世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

ヒメアカタテハ

2007-07-22 07:55:12 | 生命

 

今日はヒメアカタテハです。これは、確か去年の秋、駅近くのスーパーの裏の、小さな空き地で出会いました。静かな秋の日差しに透けて、とてもきれいです。セイタカアワダチソウも、なんだかとても澄んで見えます。

わたしの写真のファイルに入ってくれるのは、やはりタテハやシジミが多いですね。長いことじっととまってくれるからでしょう。アゲハやシロチョウは、すぐに飛んでいってしまうので、とても撮れません。幸運に撮れたときがあっても、なかなかいいポーズで写真に納まってくれません。

2枚目は、長男の通う高校のグラウンドのすみで見つけました。偶然、テントウムシとのツーショットになって、とてもかわいいです。

ツマグロヒョウモンのメスにちょっと似ていますが、模様が微妙に違います。ちょっと見には同じチョウチョに見えるんですけど、どこが違うかは、先日のツマグロヒョウモンの写真と見比べてみてください。

チョウチョの模様って、どうしてこんなに微妙なのかな。ちょっと星の位置がずれただけで、ぜんぜん印象が違います。特にアゲハやタテハの翅は、まるで不思議な星座盤のかけらのようです。小人が占いでもしていそうだ。

最後のは、三男の通う小学校の中庭で。確か雨もよいの日でした。授業参観が終わって、外に出たら、雨がやんでいて、花壇の花の写真を撮ろうと中庭に回ったら、出会ったのでした。

同じ種類のチョウチョでも、個体によって雰囲気が違うな。同じでも、みんなちがうんだ。どれもこれも、ただそのときだけの、二度とない出会い。これと同じチョウチョに出会うことは、2度とない。

世界中のすべてのものが、ほかのどこにもないただひとつの宝物なんだよ。チョウチョの手紙には、そう書いてある。

 


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ベニシジミ

2007-07-21 10:31:51 | 生命

 

今年の春、一番最初に撮れた、ベニシジミのメスです。春まだ浅く、サクラもまだ咲いていなかった頃。冬の名残の枯野のあちこちに、緑が少しずつ芽吹き始めた頃でしたね。まっさらでぴんぴんの翅。きっとまだ目覚めたばかりだったんでしょう。

咲き始めた花を追いかけて、モンシロチョウが飛んでいました。その写真を撮ろうとしてのっぱらを散策していたのですけど、モンシロチョウはすばやくて、すぐに飛んでいってしまう。ため息をついていると、ひらりと赤いベニシジミが、わたしのところに飛んできてくれて、ほら、写真撮りなさいって、言うみたいに、ポーズをとってくれました。

やさしいなあ。暖かくて、かわいくて、何気なくきてくれる。そんなチョウチョみたいです。ベニシジミは、じっとしてくれるから、写真がとても撮りやすい。かわいくて、とてもすき。

2枚目は、一月ほど前、幼稚園の近くのイチョウの木の下で、出会ったものです。こちらはオス。すりきれていたんだ翅が、またきれいです。春先には濃い紅だった色が、いくぶんくすんで、やさしくなっている。いいな、きれいだな。

どんなことがあったのかな。雨風の日もあったろうな。蜘蛛やかまきりにあった日もあったろうな。子供の指をあやうくすりんけたなんてこともあったかな。恋もしたろうな。きっと卵も産んだろうな。かわいかったろうな。

すりきれた翅を、日差しに暖めながら、言っているような気がする。

苦しいこともあったけど、なんでもなかったよ。楽しかったよ。

 

なにもかもみな、すばらしかったよ。

 

 


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ツバメシジミ

2007-07-20 07:44:39 | 生命

 

近くの廃園の草むらで撮った、ツバメシジミのメスです。表側のきれいな色を見せてくれた、うれしい一枚。オスは全体的にきれいな青色になりますが、メスはこのように深いグレーか、グレーに少しかすんだ青を帯びる感じになります。

緑の中にとまっていると、印象的な光を放っているようです。きれいだな。

これはその裏側の模様です。下翅の小さな紅が印象的。なかなかに品のよいおしゃれ。目立つほどきれいではないけれど、見るものが、あらっと、微笑む。幼い女の子が、お母さんのまねをして、ほんのちょっと紅をつけて、どう、きれいでしょって、言ってるみたいだ。

とろい私にとって、シジミチョウは私に写真を撮らせてくれるありがたい存在です。わたしが見る限り、ここらへんでは、ヤマトシジミが多いですね。ヤマトの名がついたのは、やはり日本に多いからかな。

それにしても、オスのきれいな青色の写真も、撮ってみたい。このメスの深いグレーもきれいですけれど。

今日は、公園の、ハルシャギクの写真も、おまけです。落ち着いたグレーもいいけれど、少し物悲しくなるかな。明かるい光の色が少しほしい気がする。

野原に落ちた、青い悲しい一滴。何かの痛みのように見えるのは、どうしてかな。

 

 

 


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かまきりくん

2007-07-19 09:37:59 | 生命

 

ひとつきくらい前ですか、幼稚園のお庭で、小さなカマキリの赤ちゃんを見つけました。種類はまだよくわからないのですが、たぶん、ハラビロカマキリかコカマキリの幼虫だと思います。かわいくて、何枚も写真撮っています。

ひとつの場所に深く入り込んで、見つめていると、虫もなんだか、わたしのことをわかってきてくれているような気がします。ほら、このかまきりくん、じっとわたしのこと見てるような感じでしょ。

トップの画像は、昨日撮ったばかりのもの。2枚目のは、ひとつき前のもの。だいぶ大きくなりました。

愛がわかるのは、人間だけだと思うのは、傲慢です。カマキリも、人間のために、いろんなことをしてくれてるんですよ。それはね、人間が心を開いていけばわかる。

ただの虫だなんて思っちゃいけない。すきだって言えば、思いもしない深い愛を返してくれる。それは、虫を愛している人なら、きっとだれにでもわかる。

野原の奥で、花壇の隅で、生きている。踏み潰せば簡単に死んでしまう。でも虫は、かなり強い。かなりすごい。嵐に耐える。雪に耐える。冷酷なコンクリート道路を横切って、ふるさとの花壇に、ちゃんと帰っていく。

生きているよ、みんな。

苦しいな。生きることは苦しい。でも、だからこそ、こんなにきれいなんだ。

なんてすごいんだ。この世界は。

 


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ツマグロヒョウモン

2007-07-18 07:40:39 | 生命

 

幼稚園のお庭で見つけた、ツマグロヒョウモンのオスです。明るい日向の花壇に現れると、まるで光の子供が飛んできてるみたいです。

この幼稚園をテリトリーにしているのか、今も時々、飛んできているのをみかけます。きっと同じ個体ですね。先日のアオスジアゲハと、追いかけっこをしているのを見たことがあります。

 

2枚目は、裏の模様。こちらのほうが、きれいなんですよね。まるで磨いた瑪瑙の文様のようで。どうしてこんなきれいな模様ができるんでしょうか。だれかが描いているのかな。だとしたら、なんて巧みな筆なんでしょう。

神様はすごいなあ。

幼稚園のお庭には、今ランタナやアラゲハンゴンソウ(ルドベキア)などが植えられています。花壇ではないところにも、アカバナユウゲショウやカタバミの小さな花が咲いています。茂みを覗き込むと、小さな蜘蛛やありや、ハエ、アブ、カマキリの子供などが、たくさんいます。

子供を送り迎えしにいくたびに覗き込んで、何か宝物がないか、探しています。

*追記

さっき撮れたての、ツマグロヒョウモンのメスです。午後の光をいっぱいに浴びて、とてもきれいです。

子供が転んで泣いているのを尻目に、夢中になって追いかけて、撮ってしまいました。いけない母親です。

 

 


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ヤマトシジミ

2007-07-17 07:11:23 | 生命

 

一枚目の交尾シーンは、近くの公園で撮ったもの。あとの2枚は、仕事場の近くの草むらで撮ったものです。

草むらと言っても、コンクリートばかりの駐車場の一隅の、一握りの緑なんですが。そんな小さな緑の中でも、一歩踏み込めば、美しい世界があります。

チョウチョはもちろんのこと、カマキリや、小さな羽虫やアブ、カメムシの類、蟻、くも、ちいさなサナギ、いろいろな命がひしめいている。なんて豊かなんだ。

 

何にもないと思ってたのに、思いもしない深い世界がある。

2枚目のヤマトシジミを見つけたとき、あまりにじっとしていてくれるので、とろい私も何枚も写真を撮ることができ、うれしく思いました。でも、表のきれいな青色をどうしても見たくて、待っていたのに、なかなか翅を開いてくれません。しびれをきらして、ちょっと葉っぱをゆらしてみたりしました。そうしたら、逃げていってしまい、とうとう表の写真が撮れなかった。

 

でも、帰って写真を見ていて、びっくり。卵が写ってたんです。金色の小さな小さなつぶ。かわいい。たからものみたい。産卵中だったんですね。悪いことをしてしまった。

 

コメント (2)
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アオスジアゲハ

2007-07-16 07:47:39 | 生命

 

以前使ったことのある写真を、ちょっとトリミングしてみました。ランタナの花色が、かすかに翅にはねかえって、とてもきれいです。

半ひきこもり状態の私のフィールドはとてもせまいです。子供の通う幼稚園の周りと、近所の空き地や公園、仕事場の近くの草むら。それくらい。

でも、そんな小さな世界でも、ちょっと奥に入り込むと、すばらしく深い、美しい世界があります。

虫に心寄せることは、疲れた人間にはとてもいいことです。みんな、まるで宝石のように美しいからです。小さくてかわいい。光っている。動いている。どきどきする。ずっと見ていたくなる。

虫は、ほんとにたくさん、人間を助けてくれますよ。生きることの苦しさを、軽くしてくれる。大丈夫だよ、平気だよって、言ってくれるんです。そして、大切なのは、どんな人のところにもきてくれるってこと。

2枚目の写真は、幼稚園の近くのガソリンスタンドに飛んできたものです。たぶん、幼稚園で見つけた、トップの画像の個体と、同じ個体です。なんだかうれしいですね、なじみの友達が、また会いにきてくれたようで。

チョウチョウは神様の手紙。そういうことを、前に言ったことがあります。その手紙にはたぶんこう書いてある。

苦しいけれど、大丈夫だよ。君たちは、やっていけるんだよ。神様は、みんなを愛しているよ。


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ウラナミシジミ

2007-07-15 07:28:58 | 生命


近くの公園で撮れた、ウラナミシジミのメスです。昆虫やカエルなどの小さな命の写真を撮るのはすきです。ただとろいので、被写体になってくれるモデルが、かなり少ないのが悩みの種。

すばやく物陰に走って隠れてしまうトカゲや、せかせかとんでってしまうモンキチョウなどは、なかなか撮れません。

これからしばらくは、そんな私に撮らせてくれた、やさしくもかわいい小さな生命(いのち)の写真を紹介していきたいと思います。

トップの写真は、公園の萩の花に戯れていたウラナミシジミ。たくさん撮った中で、唯一、表のきれいな瑠璃色を見せてくれた一枚です。オスは全体的に瑠璃色になりますが、メスは真ん中あたりが、ほんの少し染まるだけという感じです。でも、それがなんだか、かわいいな。

  

2枚目は、その裏側。こちらもきれいですね。下翅のはっきりと見える白い帯が、見分けるコツだそうですよ。

ただし、わたしの昆虫に関する知識は、ど素人なので、間違っている恐れがあります。もし間違っていたら、遠慮なく指摘してくださいね。


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花火

2007-07-14 07:55:52 | 画集・ウェヌスたちよ

今日のは、花火を見上げている女の子です。町で、4,5歳くらいの、かわいいポニーテールの女の子を見かけて、描いてみたくなりました。
絵の中の女の子は、12,3歳というところかなあ。表情が気に入っています。

このところ、日替わりで、がらりと内容が変わるので、戸惑っておられる方も多いことでしょう。論語のシリーズは、いったん昨日で終わり、ということにしようと思います。といったら、また何か浮かんでくるのが常なんですが。今回はどうかな。

虫や花の写真がたまってきたので、しばらくそっちの世界も楽しみたいです。絵を描くのも楽しいですが、そればかりだと、つまらない。いろんなことしてみたい。

前のブログも、今読み返してみると、あれこれ詰め込みすぎて、ほんと、がらくたいっぱいのおもちゃ箱になってますね。こっちもたぶんそうなるでしょう。

楽しいこと、好きなこと、いっぱいしてみたい。しばらく虫の話をしようかなあ。時々絵を紹介しながら。といいつつ、明日はどうなるかわからない。そのときの思いつき次第。また論語やりたくなるかもしれないし。

お楽しみに♪

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君子もとより窮す

2007-07-13 09:02:57 | てんこの論語

陳にありて糧を絶つ。従者病みて、よく興つことなし。子路慍って見えて曰く、「君子もまた窮することあるか」。子曰く、「君子もとより窮す。小人窮すればここに濫す」。(衛霊公)

旅にあった孔子の一行は、陳にあったとき暴徒に取り囲まれるという難にあった。食料が尽きて、倒れる従者が続出した。そのとき、弟子の子路が、怒って孔子に詰め寄った。「君子でも窮することがありますか!」孔子は答えた。「わたしはもとから窮している。だが小人は窮すると乱れる」。

孔子の生涯の仕事は、仁の教えを広めることにありました。徳にもとづいてよい政治を行い、人々を幸せに導くということが眼目にあった。彼の行動は、いつもそこを中心に動いていた。
しかし時代は、常に激しい逆風の連続でした。彼の能力を恐れ、嫉妬し、迫害するものが絶えなかった。どんなに能力を示しても、国の為政者は彼の助言を入れることがなかった。それではと国をすて、自分の意見を受け入れてくれる国を探して諸国を放浪した。それでも、結果は絶望的だった。いつでも、彼は、窮していた。
最後には、夢を後生にたくすべく、教育者として残る力を燃やし尽くすことにきめ、故郷に帰った。

彼の人生は失敗の連続、絶望の連続でした。常に窮していた。何をやっても、だめだった。それでも、彼はあきらめなかった。ひとつのことが終わっても、また次の手を考えた。たとえ絶望的でも、だめになるとわかっていても、行動することをやめなかった。

絶望的な壁の前に、君子は乱れることはない。まずここで、何をするべきかを考える。暴徒に取り囲まれ、なすすべもない。ここにおいて、大切なのは、自分を見失わないことだ。忍耐しなければならない。忍耐のためにどうするべきか。考える。おのれをつかうのだ。常に、自分自身で考えていれば、自分を見失うことはない。そして、この難も、いつまでも続くわけではない。必ず、突破口がある。そこが見つかるまで待つのだ。

小人は、難の前に自分を見失い、すべてを壊してしまう。だが君子は、常に、この状況で何をすれば、最善の状況に導けるかを考える。その最善の方法が忍耐であるのなら、忍耐する。完全に忍耐する。たとえそれがどんなに長い年月であろうと。君子は耐えるだろう。

今が苦しいのなら、阿呆のように乱れて、自分を見失ってはいけない。自分で考えるのだ。何をするべきなのかを。たとえそれが、ただ考えるということだけでも、自分自身を使っていれば、苦しいことは、少なくなる。かけらでも希望が見つかれば、それをつかみ、行動することだ。それがどんなにちっぽけなことでも、やってみることだ。

まず。自分を動かすことだ。


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