「策略風新聞網」よりお知らせ!
〜 俳論掲載さる 〜
※洪郁芬氏(訳)の紹介で、台湾の「策略風新聞網」に拙論「俳句はレトリック」が掲載されました。
※「策略風新聞網」とは、日本の産経新聞のネット版のようなもので、その「文芸欄」です。
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※お読み頂ければ幸いです。
【本文】
俳句のレトリックとは何か
永田満徳
「文学の森大賞」の第一次選考委員である望月周が私の第二句集『肥後の城』(文學の森、2021年)について、「心の表現に適う修辞を自覚的に探りながら、郷土・熊本への熱情を多彩な詩に昇華しており、強い印象を残す。」と述べて、『肥後の城』における「修辞」(レトリック)の効果を高く評価している。
私は『俳句界』2023年5月号で「文学の森大賞」受賞について言及した際、「夏目漱石の言葉とされる『俳句はレトリックの煎じ詰めたもの』に倣い、連想はもとより、オノマトペ・擬人法・同化などを駆使して、多様な表現を試みました。」と書いているだけに、望月周の選考評は私にとって非常に満足のいくものであった。
私は代表を務める「俳句大学」で、講師として選句も担当してきた。私が提示した兼題には必ずオノマトペが含まれているので、当然、『肥後の城』においてはオノマトペを使った俳句が多くなる。
今村潤子は『火神』第75号の「特集 永田満徳句集『肥後の城』」のなかで、
春昼やぬるんぬるんと鯉の群
しやりしやりと音まで食らふ西瓜かな
を取り上げて、「擬声語、擬態語が大変旨く表現されている。このようなオノマトペを使った句は他にもあるが、そこに作者の詩人としての感性が匂ってくる。」と述べている。
また、『肥後の城』第四章の「大阿蘇」のなかの、
ぐらぐらとどんどんとゆく亀の子よ
という句の場合、一句の中に「ぐらぐら」と「どんどん」というオノマトペを使うことによって、「左右に揺れながら一心に進んで行く」といった複雑な内容の長い文章を五七五の短い表現にできる。
オノマトペは世界一短い定型詩である俳句にとって非常に効果的であると考えてよい。
続いて、比喩は、譬えとも言うが、何かを表現したり伝えたりする際に、あえて他の事柄にたとえて表現する技法のことである。今村潤子は同じく「特集 永田満徳句集『肥後の城」において、
春の雷小言のやうに鳴り始む
熱帯夜溺るるごとく寝返りす
を取り上げて、「一句目は、春の雷は夏の雷と違ってごろごろと弱く鳴っている。その様を『小言のやうに』譬えた所、二句目は寝苦しい熱帯夜に輾転反側している様を『溺れるように』と譬えた所に、熱帯夜が唯ならぬものであることが感受できる。」と述べて、「譬えが句の中で精彩を放っている」と指摘している。
比喩は当たり前の表現をおもしろくしたり、分かりにくいものでも分かりやすくしたりする利点がある。
更に、擬人化について触れると、『肥後の城』の第一章の「城下町」だけでも多く取り出せる。
いがぐりの落ちてやんちやに散らばりぬ
「いがぐり」があちらこちらの散らばって落ちている様を詠んだもので、人間以外の「いがぐり」を「やんちや」坊主という人間に見立てた句である。
擬人化の句は別の一句では次の通りである。
極月の貌を奪ひて貨車通る
擬人化は意外性のある句を作ることのできる魅力的な手法であるとともに、わかりやすさ、納得しやすさという点で修辞法の代表といえる。
最後に象徴であるが、象徴は抽象的な思想・観念をわかりやすく、別の具体的な事物によって理解しやすい形で表現する方法である。
例えば、
こんなにもおにぎり丸し春の地震
「おにぎり」を「真心」といった具合に、物と人間の深奥とを重層的に表現していると言うことができる。
物そのものを詠むのが俳句の骨法であるが、象徴は具体的でありながら抽象的な概念を詠み込むことができる象徴化という表現技法は「俳句のレトリック」の極北である。
「俳句のレトリック」は言葉の力を最大限に引き出すための表現手法として重要な役割を果たす。レトリックは俳句という短詩型にとって有効な表現手段である。俳句は究極的には「レトリック」の固まりと言ってよい。作者の意図、感動を正しく読者に伝え、共感を得るために、もっと積極的に取り入れてよいのではないか。
https://strategicstyle.org/popustyle-8371/202406/
永田満徳
1954年日本の人吉市生まれ。 熊本大学大学院修了。俳人協会幹事、日本俳句協会副会長、俳人協会熊本県支部長。俳誌「火神」主宰、俳句大学学長、俳誌「秋麗」同人。著書に句集『寒祭』(2012・9・27発行)。第二句集『肥後の城』(2021・9・27発行)で「文學の森大賞」受賞。
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