先週月曜日の夕方、会議室での打ち合わせが終わり、席に戻ると机の上のiPhoneの画面にfacebookのイベント招待のメッセージが出ていた。「Y氏告別式のご案内」。一瞬頭の中が真っ白になり、喉が急激に渇きだす。震える指で画面をタップする。前日に東京の友人Yちゃんが亡くなり、彼の友人であるIさんがfacebookで彼と友達登録しているメンバーに連絡をしてくれているのだ。画面には別に「新着メッセージ」も届いている。そちらも開く。見知らぬ女性からだ。読むとYちゃんの奥さん。「Mさん(私)のお話はたびたび耳にすることがあり、訃報をぜひお知らせせねばと思い…」。
通夜が水曜日で、告別式が木曜日。木曜日なら仕事の調整ができそうだ。スケジューラで有休を設定し、関係者に連絡する。その晩、奥さんに告別式に出席する旨メール返信する。皮肉にも初めて挨拶させてもらうのがこういう形でとは。
Yちゃんは、私がロンドン留学時代に向こうで知り合った旧友。一緒の学校に通っていて、勉強のみならず、フリータイムはパブへ行ったり、クラブで踊ったり、ゴルフをしたりしていた間柄。
お互い帰国後も、東京・大阪を行き来して遊んでいた。当時外資系の広告代理店に勤務していたYちゃんは小説家志望で、ロンドンでも、勉強の傍ら、いつか出版すべく、原稿を書きためていた。それからほどなく処女作を発表。現役の広告代理店マンが、小説家と二束のわらじを履いているということで、雑誌・新聞なんかにも取り上げられていた。
その後、彼が広告代理店を退職してから、音信が途絶えてしまった。私も迂闊なことに年賀状などは勤務先に送っていて、自宅の住所や電話などは全く知らなかった。しかも携帯電話の番号も変更されたのか、かけても通じず、連絡先が分からなくなってしまったのである。
「二作目が出れば、そこの出版社を通じて本人に連絡してみようか」と、それからは時々ネット書店で本人の名前を検索するも、処女作以降の情報が出てこず、「もう執筆は止めたのかな?」と思っていた。
それから6~7年が経った。
そんなある日、ネットで名前を検索したら、広告デザイナーとして会社を立ち上げ、彼の作品「デザインバーコード」でカンヌ国際広告賞を受賞したり、某大手企業の広告を手がけたりと、小説とは別の分野での華々しい活躍が複数掲載されており大変驚いた。
その会社のホームページを見ると、問い合わせ先として代表のメルアドが載せてある。(連絡してみようか)。しばらく迷った。(有名人になってしまって、俺みたいな昔の友人関係には興味なくなっているかもしれんしな。もし迷惑がられたりしたら辛いな…)。ただ迷った時は、ポジティブサイドで行動しようという自分の信念に基づき、思い切ってメールをした。しかもとりあえず非常にビジネスライクな書きぶりで。
すると、ほどなく直接本人から返信。読むと向こうも、以前の私の携帯に連絡をくれたりしたのだが、こちらも番号変更していたためつながらず、彼は彼で、(俺は友達として忘れられたのか?)と落ち込んでたそうだ。要は両者とも同じ思いだったわけで…。
結局、半日の間に2、3度メールのやりとりをして、永年のブランクも速効で埋まり、「次にどちらかが大阪か東京へ行く時に飲もう!」ということになった。
そうしてほどなく東京で再会。会うのは本当に久しぶりで、待ち合わせ場所の恵比寿駅でいきなり人目をはばからず男同士で抱擁。彼のオフィスを訪ね、スタッフにも挨拶をさせていただく。その後近くのスペインバルへ行き、仕事のこと、家族のこと、英国のこと、音楽のこと、アートのこと、女のこと、ブログのこと、一気に語り合った。
一番面白かったのは、カンヌ国際広告祭でチタニウムライオンを受賞した時の話。広告業界では一番権威ある賞で、当然カンヌまで表彰を受けに行ったのだと思っていたのだが、Yちゃんいわく「わざと行かなかった。授賞式は欠席した」そうだ。しかも理由が「草フットサルの試合があったから」。フットサル会場で受賞のサンクスメッセージだけビデオ撮影し現地へ送ったそうだ。それも彼なりのプロデュース戦略らしい。
こうして久しぶりの再会後は、メールや電話でやりとりしたり、私が東京出張で時間があるときにオフィスを訪ねて晩に飲んだりしていた。
また彼が面白いCMを作ったときなどは必ず知らせてくれた。一番印象深かったのは、彼が手掛けていたGoogleのTVCM「Googleで、もっと」シリーズ。オンエア開始日に連絡してくれたのだが、「映画みたいな感じのを撮りたかった」という通り、たった30秒の中に愛情と友情がストーリーとして織り込まれており、温かい雰囲気が画面から伝わってくる。
Yちゃんの大活躍は、彼の才能を認めている者の一人として本当に嬉しかった。ただ、今だから書ける話なのだが、病のことは、以前より本人から直接知らされていた。闘病生活や過酷な治療についても、彼らしく非常に明るく、ときにはユーモアもまじえて語ってくれた。
9日木曜日、告別式出席のため、朝7時半過ぎの新幹線に乗る。いつもは列車の中で朝食を取るのだが、食欲がなくホットコーヒーを飲みながら東京へ向かう。
会場は東急電鉄池上駅の近くのお寺。もちろん初めて訪れる場所である。前日の通夜は400人近く弔問客が来たらしい。告別式も平日のお昼前にもかかわらず、たくさんの人が訪れている。開始ギリギリで到着した私は、本堂に入れず溢れてしまい、境内でお参りすることになる。
弔問客は学生時代の友人、広告代理店時代や彼が代表を務めるデザイン会社のつながりなど、いくつかのグループがあるようだ。みなそれぞれに仲間たちと会話をしている。私は海外留学時代現地で知り合ったという間柄。向こうではほとんど二人でツルんでいた。そして今回も大阪からの弔問ということで、共通の友人は誰もいない。Yちゃんの遺影を見ながら、一人彼との思い出を反芻する。
色んなところから供花が届いている。クライアント企業のGoogleはじめ大手企業の名前が連なる。サッカーでも一度はイングランドでプロサッカー選手になろうと、現地の下位リーグの入団テストを受けていたYちゃん。日本サッカー協会の川淵三郎キャプテンからのもある。あらためて広い人脈を持っていたんだな。
式は予定どおり淡々と進む。喪主である奥さんとの挨拶は叶わなかったが、焼香の後、もう一度棺の所まで足を運ぶ。家族との写真、彼の広告作品、サッカーシューズなど、たくさんの物が入れてある。私も花を添えて最後の別れをする。
Yちゃんとfacebookで友達になったのは去年の春先くらいだったか。アカウントは取得したがほとんど幽霊会員だった私に、彼から「友達リクエスト」が来たのが始まりだった。それからはfacebook上でもやりとりするようになる。
最後覚えているのは、秋頃彼が「老眼鏡デビュー!」というタイトルで、老眼鏡をかけている自分の写真を投稿したときのこと。私が「ついに老眼鏡デビューか!?俺も最近、みそ汁の具が見えなくなってきた」とコメント。それに対して彼が「そう!みそ汁の具!」と返してきている。
それが去年の暮れあたりから、彼からの投稿が途絶え、「どうしてんのかな?」、「もしかして病気が再発したんじゃ…」と少し気にかけていた矢先の訃報だった。
告別式が終わり、一人池上駅へ向かう。ずいぶんお腹が減っているのに気付く。朝から何にも食べてないもんなあ。帰りの新幹線までは十分に時間がある。駅前の「すき家」に入り、牛丼とみそ汁を注文する。食べながら、気が張っていたのが少しずつ緩んでくるのが分かる。そうするとまた色んなことを思い出す。本当に才能のあるクリエイターだった。それがもう、彼の「次の作品」を楽しみに待つことができない。そして何より、二人で飲みながら色んな話をすることができないのだ。寂しいよ。そんなことを考えていると、みそ汁の具がかすんで見えなくなってきた。たぶん老眼のせいだけではない。
友の冥福を心より祈る。
通夜が水曜日で、告別式が木曜日。木曜日なら仕事の調整ができそうだ。スケジューラで有休を設定し、関係者に連絡する。その晩、奥さんに告別式に出席する旨メール返信する。皮肉にも初めて挨拶させてもらうのがこういう形でとは。
Yちゃんは、私がロンドン留学時代に向こうで知り合った旧友。一緒の学校に通っていて、勉強のみならず、フリータイムはパブへ行ったり、クラブで踊ったり、ゴルフをしたりしていた間柄。
お互い帰国後も、東京・大阪を行き来して遊んでいた。当時外資系の広告代理店に勤務していたYちゃんは小説家志望で、ロンドンでも、勉強の傍ら、いつか出版すべく、原稿を書きためていた。それからほどなく処女作を発表。現役の広告代理店マンが、小説家と二束のわらじを履いているということで、雑誌・新聞なんかにも取り上げられていた。
その後、彼が広告代理店を退職してから、音信が途絶えてしまった。私も迂闊なことに年賀状などは勤務先に送っていて、自宅の住所や電話などは全く知らなかった。しかも携帯電話の番号も変更されたのか、かけても通じず、連絡先が分からなくなってしまったのである。
「二作目が出れば、そこの出版社を通じて本人に連絡してみようか」と、それからは時々ネット書店で本人の名前を検索するも、処女作以降の情報が出てこず、「もう執筆は止めたのかな?」と思っていた。
それから6~7年が経った。
そんなある日、ネットで名前を検索したら、広告デザイナーとして会社を立ち上げ、彼の作品「デザインバーコード」でカンヌ国際広告賞を受賞したり、某大手企業の広告を手がけたりと、小説とは別の分野での華々しい活躍が複数掲載されており大変驚いた。
その会社のホームページを見ると、問い合わせ先として代表のメルアドが載せてある。(連絡してみようか)。しばらく迷った。(有名人になってしまって、俺みたいな昔の友人関係には興味なくなっているかもしれんしな。もし迷惑がられたりしたら辛いな…)。ただ迷った時は、ポジティブサイドで行動しようという自分の信念に基づき、思い切ってメールをした。しかもとりあえず非常にビジネスライクな書きぶりで。
すると、ほどなく直接本人から返信。読むと向こうも、以前の私の携帯に連絡をくれたりしたのだが、こちらも番号変更していたためつながらず、彼は彼で、(俺は友達として忘れられたのか?)と落ち込んでたそうだ。要は両者とも同じ思いだったわけで…。
結局、半日の間に2、3度メールのやりとりをして、永年のブランクも速効で埋まり、「次にどちらかが大阪か東京へ行く時に飲もう!」ということになった。
そうしてほどなく東京で再会。会うのは本当に久しぶりで、待ち合わせ場所の恵比寿駅でいきなり人目をはばからず男同士で抱擁。彼のオフィスを訪ね、スタッフにも挨拶をさせていただく。その後近くのスペインバルへ行き、仕事のこと、家族のこと、英国のこと、音楽のこと、アートのこと、女のこと、ブログのこと、一気に語り合った。
一番面白かったのは、カンヌ国際広告祭でチタニウムライオンを受賞した時の話。広告業界では一番権威ある賞で、当然カンヌまで表彰を受けに行ったのだと思っていたのだが、Yちゃんいわく「わざと行かなかった。授賞式は欠席した」そうだ。しかも理由が「草フットサルの試合があったから」。フットサル会場で受賞のサンクスメッセージだけビデオ撮影し現地へ送ったそうだ。それも彼なりのプロデュース戦略らしい。
こうして久しぶりの再会後は、メールや電話でやりとりしたり、私が東京出張で時間があるときにオフィスを訪ねて晩に飲んだりしていた。
また彼が面白いCMを作ったときなどは必ず知らせてくれた。一番印象深かったのは、彼が手掛けていたGoogleのTVCM「Googleで、もっと」シリーズ。オンエア開始日に連絡してくれたのだが、「映画みたいな感じのを撮りたかった」という通り、たった30秒の中に愛情と友情がストーリーとして織り込まれており、温かい雰囲気が画面から伝わってくる。
Yちゃんの大活躍は、彼の才能を認めている者の一人として本当に嬉しかった。ただ、今だから書ける話なのだが、病のことは、以前より本人から直接知らされていた。闘病生活や過酷な治療についても、彼らしく非常に明るく、ときにはユーモアもまじえて語ってくれた。
9日木曜日、告別式出席のため、朝7時半過ぎの新幹線に乗る。いつもは列車の中で朝食を取るのだが、食欲がなくホットコーヒーを飲みながら東京へ向かう。
会場は東急電鉄池上駅の近くのお寺。もちろん初めて訪れる場所である。前日の通夜は400人近く弔問客が来たらしい。告別式も平日のお昼前にもかかわらず、たくさんの人が訪れている。開始ギリギリで到着した私は、本堂に入れず溢れてしまい、境内でお参りすることになる。
弔問客は学生時代の友人、広告代理店時代や彼が代表を務めるデザイン会社のつながりなど、いくつかのグループがあるようだ。みなそれぞれに仲間たちと会話をしている。私は海外留学時代現地で知り合ったという間柄。向こうではほとんど二人でツルんでいた。そして今回も大阪からの弔問ということで、共通の友人は誰もいない。Yちゃんの遺影を見ながら、一人彼との思い出を反芻する。
色んなところから供花が届いている。クライアント企業のGoogleはじめ大手企業の名前が連なる。サッカーでも一度はイングランドでプロサッカー選手になろうと、現地の下位リーグの入団テストを受けていたYちゃん。日本サッカー協会の川淵三郎キャプテンからのもある。あらためて広い人脈を持っていたんだな。
式は予定どおり淡々と進む。喪主である奥さんとの挨拶は叶わなかったが、焼香の後、もう一度棺の所まで足を運ぶ。家族との写真、彼の広告作品、サッカーシューズなど、たくさんの物が入れてある。私も花を添えて最後の別れをする。
Yちゃんとfacebookで友達になったのは去年の春先くらいだったか。アカウントは取得したがほとんど幽霊会員だった私に、彼から「友達リクエスト」が来たのが始まりだった。それからはfacebook上でもやりとりするようになる。
最後覚えているのは、秋頃彼が「老眼鏡デビュー!」というタイトルで、老眼鏡をかけている自分の写真を投稿したときのこと。私が「ついに老眼鏡デビューか!?俺も最近、みそ汁の具が見えなくなってきた」とコメント。それに対して彼が「そう!みそ汁の具!」と返してきている。
それが去年の暮れあたりから、彼からの投稿が途絶え、「どうしてんのかな?」、「もしかして病気が再発したんじゃ…」と少し気にかけていた矢先の訃報だった。
告別式が終わり、一人池上駅へ向かう。ずいぶんお腹が減っているのに気付く。朝から何にも食べてないもんなあ。帰りの新幹線までは十分に時間がある。駅前の「すき家」に入り、牛丼とみそ汁を注文する。食べながら、気が張っていたのが少しずつ緩んでくるのが分かる。そうするとまた色んなことを思い出す。本当に才能のあるクリエイターだった。それがもう、彼の「次の作品」を楽しみに待つことができない。そして何より、二人で飲みながら色んな話をすることができないのだ。寂しいよ。そんなことを考えていると、みそ汁の具がかすんで見えなくなってきた。たぶん老眼のせいだけではない。
友の冥福を心より祈る。