友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

頑張れ、夢はきっと叶う

2024年05月21日 17時24分49秒 | Weblog

 彼は週に1日、家を出て帰るまで、同じコースを散歩している。家々の庭の花を眺め、ツツジからアジサイへと季節が変わっていく景色がいい。イチョウやケヤキの街路樹も新緑が眩しい。全ての生き物が活気づいてきたと話す。

 お決まりのコースを歩く中で、欠かせない場所がある。どこにでもよくある古い喫茶店だ。コーヒーが美味いとか、サービスに付く品がいいとか、それが目当てで通う客が多いのに、彼はひたすら、比較的空いた時間帯を狙って店に入る。

 座る席も決まっている。ウエイトレスが近づいてきて、コーヒーしか頼んだことが無いのに毎回、「何になさいますか」と聞く。彼はウエイトレスが近づく前から、彼女を見つめている。彼女を見るためにだけ、通っているのだ。

 ウエイトレスはやせ型の長身で、色が白い。40代の後半かなと推測しているそうだ。彼女は足がきれいで、コツコツと歩く姿に見惚れている。彼は彼女の足を眺めながら、「コーヒー、ホットで」と答える。彼女との会話はそれしかない。

 ところがある日、「今日はサービスに、ソフトクリームかドーナツが付きますが、どちらになさいますか」と聞かれた。「ソフトクリーム」と答えて、しまった、「あなたはどっちが好き?」とか、会話をすればよかったと悔やんだ。

 この店の客は年寄りの男が多い。みんな、彼女を目当てに来ているのに、誰も彼女に話しかけない。いつか、機会があったら、「休みはいつ?なにしている?」と話してみたい。あのすべすべとした白い足に触れてみたいが、それは叶わぬ夢だ。

 そんな夢物語を、私は笑って聞いた。でも、彼の気持ちはよく分かる。衰えて死ぬしかない高齢の、男性の最後の妄想だ。寂しいが微笑ましくもある。「頑張れ、夢はきっと叶う」などと励ましたが、「諦めた方がいいよ」と言うべきだったか。悔やむ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

民主主義はまだまだ過渡期

2024年05月20日 18時33分17秒 | Weblog

 「つばさの党」の名前は、ニュースになるまで知らなかった。東京の参議院補欠選挙の様子がテレビで報道され、これは選挙運動というよりも、選挙妨害に近いと感じた。でも、選挙では何をしゃべってもいいし、演説の内容で咎められることは無い。それを逆手にとって、言いたいことを言う、これまで誰も思いつかなかった手法だと理解した。

 けれど、言いたいことを言うことと、誹謗中傷は全く違う。それにしても、余りに品が無い。いったい「つばさの党」はどういう政治団体で、何を主張しているのかとパソコンで調べてみた。

 代表は1978年生まれで、大阪大学工学部を卒業した優秀な人物で、独立して会社を経営している。自然保護にも関心があり、自民党政治を変えるために、市民運動を始め、「オリーブの木」を立ち上げている。経歴を見ると、いろんなところでいろんな人と、選挙にかかわっている。

 幹事長は、先の選挙で「つばさの党」の候補として、他候補にしつこく付きまとい、大音量で演説を繰り返し、逮捕された。彼は1994年生まれで、東大の大学院を中退し、会社経営に携わる高学歴の人である。代表とどこでどう共鳴し、政治活動に没入していったのだろう。

 日本の選挙運動は地元にべったりと張り付き、演説して回るというより、コネで人の輪を作ることに力を置いている。だから、飲み食いに金がかかる。立候補者に金を出せと言う者もいる。こういう選挙を無くさなければ、新しい日本は生まれない。政党が市民と直に話し合う選挙活動にしなければダメだ。

 候補者の広報活動に自治体が金を出す制度が出来た。候補者に金が無くても運動が出来るようにすべきだろう。選挙活動が制限されたり、政治活動が自由に出来なければ、現体制が有利になってしまう。「民主主義を殺すな」と、世界の各地でデモが生まれている。民主主義はまだ過渡期なのだろう。

 いろんな声があって、いろんな表現があって、練磨されていくのだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一日一日を楽しんで

2024年05月19日 17時43分41秒 | Weblog

 80歳の同年者の集い「第16回シクラメンの会」には、32名が参加してくれた。市長も駆けつけて、スピーチしてくれた。立食形式で創作料理の店、いろんな珍しい料理が出てきて、ここを会場にして良かったと思った。歩いて帰らなければならないが、みんな無事に家に着けただろうかと、夜空を見上げてそう思った。

 閉会する頃に、「次は90歳、卒寿の祝いを」という声がかかり、「その頃まで生きていられるか分からん。来年のやったらいい」という声も上がった。これまでの「シクラメンの会」を資料を作り、実質で支えて来た人が「OK」なら、彼が倒れるまでは開催できる。会場の確保や開催までの段取りが面倒で、それをこなせば誰でも出来る。

 私の役割は、参加者全員が一度はマイクを持ち、ひと言、発言させることだった。これまで参加していても、一度もカラオケで歌うことの無かった人にも歌ってもらい、歌は無くても名前だけでも言ってもらう、そういう一体感が欲しかったのだ。それが出来れば、参加してくれた意義はあったと思うから。

 最初の挨拶で話したが、返信ハガキに「体調不良で参加できない」とか「連れ合いが亡くなった」とあるのを見て、そういう歳になったのだと痛感した。私の隣りの席の女性は、朗らかで歌の上手い人だったが、同じ話題を何度も話す。しかし、周りは「その話、さっき聞いた」とは言わずに、初めて聞くように相槌を打つ。落ちの部分では、同じように大声で笑う。

 そうか、そういうことが高齢者には大事なのだと思い知らされた。来年もやるのか、卒寿にやるのか、次の幹事会で決めなくてはならない。神経は使ったけれど、疲れた気持ちにはならなかった。挨拶の最後に江戸時代の医師、杉田玄白の言葉を伝えた。過ぎたことは悔やまず、明日のことを心配し過ぎない。一日一日を楽しんで生きていきましょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「当分、様子見ね」と「そうだね」

2024年05月17日 17時32分27秒 | Weblog

 マンションの向かいの部屋の人が転出した時、長女が「私たちが住むから、買って」と言うので、ローンを組んで購入した。けれど、長女は出ていってしまい空き家になっている。次女一家が来た時や友人の家族が帰国した時、泊まる部屋になっている。

 そして、いつの間にか北側の2室は、子どもたちや嫁にいった孫娘の、何やら不要になった物の、倉庫代わりに使われている。先日、マンションで医療相談会があった時、死亡診断書について尋ねたところ、「日頃から診ていない人のものは書けない」と言われた。

 訪問医療を受けるとなると、医師に来てもらっても困らないように部屋を整えておかなくてはならない。和室にフトンを敷いて寝ているが、ベッドにする必要があるようだ。それに、いつ何時地震が来るかもわからないから、寝ている和室は家具を無くしておきたい。

 そこまではカミさんも納得したが、4つあるタンスをどうするかでは合意できなかった。幸い、我が家は隣に、子どもや孫の物が残っている部屋がある。これらの不用品を処分するか、処分出来なければ1部屋にまとめてしまえば、こちらの家具を持って行くことは可能だ。和室を板張りの洋室にリホームすれば、快適な寝室になる。

 とりあえず、隣りの部屋の物を見てみようということになった。不要な物で燃えるゴミで出せるものから指定のゴミ袋に詰めた。どうしてこんな物を取って置いたのだろうという物が結構ある。「とりあえず置いておこう」とした物ばかりだ。

 「まだ使える」とか、「いつか使える」という物は、99%使わない物なのだ。久しぶりの肉体労働で疲れてしまった。マンションの修繕工事が終わったら、和室のリホームにとりかかるつもりだったが、「当分、様子見ね」のカミさんの声に、「そうだね」と同調してしまった。

 明日は、「80歳の集い」のため、ブログを休みます。午後6時開会なのだから、その前にやればいいのに、やりたくない気持ちが先に立ってしまう。ごめんなさい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

男と女、どこまでいっても難しい

2024年05月16日 17時14分26秒 | Weblog

 書店に入った時、背表紙を眺めていて買ってしまった2冊は、妻の側から夫をどう見ているかをテーマにしていると、勝手に思い込んでしまったものだった。『夫よ、死んでくれないか』(丸山正樹著・双葉社)と、『もっと悪い妻』(桐野夏生著・文芸春秋)である。

 桐野夏生さんを男性作家だと勘違いしていた。桐野夏生さんは1951年生まれで、これまでにもたくさんの本を出版されているし、新聞にもインタビュー記事が載ることがあるから、分かっていてもいいのにと今更ながら思う。

 一方の丸山正樹さんは1961年生まれ、松本清張賞に応募した作品が作家デビューとなったとある。そうか、根っからのミステリー作家なのだと作者のプロフィールを見て分かった。『夫よ、死んでくれないか』と何とも物騒な書名だが、読み終わってみてミステリーだと分かった。

 大学時代から仲良しの3人の女性が物語のベースになっている。3人とも仕事を持つ女性で、ひとりは離婚し年下の医師と付き合っている。残るふたりのうちの一人が、夫婦喧嘩の末に夫を突き飛ばしたところ、意識不明となり、友だちのふたりに助けを求める。

 救急車を呼ぶべきか、死ぬようなことになれば殺人罪に問われると、迷う。夫は回復したが記憶喪失で、事件のことは覚えていない。夫は以前よりも優しくなった。残るもうひとりは円満な家庭生活を送っていたが、夫が浮気をしている(?)と疑い出す。

 様々なトリックというか、伏線というか、いろいろあり過ぎて分からなくなってしまう。浮気相手が友だちと信じていたふたりだったとか、いっそのこと記憶を失う薬を飲ませようとか、とにかく「夫よ、死んでくれないか」と願う。

 『もっと悪い妻』は、新聞やテレビで報じられてきた6人の悪妻を描いているが、何とも虚しい気持ちになった。本当に悪妻などと言えるのだろうか。夫あるいは男に、問題はないのかと思う。男と女、どこまでいっても難しい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

尋ねてみたいが、聞いても仕方ないか

2024年05月15日 19時18分41秒 | Weblog

 常時、左目に涙が溢れている。花粉アレルギーだから仕方ないと思っていたが、花粉の季節でもない時も涙が流れて来る。だからと言って、特に困ることは無いので、ハンカチかティッシュペーパーを持ちカバーしてきた。

 18日に「同年者の集い」を開くから、涙を流していても格好悪いと思い、眼科へ行って来た。点眼液を2本頂いた。袋に1日4回とあるので、看護師さんに「どちらからですか?」と尋ねると、「どちらからでも構いません」と言われる。

 1日4回というと、何時と何時なのかと気になってしまう。朝8時の次は正午、そして午後4時、最後は寝る前の午後8時、と袋に明記する。私は医師の指示をキチンと守る。守らないと気が済まない。

 医師に「延命治療はどうしましょう」と問われれば、「受けません」ときっぱり断る。「それは、あなたの生き方ですから」と、今は受け入れられるようになった。少し前までは、医師の言うことが絶対的だった。逆らう気持ちは今も無いが、自分の気持ちを伝えられるようになった。

 よく、事件が起きると容疑者について、幼い時は人見知りだったとか、社交的で人当たりが良かったとか、陰気だったとか、周りの人に聞いたことをテレビが報道している。そんな時、私はどんな子どもだったのだろうかと思う。

 中学からの友だちはブログに、「子どもの頃はやんちゃで、女の子を泣かしていた」と書いていたが、私は女の子を泣かしたことは無い。小学校の低学年の時は、同級生だった医者の娘ふたりとその友だちにからかわれた。

 私はひとりでいることが好きな、どちらか言えば根暗だった。スポーツに夢中になることは無かったし、子ども会でソフトボールクラブに入れられても練習が嫌いだった。練習の最後に、監督がアイスキャンディーを奢ってくれたので出ていただけだった。

 几帳面な性格なのに、中3の夏休みの宿題は提出しなかった。私は子どもの頃、明るい子だったのか、暗い子だったのか、周りの友だちはどう感じていたのだろう。尋ねてみたいと思うし、今更聞いても仕方ないから止めて置けとも思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地域からビジョン作りの討論を

2024年05月14日 17時31分26秒 | Weblog

 私のブログにコメントしてくれる人は滅多にいないから、昨日のブログにコメントが寄せられていた時は喜んでしまった。でも、コメントを開くと、さっぱり意味が分からない。大谷翔平選手の名を使用してはならないという、警告なのだろうか。

 私のブログは、誰からのコメントも受け入れている。だからコメントを寄せてくれるのは嬉しかったが、もう少し短くて読みやすいものにして欲しかった。どこの誰か分からなくていいが、ブログの内容についてコメントして欲しかった。

 欲しいばかりで申し訳ない。立憲民主党の次期候補から郵便受けにチラシが配られていた。読むと、バス旅行への案内である。こりゃー、ダメだ。自民党議員がやってきたことと同じではないか。

 今、立憲民主党が全党をあげて取り組まなくてはいけないことは、日本をどういう国にしていくのか、そのビジョンを示すことだ。立憲民主党は批判はするが、何がしたいのか見えてこないと多くの国民は思っている。

 先の参院補選で、3勝したことに浮かれていてはダメだ。たまたま立憲民主党の候補が当選しただけで、衆議院選挙になっても政権交代は実現しないだろうと思う。それは投票率が低いことに表れている。自民党の悪政に怒っているなら、もっと多くの人が投票に行くはずだ。

 「ここらで、自民党にお灸をすえておこう」と言うことでしかない。選挙で野党連合をどう進めるかではなく、立憲民主党がどういう国を目指すのかを明らかにすることだろう。そのために、全国から議論を進めるべきだ。

 バス旅行など自民党がやって来た手法を切り捨て、まず地域からビジョン作りの討論会を行っていく。そうでなければ、政権など取れないし、取ったところで自民党と少しも変わらないだろう。

 「いつの日も 立憲民主は 国民とある」。そんなことは自民党だって言った来た。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「いつの日も僕のそばには君がいる」

2024年05月13日 17時39分23秒 | Weblog

 大相撲の初日の昨日、横綱と4人の大関が黒星だった。それとは全く関係ないけど、いや関係あるかも知れないが、今月8日頃から、太陽の表面で大規模な爆発「太陽フレア」が起きている。世界の各地でオーロラが見られると、テレビは報じている。

 「太陽フレア」と関係ないのかあるのか、私には分からないが、世界各地で異常気象が起きている。南米やアフリカで、インドやパキスタンそして中国で、大雨が降り大洪水が発生し、甚大な被害が出ている。アメリカでは巨大な竜巻が、カナダでは広い範囲にわたって山火事が起きている。

 報じられていない異常気象が、まだまだ世界各地で起きているかも知れない。異常気象はエルニーニョ現象とか、ラニーニャ現象とかによると言われているが、赤道直下の海面が例年になく高くなるのはどうしてなのだろう。

 太陽がなぜ常に、光やエネルギーを放出できるのかも私には分からない。「太陽フレア」で磁気嵐が起きるとか言われるが、水素爆弾の1億個分のエネルギーに相当するとも言われている。それを想像することも出来ないが、何も影響ないとも思えない。

 「地球最後の日が来るのかな」と私が呟くと、「縁起でもない」とカミさんは否定する。一瞬にして地球が無くなるなら、そんな嬉しいことは無い。病気の人も健康な人も、金持ちも貧乏人も、戦争している国も、全て無くなるなら大歓迎だ。

 そんな日が来ないと、地球の人間に真の平等は実現しない。未練とか希望とか、人間は出来ないことを考えすぎた。それでもきっと、地球最後の日は一瞬には来ないだろう。神様は意地悪だから、じわじわと異常気象を起こし、戦争や殺戮を容認することだろう。

 「おーいお茶」の伊藤園が、大谷翔平選手をコマーシャルに使っているという。「いつの日も 僕のそばには お茶がある」(大谷翔平)の俳句である。「いつの日も 僕のそばには 君がいる」(翔平)と、真美子さんに送っているのかな。いいねえー。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その気持ちをズーと大切にね

2024年05月12日 17時43分18秒 | Weblog

 娘から送られて来たメールをカミさんに見せられて、彼はガックリしたそうだ。「いつもありがとう わがままパパをよろしく」とあったからだ。娘には「わがままなパパ」と思われていたのかと反省し、「ごめんね」と謝ると、娘の方がビックリして、打ち間違いを謝って来たと言う。

 「いつもありがとう わがママ パパをよろしく」ということだったのだ。娘の目で見ると、自分勝手な父親と映っていたのかと、彼は早とちりしてしまった。でも、早とちりしたのは、自分に身の覚えがあるからだろう。「母の日」に、とんだエピソードを聞かせてもらった。

 昨日、朝日新聞の『悩みのるつぼ』には悩まされた。相談者は30代の女性で、「夫とゆっくり過ごせず悲しい」と訴える内容だった。「私は夫が大好きです。(略)ただ出産後、育児と仕事で時間も体力も余裕がなくなりました。(略)夫は優しく、休日は家事も育児も積極的にしてくれ、愛情も感じています」。

 そんな家庭なのに、何が不満で何が寂しいのかと読み進めると、「(夫は)残業が多く、普段は顔を見ることさえ少ないです」「夫と過ごすこと」を目的に結婚したのに、「悲しくなり、一人で泣いてしまう」とある。乳飲み子を抱えて、大変な様子が推測できる。

 回答者の清田隆之氏(文筆家)は、「(相談者は)決して欲張りでも努力不足でもない」と答え、「背景に家父長制的システムがある」と指摘する。「今すぐ会社を変えることは確かに難しい」が、「夫婦の時間をどう確保していくか」、「具体策を一緒に考えていく」ことだと回答していた。

 80代になった私からは、「年月が経つと、一緒にいたい気持ちは何時頃までだったか、忘れてしまうよ」と教えて上げたい。でも、そんな回答では何の役にも立たない。野暮なことを言わずに、「その気持ちをズーと大切にね」と答えておこう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水曜日はデートの日

2024年05月11日 18時22分28秒 | Weblog

 以前、庭の水撒きに使いたいからと頼まれ、井戸を掘って電動ポンプを据え付けた家から、「ポンプから水漏れしている」と連絡があった。見に行くと、ポンプのタンクに小さな穴が開いている。取り替えるしかないと伝えて、納得してもらった。

 今朝、新しい電動ポンプを持って行って取り替えた。幸いなことに、同じ電動ポンプを見つけることが出来たので、取り替え作業もスムーズに行えた。時間があったので、近くの喫茶店で談笑する。どこへ行っても喫茶店は年寄りばかりだ。

 彼が、「カミさんが『明日は母の日ねぇ』と言うんで、『ボクの母も、あんたの母も、いない。あんたはボクの母ではない。子どもたちが何かしてくれるんじゃーないの』と言ってしまった。『母の日のお祝いが出来るといいね』くらい言っておけばよかった」と話す。

 そんな話から、「いくら結婚して長く一緒にいても、思うことは違うからね。ウチのカミさんは最近、『あれ、どうした?また捨てたんでしょう』とボクを責めることが多い。以前は『知らない。あなたがキチンとしないからでしょう』と突っぱねたけど、今は『分かった。一緒に探そう』と、言い合いにならないように努めている」と私が話す。

 彼は忙しいと、あれもこれもと思い、中途半端なことが多く、どこに何を仕舞ったのかもわからなくなってしまうそうだ。そんなに忙しいのかと思ったら、「数独にはまっていてね」と言う。「ところが隣りで見ていたカミさんが、あっという間に解いてしまった」。

 「そうなるとしゃくで、カミさんには負けたくない一心で、ますますはまり込んでいる」と言う。我が家もカミさんが数独に凝っている。「あなたもやったら、ボケ防止になるわよ」と言うが、そんなことで競争したくない。

 我が家では、カミさんが予定の無い水曜日をデートの日とし、ふたりで出かけるようにしている。出かけることが目的なので、どこへ行くかは決めていない。昼ご飯か、あるいは喫茶店でティータイムか、どちらもの時もあれば片方だけの時もある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする