朝日新聞が、福島第一原発事故に関する「吉田調書」について、5月20日付朝刊で報じた「命令違反し撤退」についての記事を取り消し、読者と東京電力の関係者に謝罪した。
また、韓国・済州島で従軍慰安婦を強制連行したとする「吉田証言」を虚偽と判断し、関連記事を取り消したこと、そしてその訂正が遅れたことも謝罪した。
(しかもこの日、レスリング世界選手権女子53キロ級で吉田沙保里が優勝し、五輪と世界選手権合わせて15大会連続世界一を達成した。主要ニュース全部「吉田」やんかぁ。ややこしい(^_^;))
原発事故や従軍慰安婦など、国家の信用を失墜させるような記事で虚偽や捏造があったのは許しがたい。ただ、週刊誌はもちろんのこと、新聞でも大なり小なり、事実と違うことを書いてたり、“盛り付け”をしたりしているのは、多くの人が感じている話だ(東スポどうなんねんっ!?)。
「吉田調書」は実際に記者がインタビューしたものではなく、あくまで資料の文面からの読み取り。「吉田証言」も、売国奴・吉田清治の言ってることは嘘っぱちだと言うのは、有識者ならはるか昔から認識している話だ。
私自身も、仕事で深く関わっていた第三セクターに関する記事が、事実から逸脱し面白おかしく書かれていたり、仕事に関するインタビューを受けて、それが掲載されたものを読むと、「言うてたこととちゃうなあ」と感じたことがある。原稿の事前確認など一切ない。
受け手から直接話を聴いた、いわゆる「一次情報」でも記者や編集サイドによってアレンジされる。ジャーナリズムの現場って、ほぼそんなものだと思っている。
ハインリッヒの法則。一件の大きな事故・災害の裏には、29件の軽微な事故・災害、そして300件のヒヤリ・ハットがあるとされる。「これくらいの表現上の演出、構わないだろう」。そんなことの繰り返しが、今回のような重篤な事件に発展するのだ。その根底には、衆愚ジャーナリズムの思い上がりがある。
それにしても、このタイミングでの朝日新聞の謝罪、何か不自然だ。別の事情があるような気がしてならない。この度発足した安倍新内閣や、新たに登用された女性政務調査会長が日頃から標榜しているナショナリズムと何か関係があるのかな。
また、韓国・済州島で従軍慰安婦を強制連行したとする「吉田証言」を虚偽と判断し、関連記事を取り消したこと、そしてその訂正が遅れたことも謝罪した。
(しかもこの日、レスリング世界選手権女子53キロ級で吉田沙保里が優勝し、五輪と世界選手権合わせて15大会連続世界一を達成した。主要ニュース全部「吉田」やんかぁ。ややこしい(^_^;))
原発事故や従軍慰安婦など、国家の信用を失墜させるような記事で虚偽や捏造があったのは許しがたい。ただ、週刊誌はもちろんのこと、新聞でも大なり小なり、事実と違うことを書いてたり、“盛り付け”をしたりしているのは、多くの人が感じている話だ(東スポどうなんねんっ!?)。
「吉田調書」は実際に記者がインタビューしたものではなく、あくまで資料の文面からの読み取り。「吉田証言」も、売国奴・吉田清治の言ってることは嘘っぱちだと言うのは、有識者ならはるか昔から認識している話だ。
私自身も、仕事で深く関わっていた第三セクターに関する記事が、事実から逸脱し面白おかしく書かれていたり、仕事に関するインタビューを受けて、それが掲載されたものを読むと、「言うてたこととちゃうなあ」と感じたことがある。原稿の事前確認など一切ない。
受け手から直接話を聴いた、いわゆる「一次情報」でも記者や編集サイドによってアレンジされる。ジャーナリズムの現場って、ほぼそんなものだと思っている。
ハインリッヒの法則。一件の大きな事故・災害の裏には、29件の軽微な事故・災害、そして300件のヒヤリ・ハットがあるとされる。「これくらいの表現上の演出、構わないだろう」。そんなことの繰り返しが、今回のような重篤な事件に発展するのだ。その根底には、衆愚ジャーナリズムの思い上がりがある。
それにしても、このタイミングでの朝日新聞の謝罪、何か不自然だ。別の事情があるような気がしてならない。この度発足した安倍新内閣や、新たに登用された女性政務調査会長が日頃から標榜しているナショナリズムと何か関係があるのかな。