友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

民主党の主張

2008年01月08日 20時25分34秒 | Weblog
 テレビニュースを見ていたら、インド洋での給油活動を再開するための新テロ対策特別法案に対し、民主党は同法案を採決せずに継続審議扱いとするという。野党が過半数を占める参議院で否決できるのに、民主党以外の野党は参議院で否決し、参議院の存在を示すべきだと主張しているのに、民主党はまた国民にわかりにくいことをしようとしている。

 民主党は同法案の対案を参議院に提出しているので、まだ十分な審議ができていないのに、手続きに従って衆議院での3分の2の賛成で同法案を可決するのはおかしいというのが民主党の主張だ。そんなに十分な論議が必要であるのなら、国会でもっと掘り下げた議論をして欲しかった。与党の論理の矛盾をもっと暴かなくては何も見えない。

 それでいて、小沢さんは「国連決議のないイラク支援は認められない」の一点張りだ。世界平和を実現していくためには国連の軍事力を強めていくと考えているようだから、軍事力に頼るという点ではアメリカ政府や与党と同じだ。民主党の議員の中には、小沢さんのように考えている人が多いし、新テロ対策特別法案に賛成している議員だっているようだ。

 参議院で同法案を採決した場合、これらの議員が賛成に回るかもしれない。民主党の分裂を恐れる余りに継続審議なる方針を打ち立てたのだろう。こんな姑息なことばかりしていれば、分裂する前に民主党は国民の支持を失うだろう。政権をとるまでは内も外も騙していこうというように私には見える。

 私が参議院議員の秘書をしていた時、民主党が誕生した。愛知万博の是非をめぐり活発な議論が行われるかと期待したが、ムダだった。愛知県選出の民主党議員は諫早湾の干拓工事に反対するが、愛知万博には口を閉ざす。民主党幹部が「選挙で当選しなければ何もできませんから」と発言していたが、当選するためには自分の主張を曲げるということは、もっともなことのように見えるけれど、それは人を騙すことと同じだ。

 今、民主党は「政権をとらなければ何もできませんから」と主張するが、自分を騙し人を騙して議員になり、それで一体どんな政治をしようと言うのだろう。自分はあるいはわが党はこのように考えていますと正直に主張できない政治で、政治家たちは何をしようと言うのだろう。自分のあるいはその政党の主張が正しいならば、支持されるように懸命に説明することが一番大事なことではないのか。

 テレビで『ニッポンがおかしい08自民VS民主‥生活を任せられるのはどっち!?』をやっている。政治がバラエティーのように身近になるのはよいと思うけれど、おもしろがっているだけで本当にいいのかと思ってしまった。
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アウトサイダーたち

2008年01月07日 22時15分09秒 | Weblog
 今日は朝からズーと、市民のための勉強会である「大和塾」の関係のものを整理していた。2月2日の第7回市民講座の案内チラシを届けるために、これまでの講演会に参加してくださった皆さんの住所をパソコンに打ち込んだ。手書きの文字が読みにくかったり、不明な部分を調べたりしていたら、予想以上に時間がかかってしまった。

 さて一応、住所録はできたけれど、これをラベルシートに印刷するのはどうするのだったかと思案している。何年もやってきたのに、いつもいつも思い出せずに苦闘しなければならない。この作業は明日に延ばすことにして、気になっていた友だちのブログを見るが、まだ昨日のままだ。何が気になるかと言えば、年末に受けた検査の結果について今日、医師から話があったはずだからだ。

 夕方になって、その友だちから電話が入った。「結果は陰性だったんだが、内科の段階ではここまでしかわからないから、今度は外科で調べてもらってくれと言われた」と言う。そのための再検査は1月下旬というのでそれまでにまた皆で飲もうかということになった。そうすることが彼を元気付けることであり、中学・高校と同じ時間を過ごしてきた仲間にできることだと思った。

 日頃は「昔のことなんか、屁にもならん」と言い放つ友だちも「死ぬ前にやらんとな。それでいつならいいんだ。俺はいつでもいいぞ」とすこぶる元気に言う。みんながみんな、もう私たちの時代ではないことを痛感しているのだ。私たちが生きてきた時代は右肩上がりの高度成長期だった。だからこそ反体制的な言動に心魅かれたし、アウトサイダーな生き方をしてきた。

 企業中でしっかり働きながら、企業に溺れないように自分を戒め、やり手であることとそれに反発している自分とが相反して共存している。恥ずかしながらと言うべきか、いや誇りと感じるべきか、そんな矛盾した私たちがいた。それも今ではただの老いぼれジジイである。私たちが軽蔑してきた年寄りと何も変らない年寄りに私たちもなってしまった。

 人生の最後に求めるものは何だろう。自分が生きていることを認めてくれる人がいることなのだろうか。愛することができずに、愛して欲しいばかりの薄汚い人にはなりたくないのに、いったい何ができるのだろう。
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ヒラリーの苦戦

2008年01月06日 23時57分14秒 | Weblog
 アメリカの大統領選挙の仕組みはよく理解できないが、今年の11月に選挙が行われるはずだ。民主、共和の両党は、この夏に行われる党大会で大統領候補を決める。そのため州ごとに候補者を絞り込む党員集会や予備選挙が行われる。その最初の党員集会が3日、アイオワ州デモインで開かれた。誰がアメリカの大統領になるかは、世界の行方を左右するといってもよい。

 国民の得票では勝っていたゴア氏が選挙人では負けて、現ブッシュ大統領の誕生となったことはまだ記憶に新しい。ブッシュ氏の弟が知事のフロリダ州の投票数に疑惑がもたれたが、結局はひっくり返らなかった。誠にアメリカの選挙のやり方はよくわからない。それに選挙運動は日本のやり方とは違う。ヒラリー・クリントンの伝記『リビング・ヒストリー』を読んで、日本の選挙とは大きく違うことを知った。

 そのヒラリー氏がアメリカの初代女性大統領になるだろうと私は思っていた。彼女なら、アメリカ軍をイラクから撤退させ、軍事力によるアメリカの世界支配を転換するはずだ。彼女の伝記は、彼女がベトナム戦争に反対してきたことや、血の通わない制度や政策に反対してきたことを述べている。差別や古い習慣と戦ってきた軌跡もある。人を愛し、平和を愛する、新しいアメリカの女性大統領にふさわしいと思っていた。

 ところが、大統領選挙が現実的になればなるほど、ヒラリー氏の発言は保守化してきた。愛国的な人をも抱きこみたいためであろうけれど、その傾向はますます強くなり、これではヒラリー氏が大統領になっても何も期待できないな、そんな風に思えてならなかった。そこに、アメリカではじめての黒人大統領の誕生かといわれるオバマ氏が現れ、アイオワアでの党員集会でヒラリー氏を大きく引き離した。

 「党派対立の続く政治の見直しを訴えるオバマ氏の新鮮なスタイルは、若者層に熱狂的な支持を集めることに成功したといえる」(中日新聞)と評価されるまでになった。アメリカの選挙運動の方法を知り尽くしているヒラリー氏がこのまま負け続けるとは思えないが、アイオワ集会では事前の世論調査で第3位であったエドワーズ元上院議員にも敗れている。これにはちょっと驚かされた。

 もともとアイオワ州は農業地帯で保守的な地域というが、そうであるなら黒人大統領の誕生を喜ぶはずも無いのに、オバマ氏を第1位に押し上げたのだから、アメリカの民主党支持者が期待しているものが変化してきていることの表れだと思う。ヒラリー氏がいつまでも保守層受けにこだわり、保守的な発言を繰り返せばますます支持を失うと私は思っている。

 次は世論調査で、ヒラリー氏がオバマ氏を大きくリードするニューハンプシャー州での予備選挙が8日に行われる。ヒラリー氏が予想通りオバマ氏に圧勝するか見ものである。ここで勝てないとなると、ヒラリー氏の初の女性大統領は難しくなると新聞各紙は報じている。選挙を知り尽くしているヒラリー氏がこのまま負け続けることは考えられないが、彼女の政治姿勢が変らなければ同じ結果になるのではないかと私は案じている。
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買い損ねたお正月飾り

2008年01月05日 18時07分07秒 | Weblog
 大晦日から3日までの間、何人もの人が我が家にやってきたが、口に出して言う人はいなかった。玄関の正月飾りと鏡餅のウラジロが今年は用意できなかったのに。30日に年賀状を書き終え、スーパーに買い物に行ったのだが既に売り切れていた。正確に言えば、気に入らない正月飾りならまだ残っていたが、買う気にはなれなかった。ウラジロも他の店を探せばあったかもしれないが、その余裕も、そうしてまでも買い求めようという気持ちもなかった。

 本当は気付いていた人は何人かいたのかもしれないが、「お正月飾りはどうしたんですか?」「今年はウラジロがありませんね?」とは聞きにくいものなのだろう。お正月飾りもウラジロも無くても別に気にならないが、ただなんとなく淋しい気がする。それでも玄関に入れば、シンガポールに住む次女のダンナのご両親から送られたランがこぼれんばかりにいけてあり、居間には中国の凧や正月飾りの絵や小物が飾り付けてあるから、お正月の雰囲気がないわけではない。

 30日に家に帰ると、玄関前に見事なミカンが1袋置いてあった。どなたかが持ってきてくれたものだと思うけれど、手紙も電話もないのでお礼もできないでいる。その袋の中にこれまた見事な青々とした葉付きのミカンが6つあった。カミさんが「お鏡さんに丁度いいじゃない」と言うので、鏡餅の上に飾ろうとしたが、鏡餅が小さいために不安定で上に載せられない。仕方ないので、鏡餅の隣に置くとてつもなくヘンな鏡餅になった。

 ところが宴会のための居間の方は何とか鏡餅の上に大きなミカンを飾ることができた。お酒が進み、笑いが絶えない宴たけなわの頃、この鏡餅を見て数人のご婦人たちがドゥーと笑う。何がおかしいのかと思ったら、この鏡餅はこの家を象徴しているというのだ。美しいミカンが小さな鏡餅の上にデンと構えているので、「まるでここの夫婦のようね」と笑いころげているのだ。

 私はまた、本来は鏡餅の上には橙でなければならないのにミカンで代用していることが、「代々が台無し」と笑っているのかと先回りして考えてしまった。古くからの習慣を大切に思いながら、少々実行力に欠ける我が家である。「適当でいいんじゃないか」と言ってしまう自分と私以上に無頓着なカミさんだから、やっていけるのかもしれない。

 娘たち二人も、私たちの血を受け継いでいるのか、小うるさいところがある反面でどこか間が抜けている。「それでいいんだよ、完璧にできるよりも完璧を目指そうとする方が大事なことさ」と言えば、孫娘はすぐに「努力しなければ結果は付いてこないよ」と言い返してきた。最も私の苦手とするところを突いてくる。お手上げの1年となることが目に見えるようだ。
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明けましておめでとうございます

2008年01月04日 22時35分48秒 | Weblog
 大晦日の夜は星がきれいだった。空気が澄んでいるのだろう、冬の星座を代表するオリオン座、北にはカシオペア座と向かい合う小熊座が見えた。元旦の朝日も清々しく見えた。新しい年の始まりはいつも、なぜか厳粛な雰囲気が漂っていると思う。同じ時間が流れているのだから、突然に厳粛となるわけはないのだが、長い年月が私にそう思い込ませているのだと思う。

 それでも、元旦の朝日を清々しく思い続けることにしたい。そうすることで、昨年とは違う何かに期待しておきたい。まだ、社会生活はゆったりと動いているのだろう、今晩の空も星がきれいだ。人間が産業革命に突入する前までは、人々はどこでもこんなきれいな夜空を見上げていたのだろう。

 2日、何十年振りになるのだろうか、卒業生が訪ねてきてくれた。彼らが卒業して結婚するまでの数年間、毎年のように我が家に誰かが訪ねてきていた。カミさんは接待で大変だったかもしれないが、私はうれしかった。酒を飲み、馬鹿話をするだけのことだが、楽しかった。歳の差も5年から12年までくらいだから、今になればほとんど変らない世代だ。

 私の中学3年の時の担任のところに、みんなでよく遊びに出かけた。先生はそんなにお酒が飲める方ではなかったが、成人してからはお酒も用意されていたように思う。先生が卒業生を歓待することを、教師になった私はそのまま受け入れていた。そうすることで、担任のような先生になりたいと思っていたのかもしれない。

 中学のその担任は数学の先生で、かなり短気で熱情家だったから、怖いと思う女子生徒もいたようだが、私は自分たちと同じような子どもじみた先生という印象が強かった。3年生の担任になったばかりの頃、「月給が1万円になったから結婚する」とホームルームで先生は話した。それから新婚旅行の写真が教室の後の壁に貼られ、1枚10円で皆が買ったように記憶している。今、そんなことをしたなら新聞沙汰だと思うけれど、それをしてしまう先生だった。

 3日、昨年は姉の喜寿の祝いで、名古屋市内でお祝いの会を行ったが、今年はいつものように我が家に私の親族が集まって新年会を行った。兄の子どもの長男は高校1年生になり、背丈が伸びて親族の中では一番の長身となった。私が通った高校の生徒だから、後輩となるわけだが、持ってきていた数学の問題をやっているのをチラリと見てビックリした。残念ながら私にはさっぱりわからない。すると、姉の子どもの長男と次男の大学生が、一緒になって考えてくれていた。

 我が家の系統は、ないものをあるように思う文化系だと思っていたが、それは私の勝手な思い違いであった。兄の子どもも私の孫娘も、答えのハッキリしない寝物語よりも白黒がハッキリする数字の世界の方が好きだと言う。私には、計算すれば答えが出るようなものになぜ興味が湧くのかわからないのだが、彼らに言わせれば、答えに到達するにはいくつかの方法があり、それを発見していくことは実に楽しいのだそうだ。

 確かに私たちが住んでいるこの地球も、これからどうなっていくのか全くわからない。その答えを出すにはいろんな方法があるかもしれないし、全くのロマンだけの世界に終わるかもしれない。そんなことを思っていたら、親しくしていた卒業生から電話がかかってきて、先の楽しみなんかないようなことを言うので、「生きていなければ、答えはわからないのだから、少なくとも生きていることが一番大事だと思うよ」と答えた。

 「あまりの飲みすぎないでくださいね」と労わってくれる人がいるのもありがたいことだ。そんなこんなで今年も新しい日々が始まった。
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