『洗心』については
語っても語り尽くせない。
というより
下手な概念化での注釈を入れずに
個々において鋭意実践してもらうのが一番だろう。
「洗顔」、「洗髪」…
文字通りそれは言葉で伝わるだろう。
やり方は多々あるにしても
それらは見ればわかる類いである。
しかし
『洗心』とは
さあ見てよこの通り…というわけにはいかない。
『心』そのものが何であるか?皆目掴めていない地球人が
心を洗えと言われても為す術もないというのは
無理からぬ話なのである。
ただ『洗心』とは人生と同じで
生きてみなければ経験してみなければ
その深さが判らぬように
『洗心』を人生処訓よりもさらに深い己の魂の行として
究め極めてみなければ結局のところ
その個々においての『洗心』は絵空事であり
その本質の花を咲愛でる歓びには与れないのである。