれぞれの政治使命や政治姿勢を前面に打ち出し、大論戦を展開するのかと期待したが、何事も無かったかのように幕が引かれてしまった。

 参議院本会議で野党はこの法案を否決したが、民主党の大江康弘議員は採決時に退席した。大江議員は「国際貢献は必要だといい続けてきた」と自分の行為を説明していた。法案は参議院本会議での否決を受け、両院協議会を開くことなく衆議院本会議で再議決され、340対133の結果、出席議員の3分の2以上の賛成で可決し成立した。

 昨夜のテレビを見る限りでは、民主党の議員の中には大江議員の他にも「(法案が)成立して本当によかったと思っています」と発言している人がいたように思う。しかし、小沢一郎代表自身が反対票を投ずることなく、本会議場から退席したのだから、大江議員らの発言や行動を問題にすることは今の民主党にはないだろう。民主党という政党は内部での熱い論戦が嫌いなのだろうか。それでは一体、彼ら議員は何がしたくて国会へやってきたのだろう。

 政党だから一枚岩でなくてはならないと私は思わない。上で決めて、下が忠実に守る、そんなことにはヘドが出る。けれども、曖昧な内に流してしまうことには腹が立つ。もっとお互いの意見・考えを論議したらいいのに、これを避けて通ろうとしていてはどう考えてもいい政治は実現しない。100年前であったら、確かに反対派は粛清されるかもしれない。わずか30年前の日本でも、内ゲバや自己批判と称する殺人があった。

 そうした馬鹿な過ちを犯さないためにも、正々堂々と自らの信念や理想を主張し、政治の世界は大論戦が当たり前で、大論戦ができない者は政治家にはなれないことが当たり前の空気が欲しい。議論もせずに多数派工作ばかりして、それが政治だと思っているような議員も役人も要らない。こういう人を無くしていかないと政治は変わらないのではないか。

 新聞も国会議員の誰が賛成し、誰が反対し、誰が棄権したのか、報道して欲しいと思う。地方議会の議員の評価を市民が行う動きがある。どういう形で行うのか興味深いが、国会議員も何をしているのか、少なくともこうした重大な法案の審議について、その行動を報じて欲しいと思う。これはマスメディアの責任ではないだろうか。

 私の感想はますます馬鹿馬鹿しくなってしまったである。しかし、この世で生きている限り、そうばかり言ってるわけにもいかないとも思っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

電車の酔っ払い

2008年01月11日 23時18分40秒 | Weblog
 朝、まだ8時過ぎだった。金山駅に電車が着くと、ホームには片手に缶を持った男がいた。明らかに酔っ払いのようだった。乗り込んでこなければいいのだがと思っていたのに、男は電車に乗り込んできた。こういう時に限って私の隣は空席だ。客は次々に席に座っていく。男は片手の缶チューハイをフラフラさせながら、あろうことか私の隣の席に滑り込んできた。

 酒臭い匂いがプーンと鼻に来た。男はブツブツと独り言を放っている。男の向こう側には女の人がいて、汚らわしいものは見たくないとばかりに横を向いている。私だってこんな酒臭い男にかかわりたくはない。けれども男は、誰かに語り掛けたいとばかりに獲物を探している。近頃は、何が起きるかわからない。凶器を振りかざして飛び掛ってくるかもしれない。みんなかかわりあいになるのを恐れている。

 周りを見る限り、ここでこの男の相手をするのは私しかいない。彼に殺されるようなことはいやだけれど、私が逃げたのではここの誰かに被害が及ぶことになるかもしれない。周りは若い人が多いから、仕方ない、私がこの男の相手をしてやろう、そう腹をくくった。人を殺すような暴挙に出たところで、一発で殺されるならともかく、そうでなければ死ぬことは無いかもしれない。

 そんなに長くいろいろと考えていたわけではないが、周りを見渡していた男が私の方を向き、なにやら話しかけてきたので、「朝からお酒ですか?」と逆に聞いてみた。「昨日から飲んでるんだ」と男は怒ったように言う。男は素足にぞうりを履き、コートも着ていない。「オレはいい男なんだが、パーだから、アホなことばかりやって‥‥」と後はよく聞き取れない。「いいじゃないですか。みんな完璧な人はいませんよ」と私は相手に合わせる。男は下水の仕事をしていると言う。「クソの始末だ」と言うので、「偉い人ですよ。あなたのように働いてくれる人が本当は一番偉い人なんですよ」と持ち上げる。

 酒飲みには逆らわない、ウソは言わない、反対はしない、これは私が到達した智恵だ。「これから家に帰るんですか?」と聞くと、「ウチのカミさんはうるさいんだ。厳しいし、怖いぞ」と言う。「何も言わないことですよ。黙っていれば大丈夫です。ヘタに言い返せば、やられてしまいますよ」とアドバイスをする。すると男は「あんたはいい人だ」と言って握手を求めてきた。男の手は大きくて冷たかった。働いてきた手だ。男は私の手を強く握り、何度も「いい人だ。あんたの言うとおりだ」と言った。

 男は堀田駅で電車を降りていった。人ごみに吸い込まれるように。そのまま下ったと思い、私は目を車内に戻した。電車が駅を離れる瞬間に誰かが私の後の窓ガラスを叩いた。振り向くと男が手を振っている。危ないよ、巻き込まれたらダメだよ、そう思ったが、私も小さく手を振り返した。少し胸が熱くなった。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

出会いに感謝

2008年01月10日 22時40分40秒 | Weblog
 古いカセットテープを整理し、音楽以外は大方を捨てた。私は取材の時にテープを持ち込むのは感覚的にいやだったので、その種のテープはほとんど無かったが、ほとんど無いということは多少あったということである。講演会とか座談会が主だが、記憶では一度も聞き直したことは無い。取材の時は、B5のノートを持って行き、行事ならその様子を、インタビューなら相手の言葉の中で印象的なものを書き綴った。取材で一番大事にしたのは、自分自身の感性だったと思う。

 狭い地域の新聞だから、行事は毎年変らない。すると様子だけを書いていると毎年同じことになる可能性だってある。そこでどうしても自分が印象に残ったことにポイントを置いて書くように努めてきた。自分の感性が、市民の皆さんに「なるほど」と共感してもらえるものであれば、良い記事が書けるはずと信じてきた。幸いなことに、大新聞でないが故に私には「記事にしてやる」という意識は全くなかった。いつも取材させてもらっている、ありがたいという気持ちだった。

 実際、新聞を始めた頃は取材拒否にあったこともある。地域新聞はゴロツキ新聞というイメージがまだ残っている時代だったから、役所の助役からの情報で出かけたのに、その機関も半分公であるにもかかわらず、のっけから「何も話すことはない」と高飛車に怒鳴られた。役所であっても、窓口の職員は胡散臭いといわんばかりの横柄な対応でしかなかった時期があった。新聞が何号か発行され、作っている私がどういう人間がわかると、向こうから声をかけてくれるようになった。

 それに広告収入でやっている新聞だったので、取材をさせてもらうことは本当にありがたかった。創刊号を発行し、第2号、第3号と傍目には順調に見えたかもしれないが、一人で撮影し取材して原稿を書き、レイアウトをして印刷屋さんに渡すのだが、なんと言っても広告が集まらなければ新聞が出せないのだから、とにもかくにも広告集めの毎日だった。100のお店や事業所を回っても、せいぜい1件か2件しか広告が集まらない日々だった。

 それでも、人の縁というものは不思議なものだと思うけれど、「こんなに広告が集まらなければ、今度の号で新聞は終わりか!」と、そこまで切羽詰っていた時に飛び込んだ事業所で、1年通しの契約ができたり、期待以上に大きな広告がいただけたりした。以来、まるで弟のように可愛がっていただいている人が何人かできた。兄貴のように慕ってくれる人も生まれた。営業をしたことはなかったが、その基本は人と人とのつながりだと理解できた。

 私が取材で用いたテープは講演会や座談会のものが主だったのは、役所や団体から「記事の内容が違う」とクレームがきた時の対応のためだったが、記事にクレームが来ることは無かった。「何も話すことはない」と高飛車に怒鳴りつけてきた人とは深い信頼で結ばれるようになり、この町にボクシングの世界チャンピオンが誕生した時には、一緒になってその祝勝会を企画してくれた。

 私が生まれ育ったところではないこの町に根を張ることができたのは、ここで素晴らしい人たちに出会えたからだ。人との出会いこそが人を幸せにする。私は本当によい人にめぐり合えたと心から感謝している。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福岡地裁の判決

2008年01月09日 23時54分23秒 | Weblog
 一昨年、福岡市で飲酒運転による追突事故で、幼児3人が亡くなる悲劇が起きた。運転していたのは23歳の市職員で、自宅や居酒屋やスナックで缶ビール1本と焼酎のロック8~9杯、ブランデーの水割り数杯を飲み、車を時速100キロで運転し、追突したのだ。市職員は相手を助けることなく、現場から逃げ、友人に身代わりを頼んだり、大量の水を飲み、警察官による飲酒検知が行われたのは事件発生から1時間後だという。事件は余りの大惨事なので大きく報道された。

 春日井市でやはり一昨年、飲酒運転で赤信号の交差点に入り、タクシーと衝突して4人を死亡させた運転手に、名古屋高裁は昨年末、「危険運転致死傷罪」を適用し、懲役18年を言い渡した。飲酒運転に対する裁判所の判断は厳しいものになると誰もが予想したが、福岡地裁は検察による危険運転致死傷罪ので起訴および懲役25年の求刑を退け、業務上過失致死傷および道交法違反(酒気帯び運転、ひき逃げ)で懲役7年6月を言い渡した。

 福岡地裁の判断は、スナックから追突現場までの8分間、擦り傷一つせずに運転できたから、酔っ払い運転の特徴である蛇行運転もなかったから、危険運転致死傷罪ではなく業務上過失致死傷および道交法違反だというのである。私は法律の専門家ではないから、法解釈で争う気はないし、酔っ払っていても擦り傷を作ることなく運転することはあるが、そんなことを問題にする気もない。

 私が思うことは、人を殺してしまっていて、殺人の罪を問わなくてもいいのかということである。過失なのだから仕方のないことではないのか、初めはそう思っていたけれど、たとえ過失であっても人を殺してしまった人はそれなりの罰を受けなければならないと私は思っている。私は、死刑はやはり殺人に変わりないと考えているのが、殺人罪は死刑ではない最高の刑に服するべきだと思っている。それが、たとえ過ちであっても、正当防衛であっても、人殺しには変わりないのだから、最高の刑に服すべきであろう。

 こんな悲しいことを考えていたら、ニューハンプシャー州での予備選挙でヒラリー・クリントンが接戦を制したとニュースで聞いた。やはり選挙を知り尽くしているヒラリー氏がこのまま負けることはないだろうと思っていたが、そのとおりとなりホッとするとともに、でもやはりヒラリー氏はどんどん受けを狙う発言をしていくだろうなと思うと重い気分になった。オバマ氏が嫌いというわけではなく、なんとなくヒラリー氏に応援しているに過ぎない。彼女の伝記が私にはどうしても彼女を応援させたい気持ちにさせているようだ。

 それに今日は、私には新しい年の嬉しい日なので、よし今日は飲もうと勝手に決めて、飲むことにした。愛する人が気持ちよく思ってくれるならば、人にとってそれは最高の日である。よっしゃ、今日はちょっと遅い新年の喜びの日としよう。そう思い乾杯!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする