日曜日、義父の四十九日の法要が、自宅近くのお寺で営まれる。住職が最初に段取りを説明する。最初にお経が書いてある冊子(要するに経典)をみなに渡され、「何ページから何ページまで読みます。ふりがなが付いているので、よろしければみなさんも一緒に唱えて下さい」。いつも実家での法事のときは、お坊さんがやってきて勝手にお経を読み、まわし焼香を行うという段取り。それが事前説明付きとは。「何ページまで読み終えたら、一度話をします。そのあと別の短いお経を読みますので、その間にお焼香をして下さい」と指示する。で、読経が始まると、参列者も手元にふりがな付きの経文があるので、声を出して読む。子供たちも訳が分からないまま(私もだけど)読む。全員が声を出すと何だか一体感が出る。
こういうパターンは初めてである。終わってから住職も「法要で坊さんが勝手にお経あげてる退屈なもんって皆さん思ってはるけど、私はできればみなに参加してほしくて、こういうやり方をしてるんです」と説明してくれた。あとは「南無阿弥陀仏」など経文の言葉の意味を解説しながらの説法。子供たちも「お坊さんおもろかったなあ」と感想を言ってくれた。なんか仏教が身近に感じられたひと時、われながら良い法要だったと思う。
こういうパターンは初めてである。終わってから住職も「法要で坊さんが勝手にお経あげてる退屈なもんって皆さん思ってはるけど、私はできればみなに参加してほしくて、こういうやり方をしてるんです」と説明してくれた。あとは「南無阿弥陀仏」など経文の言葉の意味を解説しながらの説法。子供たちも「お坊さんおもろかったなあ」と感想を言ってくれた。なんか仏教が身近に感じられたひと時、われながら良い法要だったと思う。